日本の家族制度について

 最近の派遣村や介護の問題や色々と考えると、問題の根幹に核家族化という戦後の高度経済成長時代から続いた大家族制度の崩壊に問題があるように感じています。又、家父長制度という明治憲法以来の長子相続という制度は殆ど機能していない。お家存続の為に長子が跡を継ぐというだけの財産は無いし、戦国時代から続いた男系長子相続という制度はもはや崩壊している。

 日本と言う国は古来、母系社会でありました。男が女の家に通い子供が出来れば母系の家で育てるという風習です。男の子は自分の力で世間に出て生きて行かねばならないという男にとり過酷な社会でしたね。しかし、社会で頑張れば子孫は残せるし、母系の家からは大事にされた。

 例えば、古墳時代、河内王朝の時代ですが雄略天皇の奥さんに葛城円(つぶら)の娘である韓媛(からひめ)は雄略の奥さんですが、旦那を取らずに実家で焼き殺されています。当時の婚姻形態をよく示しています。女は生まれた実家が大事なのですね。この制度が崩壊したのは私のつたない知識では戦国時代以降だと思います。

 武力の時代になり長子相続という男系の世界が生まれた。これは、北方遊牧民の優れた男に一族を任せるという思想ですね。そして、農耕社会では田圃の分割により疲弊する事を防ぐために農民の間でも長子相続という制度が定着した。

 しかし、戦後の資本主義による高度経済成長で家に頼らずに男は自分で核家族を形成できるようになり、実家に頼らずに生きる道が生まれた。そうすると、私が観察する限り先祖返りをして親の面倒は娘が自然に見るようになっている。気心知れた娘の方が特に母親は安心だし、気を使わないでいい。自然な古代の母系社会が復権し始めている。

 現在の民法がどうなっているか知識は無いが、明治以来の男系中心の家族制度が未だ継続しているのではないだろうか。この際、家族制度そのものを考え直す事も必要ではないだろうかと思う。国家予算を限りなく使用しなければ老人や若者の派遣村の人間の面倒を見るのは何処か社会制度に問題があるのではないだろうか。

 古代はもっと貧乏であった筈ですよね、弱者保護というのは私のような年寄りには歓迎な話だけど、家族という単位をもっと根本的に考えないと根本的な解決は無いと思います。

(閑話休題 卑弥呼の話)

 今日も、NHKのクローズアップ現代では纏向遺跡の大型建物跡は卑弥呼の宮殿かという番組をやっていましたね。NHKでは、今年の2月からずっと纏向遺跡の発掘の取材をしているのですね、流石です。今回も、前回のニュースの時と同じく東西の軸線上に規則正しく並ぶ建物に注目していましたね。飛鳥時代からは中国の影響で宮殿は南北に並ぶ前の時代、太陽信仰か三輪山信仰ではないかと言う。

 私は、継体天皇の陵墓と考えられる今城塚古墳の造り出し部で発掘された、4区画の建物を含む埴輪列も東西に並んでいる事に注目しています。それと、今夜の番組でも神戸大学の黒田さんが大型建物が大社造りである事に注目していました。真ん中に柱があるのですね。

 これからの線路を挟んだ東側の発掘も出来ればいいのですが、民有地なんでしょうね。何とか鳩山政権さん、大事な発掘を続ける事が出来るようにしてやって下さい。日本の国家発祥の地である可能性が高い訳ですからね。 

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強風日本晴れ

200911hokkaido_062  今日は朝から富士山が綺麗に見える日本晴れ、しかし強風である。

冬が訪れると富士が綺麗に見えるベランダは有りがたい。最高だ。

 (2012年の世界終焉)

 昨夜、世界不思議発見という番組では、今年の夏に訪問したユカタン半島のマヤ遺跡の特集でした。

 2012年のマヤ長期歴による2012年の世界終焉の話が取り上げられていた。マヤ暦については詳しく記事に書きましたので、興味ある人は読んで下さい。

 チチェン・イツァー紀行 ククルカン神殿

 (坂の上の雲)

 昨夜は11月末から放映が始まる司馬さんの『坂の上の雲』の番宣番組が放映されていた。随分とNHKでは力が入っているようですね、楽しみです。江戸幕府を倒した若者達には特に青写真があった訳ではないと、司馬さんは何処かの本で書いていました。

