琵琶湖水系の遺跡を巡る 目次編
古代から日本海の若狭湾から琵琶湖水運を利用した人と物のルートは重要でした。ヤマト王権の成立に関しても重要な文化・文明の道でありました。
”連休前半にちんぐるまの掃除と、ベランダの増築をしました。
90cm前へ出しましたので、利用しやすくなりましたよ。
早速、夜に円テーブルと椅子をセットし、湯豆腐とお酒、焼きソバ
で楽しみました。外での食事はうまいです。
7月合宿を楽しみにしてください。
(夜は蚊と蛾が多いので無理かもしれないけど。。” との情報です。
山小屋は如何に人がこまめに面倒みるかで、長生きするかどうかが決まる。”ちんぐるま”は、山小屋管理人がこまめに手入れしているから30年以上生き延びているのだ。
7月の夏合宿ではこのベランダで”フォークグループ 赤とんぼ”が上演されるかも知れない。お向かいさんは温泉風呂屋さんですから年寄りの冷や水にならんように、地味にやるでしょうね。
山と言えば、上高地はそろそろいい季節ではないだろうか、人も今は少ないし、新緑の芽も少しは萌え始めているのではないだろうか。
日本におれば、又、今年も行くのですがね。
虎ノ門の桜田通りに金刀比羅大神の鳥居が出現しました。私は5~6年前に義父の故郷を家族で旅をしましたが、その時にお参りしました。折しも、真夏で汗をかきかき階段を登りお参りした記憶があります。
(コンピラさんの歴史)
ホームページの神社の由緒によりますと
・大物主神を祭神とした。(出雲神話、三輪山の大三輪神社と同じですね)
・琴平神社と呼ばれていた。
・中古に金毘羅大権現となる。
・明治に金刀比羅宮となる。
・1156年の保元の乱で破れた、崇徳天皇さまが讃岐に配流となる。天皇はこの神社をことのほか愛され、それを記念して崇徳天皇さまもお祭りする事となった。
(大物主神さま)
神社の由緒によれば、大物主神さまは四国、中国、九州の鎮護の為にここに拠点を作られた。という事は出雲の日本海と大和の三輪山マキムク地帯に本拠をおかれ、日本のまつりごとをされていた事になります。
当時の瀬戸内海航路は大陸への通商航路にあたり、重要であります。難攻不落の山城としても最高であり、遥か眼下に瀬戸内海を見下ろせ、軍事拠点として素晴らしいと思いました。
しかし、現代、日本の政治・官僚機構の中枢の霞が関、虎ノ門に鳥居があがり、桜田通りを歩く人々の名所となりそうです。
中西進先生の”万葉の大和路”の三輪山編に触れてみましょう。
”三輪山を しかも隠すか 雲だにも
情(こころ)あらなむ 隠そうべしや” 巻1 18 額田 王(ぬかたのおおきみ)
日本が国際的に危機的状況になった。白村江(はくすきのえ)で新羅・唐帝国の連合軍に大敗し、日本が戦場になる可能性が高まり、急遽都を近江に避難した。その時に名残惜しい飛鳥への愛惜のこころを歌った。
(蛇は変身すると雷になる)
蛇の文明といえば、日本の大和の発祥の地である三輪山山麓と長江流域に共通のものがある。稲作文明の共通である。この蛇は脱皮して何回も生まれ変わるし、二匹が絡まり生殖行動をとると注連縄(しめなわ)になるし、尻尾を切断すると草薙の剣がでてくるし、空に舞い上がると龍となり口から火をふくし、そして雷になる。
中西先生曰く、雷という字は田の上に雨である。田という漢字は元々が卍と描いたそうな。そして古い字は雨の字の下に卍を三個描いた漢字が雷の字だそうな。そもそも卍は稲光を表す象形であるらしい。
田圃に雷が現れ、稲妻を光らすと空気中の窒素が固定され、田圃に栄養を供給する、ありがたいお方である。これは、近年の科学が証明した、しかし弥生の頃より人々はそれを知っていた。雷の稲光は稲に生命をもたらしてくれる夫(つま)として稲妻とよんだそうな。
(さるかに合戦)
三輪山は神のお住まいになる場所であり、山麓には野が広がり更に低地には原が広がっていた。稲作が始まる以前には未だ湖で覆われていた。人々は山麓の野に住んで山の幸で生きていた。その後、水が引き稲作も伝わり原が田圃となり人々は二種類の縄文と弥生の人々が共存した。
”さるかに合戦”の童話のルーツはここに始まった。縄文の人と稲作の弥生の人の争いである。
猿は柿の実を持ち、かにはおにぎりを持つ、そして猿は言葉巧みにかにを騙し、柿とおにぎりを交換する。そして、かにが柿の種を植えて実が実ると、今度は柿の木に登り、実を食べてしまいます。最後に青い実を投げつけてかにを殺してしまう。復讐を誓うかにの子供達が今度は、うすの力を借りて猿を殺してしまう。