 地方の貧乏な下流武士のせがれ達が青雲の志で東京を目指し、坂の上の雲を掴む物語であり、新生日本の国の姿そのものを描きたいというのが司馬さんの小説の志であったと思います。

 根津の子規庵には数回訪問した事があります。建物は建て替えられていますが、当時の雰囲気は今も残っています。

 過去記事 根津・千駄木 明治の文学史跡散策記(2)

 過去記事 日本海海戦 第二戦隊動かず 坂の上の雲より

過去記事 敵前回頭 日本海(坂の上の雲より)

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赤とんぼ 秋合宿準備

200911hokkaido_057  『サーカス20SR』も持参する事にし整備を行った。

この飛行機に搭載されているエンジンは故障し大阪の小川精機さんに修理を依頼し帰還したエンジンです。

 過去記事 OS FS30エンジン修理完了

 『OS FS30』という小さな4サイクルエンジンです。パワーは無いですが、トルクがあるというエンジンです。

 千葉で飛ばした時からエンジンが不調で「草刈り機」と、わこちゃんに酷評されたエンジンですね。

 『サーカス20SR 千葉フライト 動画』

200911hokkaido_058 今日、かっちんが合宿用の重い荷物はピックアップに来てくれるので、既に整備完了した『オーラム・スポーツ』を持っていって貰い、『サーカス20SR』は手荷物で持参する。

 エンジンは昨夜のうちに、搭載完了し、先ほど燃料を入れエンジンの始動試験を完了した。

 (昨夜は新横浜で宴会だった)

昔のオンラインシステムのパッケージの開発部隊の仲間との宴会だった。

 哲ちゃんからの誘いで、出かけたが赤とんぼの会長の中村さんや、同じく赤とんぼの小川さんも同席だった。

 写真は哲ちゃんの、『道産子哲』に掲載されると思います。楽しい宴会でした。

1次会のあとカラオケで盛り上がったようでした、何時までも皆さん元気です。楽しい時間を有難う御座いました。私は1次会で切り上げ、翌日朝までに飛行機の整備が必要でしたので、酔った身体で深夜まで、エンジンを取り付けていました。(笑)

200911hokkaido_059  (夕焼け空)

 今日の夕焼けは素晴らしい。僅かに富士山が見えますね。

200911hokkaido_060

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纏向遺跡 大型建物跡発掘速報(続々編)

 昨夜はテレビ朝日でも纏向遺跡の大型建物跡発掘のニュースをしていました。CGを使用して建物の復元予想をしていました。報道で私が疑問を持ったのは、卑弥呼の邪馬台国である確定的証拠は魏の皇帝から受領した金印かその印を押した封泥が出土する事であると報道していた。

 しかし、金印や封泥が出土しても移動したと考えればそれまでです。移動不可能なものでなければ証拠にならない。邪馬台国東遷説というのがありますから。いずれにせよ、一般庶民でも関心がある話題なんですね。

 纏向を含む奈良県東南部一帯についての古墳群については今まで、多くの研究成果が存在します、以前にもメモを残していましたので再掲致します。

 ・オオヤマト古墳群と古代王権(その1)

 ・オオヤマト古墳群と古代王権(その2)

 ・卑弥呼考

 奈良県東南部地域である磐余地域、纏向地域、柳本地域、大和神社近くの大和古墳群地域の4か所の地域がヤマト王権の成立に関わった地域である事に変わりはない。

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平成天皇即位20周年

 『平成天皇御即位20周年記念に思う』

 昨夕、寒い中皇居前広場では第125代天皇である、平成天皇御臨席のもとに、御即位20周年記念を祝うイベントが開催されていた。寒風吹きすさぶ中のイベントでした。鉄橋に堤灯を持った天皇と皇后さまがお立ちになって、イベントを観ておられました。集まった人々は約3万人という事だそうです。美智子皇后さんとお二人、何時までもお元気でおられる事を祈ります。

 明治は45年、大正は15年、昭和は64年と大正天皇はお身体がそれ程健康ではなかったようですから、歴代の天皇の歴史を考えると御在位が長い時期が続いています。安定した天皇制が続いていると考えられます。しかし、かの大戦での敗戦時には危機でしたね、昭和天皇の苦労は並大抵ではなかったでしょうか、それを平成天皇は傍で見ておられたのでしょう、平和を祈念されるお気持ちが伝わります。