最終的に弥生の連中が勝利する物語である。こんな事件がこの三輪山の野原でもいにしえには起こったんでしょうね。
崇高な三輪山の話が猿かに合戦で終わるのは不本意であるが、これも下界での歴史的な一つの事件として捉えましょう。
大阪への出張で、新幹線のホームでKIOSKを眺めていると、面白そうな本があり購入し、往復で読んでしまった。
”中西進と歩く 万葉の大和路” ウエッジ選書 8
私の印象は万葉集の歌に詳しいだけでなく、時代背景の歴史への理解の深さと、何よりも大和を愛しているお姿がよく伝わる紀行文であった。
(斑鳩を歩く)
”斑鳩の 因可(よるか)の池の 宜しくも
君を言はねば 思ひそわがする” 巻12 3020
先生の解説です、”万葉びとは わが恋が実るかどうか 人の噂を気にした。この歌も、因可(よるか)の池という地名にかけて”人がよく言わない”と心配する。民衆が歌った、とても牧歌的な歌である。
万葉集には斑鳩の歌はこの一首しかないそうです。驚きですね、この池が何処か未だ判らない。私は以前法隆寺の七不思議についてblogしましたが、それは鏡池の話でした。
因可の池参考1
鏡池の蛙には片方の目が無い。という話でしたね。
(再建・非再建論争)
今から50年前に法隆寺の五重の塔の修復工事がありました、その時に心柱の底が腐り柱が宙に浮いてる状態が判り少し切断して、新しい材木を土台に継ぎ足した。私は構造上は宙ずりでもいいと思います。何故かと言えば、塔はクラゲの積み木を何層にも積み重ねた構造であり、一番上の積み木から重しを付けた振り子をぶら下げて重心をとる構造ではないかと思う。これは、我が家の大きな米国で購入した”おじいさんの時計”の振り子を見ていてそう思った。
さて、最近になりこの時に切断した、心柱の材木の年輪から年代を推定する”年輪年代法”により科学的に伐採年代を推測した。594年に伐採されたことが判明した。
参考年輪年代法
法隆寺は607年に聖徳太子さまにより建立された。670年に落雷により焼失(日本書紀)し、その後再建されたというのが学会の定説でした。古い法隆寺が若草伽藍であると。しかし、そうすれば、再建が7世紀末であるので、約100年間この材木は寝かされていた事になる。
法隆寺の関係者は昔より非再建論でありました。今回の科学的調査により、この論議は又、結論を得ないで論争は続くと思う。
(宝蔵院 夢違いさん)
中西先生は悪い夢を吉の夢に変えてくれる、”夢違い観音”又は”夢たがい観音”が好きだと言われる。それは、日本的な顔だからだとおっしゃる。たしかに、百済観音は背が高く外人のようですね。美人だけど、なんか手が届かないような気がしますね。
私は、実は中西先生と違い、中宮寺の可愛いいボンボリ二つ頭につけた弥勒さんなんです。
法隆寺については、これからも何回もblogする積りです、私は好きなんです。
私は友人と又、家族で飛鳥周遊の自転車散策を時折行った。ご参考になるかどうか、かなり強行軍になりますが面白いですよ。一日がかりの旅になります、覚悟が必要。
(カシワラ神宮駅でレンタ・サイクル)
・畝傍山の麓であるカシワラ神宮の駅で下車して下さい。駅前に自転車を貸してくれる大きなお店があります。
家族で出かけたときは真夏でした、お茶とかお水を買い一路北を目指します。
・道には案内の看板が出ていますので、簡単です。目指すは箸墓古墳です。民家を抜け、田んぼの道を道標に従いペダルを漕いで下さい。ヤマトトトビモモソヒメ(日の巫女?Mu説)にお参りして遥か邪馬台国の時代の建国を想いそして、魏の使節を迎えた激動の東アジアの時代を想像しましょう。
・一路、南下します。目指すは、甘樫の丘です。三輪山を左手に眺めて南下します。田んぼの道で楽しいです。丘の上まで自転車で登れます。結構厳しいのぼりですが、頑張ってください。此処まで来れば、眼下は明日香の村々です。蘇我氏はこの丘の上に宮殿を建てていました。
・山を下れば、飛鳥寺に到着します、途中、飛鳥川を横切ります。飛鳥寺で休息です。ここの茶店で甘酒を飲むとかビールをのむとか、一時休息です。そして100メータ位のところに蘇我入鹿の首塚が田んぼの畦道沿いに有ります。
・目指すは酒船石です。最近は発掘により石畳の祭礼施設が出現しました、亀のお風呂みたなものですね。斎明天皇の関連施設と言われています。その見上げる山の上に酒船石があります。この山は全て石垣で覆われていたそうです。斎明天皇さまは土木工事が好きで、沢山の土木工事をされたそうです。
・酒船石に腰をかけて、休息し、ひとしきりこの謎の石について説明して、直下の祭礼施設との関係を説明する。昔は、推理作家の松本清張はんは、この石で麻薬を調合したと述べておられましたね。
・さて、昼飯です、石舞台古墳に向かいましょう。最近は(8年前だけど)整備されましたね、昔は何も無い単なる岩山みたいでした。中に入れます、大きな岩組の羨道から石室を見ることが出来ます。
・すぐ傍に大きな、レストランがあります、自転車を留めて昼飯です。未だ未だ厳しい自転車の旅は続くので、お腹一杯食べましょう。私はビールがあればよろしい。
・さて、腹も満腹、今度は坂を下り橘寺に向かいましょう。聖徳太子さまゆかりのお寺です。ここでも、石像は必ず確認必要です。二人の顔が彫られています、土の下に隠れている怪しいものは見れません、残念。
・さて、次は民家のクネクネ道を登ると田んぼの交差路にひょうきんな”亀石”どんがお座りです。こいつが、向く方向が変わると洪水が起きるので、気をつけましょうね。亀とも別れ、鬼の俎板、雪隠の石造を見ましょう。可愛そうに、誰かの墓が暴かれたんですね、巨大な石室ではなかったでしょうか?蘇我氏崩壊の折に、災難に遭った蘇我氏関連のお墓でしょうかね。
・さて、もう一息頑張って高松塚迄行きましょう。今は博物館になっていますので、閉館時間に間に合うように行きましょう。本当に、小さな古墳ですね、まさか壁画が描かれているような貴重な古墳であるとは思えません。
・ここは、藤原京の朱雀大路の延長線上にある、”聖なるライン”に位置します。天武・持統合葬陵も高松塚の傍にあります。最近は又、この近くの古墳で壁画が発見されましたね。このあたりは、東漢(やまとのあやし)氏の拠点ですね、大陸の香りがします。最近の発掘で藤原京は平城京より巨大であったと判りましたね。
・さて、吉備姫の墓にある猿石を見る寄り道をして、一路カシワラ神宮の自転車屋さんを目指します。疲れ切っているので、交通事故に気をつけて帰りましょう。
以上は、20年前頃から数回、家族とか友人を騙して連れて飛鳥の里を巡る私の旅の断片です。飛鳥三山と三輪山が大事ですよ、しかし、疲れますので覚悟してついて来て下さい。
メキシコはカリフォルニアと接している。サンデイエゴからは車で直ぐに、テイファナに入ることが出来る。
米国は全て道路は舗装されているが、メキシコに入ると舗装の無い道となる。貧しさが迫る。
カリフオルニアは元々、スペインの植民地です。地名を見れば、判りますね。サン・ホセ、サン・デイエゴ、ロスアンゼルス、・・・・・元々スペインの植民地でした。サンタクルズに首都が有りましたね。
エルカミノリアルという南北に連なる道がカリフォルニアにあります。これは、王様の道という意味ですね。サン何とかというのは、聖何々というカソリックの聖者の名前ですね。
この、メキシコに私の娘は長く住んでいました。この、額はメキシコのお祭りの模様を絵にしたものです。娘が持ち帰りました。
わこちゃんが、豪州土産で買って来ました。豪州は原住民のアボリジニーが信ずる、幸運と富を招くお守り袋です。
(説明書による)
・これは、カンガルーの雄の特定の部分の皮で出来ている。
・アボリジニーは昔より首からこの袋をぶら下げており、大事な物を入れて何処に行くにも身につけていた。
そして、幸運と富を自分にもたらすものと、考えていた。
・或る、部族間の争いに於いて、敵のやりが飛んできて若者の首を直撃した。しかし、この袋のお陰で彼は命拾いをした。それ以後、益々アボリジニーの世界に於いて、信仰が深まった。
・15オーストラリア・ドルである
昔は、5ドル程度で販売されていましたね。私はblogの品が落ちるので、相当悩みましたが、異文化を特殊な見方をするのは、いけないと思い公開します。
MuBlogでは大和は畝傍山を背景にトンボのまぐわりの二匹の写真がありましたので、”ま、え~かな?”と思いました。
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