 今回のお言葉に中にも、過去の戦争を忘れてはいけない、風化させてはいけないと話されていた事が印象に残ります。日本という国は世界に類を見ない天皇制を綿綿と続けています、神武天皇は実在であったか別にして第10代天皇である崇神天皇からは実在であったと考える学者は多いと思いますし、血統としては第26代天皇である継体天皇からは確実に血統が続いていると言われています。

 京都から江戸に東幸されて140年程度は経過したでしょうか、平成天皇が初めて東京で即位の礼、大嘗祭がなされた天皇です、昭和天皇までは京都で行われていました。歴史上遷都宣言がなされていないので、今でも京都が都であるという人も関西方面では多いのではないでしょうか。さしずめ、『おかみは、東国に出かけたまま、まだおかえりやあらしまへん』という按配でしょうか。

 歴史家のあいだでは、現在の天皇制は藤原不比等が考えたという人がいますね、血を流さずに政権交代をするメカニズムが天皇制の特徴であるという。政権が交代する時に何か不変の軸が必要であり、それが天皇であるという。

 暗い寒空の中の即位20年記念の祝いを観ていると、皇室の色んな行事や伊勢神宮や大神神社の伝統行事が何故か夜行われる日本人の不思議さを感じていた。

 

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40年前のワンゲル時代

200911hokkaido_056  昭和43年春の大学4年生の時のワンゲル同期15名(田中清さんは越後でスキー教室の経営で参加出来ず。山小屋資金獲得事業で残念ながら参加出来ていない)。

 春合宿が九州で行われ、集結地である、えびの高原にて撮影。

 神戸大学体育会ワンダーフォーゲル部も今年創部50周年記念だそうだ。

 右から二番目がこの年の夏に穂高で滑落死亡した副将の(故)正井君です。

 過去記事 ワンゲル新人時代と別れ

 過去記事 懐かしシリーズ(1)

 過去記事 懐かしシリーズ(2)

 ワンゲル時代のアルバムは4~5冊あるが、写真が剥がせないのでデジタル化は難しい。懐かしい思い出の南アルプスや北アルプスの縦走や、日本各地の山を歩いた写真が満載である。

 今年の年末12月30日は恒例の同期の忘年会が大阪であります、楽しみにしています。

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継体天皇(ヲホド王)と百済

 最近古代史関連で面白いのは朝鮮半島西南部の栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基の発掘調査である。5世紀末から6世紀にかけての時期に建造されたと考えられ、日韓の研究者でその解明が本格的に進んでいる。概要については以前記事を書きましたので、参考にしてください。

 参考過去記事 『栄山江(ヨンサンガン)流域の前方後円墳13基』

 朝鮮半島南西部はどうやら百済が高句麗に押され南下するまでは昔の馬韓の人々が活躍していたという。土器の分析や墳墓の研究から、彼らは倭国の九州の土器や墳墓形態と類似する事が判り始めている。どうやら、海の民として九州の海の民と密接な関係があったようだ。

 しかし、5世紀末から6世紀に突然に前方後円墳が築かれ始め、何か政治的な激動が起こったようですね。時代は、百済が高句麗の南下に押され都を南下させた時期であり、日本では継体天皇が河内王権に変わり新しい時代を迎えた頃にあたります。

 森浩一先生の『記紀の考古学』第18章の「越と継体・欽明王朝」に興味ある記述があります。栄山江(ヨンサンガン)の光州市の月桂洞(ウォルゲゾ)1号墳=墳丘の長さ45メータの前方後円墳、から円筒埴輪や朝顔形埴輪、石見型立物が出土し注目している。

 橿考研の小栗明彦さんの分析によれば、制作のある段階で円筒を倒立、即ち天地を逆にして更に制作を続ける「倒立技法」により制作されたものであり、日本列島では、東海と北陸とを南北に繋ぐライン上に集中しているという。日本海側では石川県小松市の矢田野(やたの)エジリ古墳やそこへ埴輪を供給した同市の二ツ梨殿様池窯址(ふたつなしとのさまいけようし)の物であると断定。

 森先生は小松が日本海により百済南部と結ぶ海のルートの一拠点ではないかと仮説をたてておられます。(小松は多分に高麗津、小松市の額見町遺跡ではオンドルを具えた住居址がある)この場所は、継体天皇の母方の祖母アナニ媛の拠点であり継体天皇の地盤のひとつである。又、東海地方は継体天皇の最初の奥さん、尾張連草香の娘である目子媛(めのこひめ)の地盤ですね。(安閑・宣化天皇を産む)

 ここからは、仮説になりますが、状況証拠から栄山江流域に突然に発生した日本独自の前方後円墳を築いた人々は継体天皇と深い関係にある人々ではないか、継体天皇の意思で起こされた政治的行動ではないかと推察できる。その理由は何だろうか、朝鮮半島南西部は古来、九州の政治勢力と深い関係が存在した、所謂、馬韓の海の民である。そこに、百済と継体天皇は連携して楔を打ったのではないかという推測です。

 筑紫の君、磐井と継体天皇の戦争は新羅・磐井連合と継体・百済連合の海のルート争奪の戦争だった可能性が類推されますね。河内王権は中国戦略として南朝を相手に活動してきたが、時代は北朝の時代に変化しており、北朝とチャネルを持たないヤマト王権は百済の力を借りて北朝とのチャネルを築こうとした可能性があります。

 百済は都を高句麗に追われ南下する、しかし、従来の馬韓・九州連合の勢力が存在し局面打開を新しい日本の政治家に求めたのではないだろうか。それが、継体天皇であると考えるとどうでしょうか。

 (継体天皇と百済の密接な関係)

 私が生まれ育ったのは枚方という場所です、正確には北河内郡大字招堤村ですね、継体さんが即位したのが樟葉宮です、隣の村ですね。枚方は淀川水系の重要な潟が存在した場所です、百済寺跡があり和邇博士の墓もあり百済と関係が深い場所です。今まで、数多く継体さんと枚方・樟葉に関する記事は書かせて頂いた。

 継体さんが樟葉から筒城宮に移されたが、そこはイワノ媛さんが拠点にされた百済の人々が多く存在した場所ですね。百済国人の怒理使臣(ヌリノミ)の拠点であり水海連(あまのむらじ)、調日佐(つきのおさ)、民首(たみのおびと)などが存在した。

 継体天皇は淀川水系から瀬戸内海航路を抑え、且つ、日本海ルートも掌握していたと考えられます。

 中国の南朝の時代が終わり、北朝の時代に激動しようとしていた時代、朝鮮半島では高句麗が勢力を伸ばし南下し百済の都を陥落させ南下を余儀なくさせ、新羅が台頭しようとしていた新しい時代に継体天皇は推挙され、従来の南朝一辺倒であった日本の政治を転換させた訳です。百済との深い関係は継体天皇が切り開き、欽明天皇から飛鳥王朝に引き続がれたのですね。

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纏向遺跡 大型建物跡発掘速報(続編)

 承前 卑弥呼の宮殿発見か

 参考 MuBlog 卑弥呼の墓 纏向遺跡の宮殿跡

 昨日の報道に関して思うところを少し補足したいと思います。今年の3月に発掘された建物から直線上に整然と並ぶ巨大建物の柱跡列を持つ建物跡の発掘は歴史的な発掘になる可能性があると思います。

 突然に三輪山山麓に出現した箸墓古墳を盟主とする、巨大な前方後円墳群、所謂、三輪古墳群は強大な権力機関が此処に発生した事を遺跡や遺物が語っています。その場所が纏向遺跡と呼ばれています。弥生時代の遺跡として有名な唐古・鍵遺跡はこの場所から少し低い位置に存在し稲作が早く発達した場所と知られています。

 三輪古墳群の北の方角に進むと、渋谷向山古墳、行燈山古墳に代表される柳本古墳群が続き、更に北に進むと西殿塚古墳、東殿塚古墳、中山大塚古墳といった大和(おおやまと)古墳群が連なります。古墳時代初期の巨大前方後円墳が目白押しな場所となっています。

 この中で、三輪古墳群が一番時代が古いと考えられその中でも箸墓古墳が最大、最古と考えられています。箸墓古墳の周りには同じく古墳時代初期の石塚、勝山、矢塚、東田大塚といった初期の前方後円墳が集中しています。参考 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡紀行

 従い、纏向地域が如何に重要であるかが判りますね。そして、今迄、百数十回に渡る纏向地域の発掘がなされて来ました。その成果として古墳時代初期の土器形式の詳細な編年が完成したのです。これは、考古学の大きな成果だったと思います。

 土器編年から箸墓古墳は3世紀末から4世紀初頭の築造であると考えられ、魏志倭人伝で述べる卑弥呼の死亡年度の3世紀中葉とは時間軸で合わないのが常識でありました。しかし、歴博では放射性炭素14法とAMS法、そして年輪年代法で確定した古代の木材に含まれる炭素14を測定し較正曲線を作り正確な年代を測定する作業が始まり、今年5月に箸墓古墳は240年~260年に建造であり、卑弥呼の死亡時期と合致すると発表した。

 日本考古学協会の研究発表の席に私も参加していたが、学会全体としては議論が始まったばかりである。しかし、弥生時代の始まりを正確に九州北部から四国、瀬戸内海、近畿と考古遺物から放射性炭素14法で時代を確定して行く作業が続いており、100年~500年程度は弥生時代が従来の年代より古い時代にシフトする可能性が検討されている。

 (大型建物の配置に関する考察)

 直線上に規則正しく4棟の建物が確認されたようですが、これは、今城塚古墳(継体天皇陵墓と研究者なら誰でも認める陵墓)の造り出し部で発見された埴輪祭祀場の構造に似ているという事がこれから研究されると思います。考古学に於いて、古墳の研究は進んでいるが意外と政治の中枢である宮についての研究が進んでいないのが現状です。

 現在僅かな手掛かりは、今城塚古墳で発掘された東西65メータ、南北10メータの膨大な埴輪群から推測するしか手はないのではないか。そして、今回の大型建物跡の発掘です。今城塚古墳から出土した兵士、巫女、力士、鶏、その他鳥、建物群、等々の配置や役割から当時の政治形態を分析可能と思われます。

 詳しくは高槻市教育委員会発行の『継体天皇の時代 徹底討論 今城塚古墳』を読んで下さい。

 (桜井茶臼山古墳の発掘も気になる)

 竪穴石室に200キロもの辰砂を使用した磐余の大王の墓との関係が気になります。現在の貨幣価値に置き換えると八億円相当の価値である辰砂を使った大王は誰なのか、気になります。時代は同じく古墳時代初期ですが従来は4世紀初頭だという説ですが、今回の橿考研は放射性炭素14法で正確な年代を来年には発表すると思います。

 記紀では神武天皇がヤマト王権の初代王であり名前はイワレ彦、箸墓に眠るのは10代天皇である崇神天皇の時代のヤマトトトビモモソヒメ。記紀では彼女は特に王ではなかったが、巫女として描かれている。

 戦後の歴史学、考古学の世界では欠史8代とか記紀を軽んじる風潮がありました、しかし、武寧王稜の発掘で日本書紀が正確である事が証明された。全くの出鱈目を歴史書として書いた訳ではない。 参考過去記事 日本書紀は誰が書いたか

 ただ、奈良時代には崇神さんの時代頃の政治形態を認める訳にいかない男性王中心の政治形態だった影響が卑弥呼のような巫女王を許さなかったかもしれない。

 それと、記紀を読んでいると男性の神に墳墓は登場しない、女性ばかりである。男の神は『おかくれになる』、何処かに姿を消してしまわれるとあり、墳墓の記述は女性ばかりである。大物主さんも、イザナギさんも、ちゃんとイザナミさんは熊野に埋葬されているのに男神は行方知れずである。どうも墳墓は女性だけが対象になったようなんですね。

 ともあれ、来年には桜井茶臼山古墳や纏向遺跡の研究成果発表があると思いますので楽しみに待ちましょう。

 

 

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卑弥呼の宮殿発見か

 奈良県桜井市教育委員会は三輪山山麓、卑弥呼の墓とも仮説がある箸墓古墳の地域である纏向(まきむく)遺跡の発掘を本格的に始めていたが、本日、3世紀前半から中葉と考えられる大型の建物跡を発掘したと報道した。

 ・朝日新聞速報 三世紀前半の大型建物跡 邪馬台国の中枢施設か

 ・読売新聞速報 卑弥呼の宮殿? 奈良で3世紀の大型建物跡出土

 ・毎日新聞速報 3世紀前半の建物跡 邪馬台国か

NHK動画ニュース

MuBlog 卑弥呼の墓 纏向遺跡の宮殿跡

 ヤマト王権が奈良県東南部の三輪山山麓である纏向(まきむく)地域と磐余(いわれ)と呼ばれる同じ桜井市に発生した事を疑う考古学者は殆ど居ない。しかし、長年の纏向での発掘作業の努力でも大型建物跡(宮殿跡)が発掘されていなかった。それが、最大の問題でありました。

 今回の大型建物跡の発掘により、纏向地域は前方後円墳の古墳時代をスタートさせた単なる埋葬場所だけではなく、都市も存在した事になり非常に重要な発表となります。

 今年夏に、歴博では箸墓古墳の築造時期を放射性炭素14法、AMS法、年輪年代法から割り出した木材の空気中炭素14濃度の総合分析から紀元240年から260年と発表し卑弥呼の墓であると発表している。(学会では未だ議論中)

 そして、箸墓から南の位置にある桜井茶臼山古墳の60年ぶりの再発掘が橿原考古学研究所により実施され、磐余の大王墓として相応しい墓である事を再認識し、科学的な古墳の築造年代の発表が待たれる状態である。

 2世紀の弥生時代終末期まで日本列島では明らかに九州に巨大な権力が集中していた、しかし、中国の漢王朝の衰退と朝鮮半島の動乱により日本列島の秩序は乱れ、倭国大乱の時代を迎えて、終止符を打ったのが卑弥呼の邪馬台国であると魏志倭人伝は述べる。

 江戸時代から続く邪馬台国論争は九州説と奈良県東南部の纏向地域、磐余地域、所謂、桜井市あたりと論争が明治以降も続き現在に至っている。日本国家の起源に関わる問題であり事は重要である事は歴史学者であれ考古学者であれ、日本国民にとり最も重要な起源に関わる問題である。

 新聞はセンセーショナルな見出しで気楽な無責任な報道をしているが、桜井市教育委員会は大型建物跡を発掘したと報道しているだけだ。今後、その建物跡を学術的に分析し本当に宮殿と考えられる物なのか、遺物にその痕跡があるのか、本格的な科学的調査と分析が必要だ。

 友人のMuBlogの『日曜古代史研究家』のMu先生は宮殿跡はもっと山手のほうであると仮説を述べておられる。さて、どうなるでしょうか、今後の発掘と研究成果が待たれるが、纏向地域全域を国の重要文化財に指定し広範囲な発掘をすべきであると考えます。

 参考過去記事 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡紀行

 参考過去記事 箸墓古墳築造年代(歴博発表)

今年3月の纏向遺跡ニュース

 (追伸)

 先ほど、夜9時からのNHKのニュースでは神戸大学の黒田龍二先生が興味ある発言をしていました。今回の大型建物は出雲形式であるが、直線上に並ぶ隣の建物は伊勢神宮形式の建物であるという。

 その根拠については見逃したが、もしそれが本当であればとても重要です。

 思いだすのは、崇神天皇の時代(記紀ではヤマトトトビモモソヒメが箸墓古墳に埋葬されたと伝える)に疫病が流行し出雲の神様を大事にしないからだとお告げがあり、アマテラスの神を宮殿から追い出したという記事がありますね。同時に、出雲形式の宮殿と伊勢形式が存在すれば、疫病前に一緒に祭られていた状態の遺構かもしれない。

 これからの纏向遺跡での研究が本当に面白くなるかも知れませんよ。 

 (追加 参考資料)

 今城塚古墳(継体天皇陵墓と研究者の間では考える)の埴輪祭祀と今回の建物4棟の配置は関係があるのではないでしょうか。 参考 高槻市教育委員会資料  同じく

 『継体天皇の時代 徹底討論 今城塚古墳』でも触れましたが、この本で討論されている東西65メータ、南北10メータの埴輪祭祀場の埴輪列も4区画に分割されています。

 ヤマト王権の大王の政治の姿の原型が今回の纏向遺跡の建物配列にあるとすれば、重要な発見となります。今城塚古墳の埴輪祭祀場の考え方にも学者により異なりますが、当時の政治の姿を表現している事に変わりは無いと思います。

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ラジコン飛行機の準備

200911hokkaido_055  11月27日(金)より恒例の『赤とんぼ』秋合宿が白馬村で開催される予定です。

 26日まで京都に滞在しているので、今のうちに準備をしておかねばなりません。

 今回は『オーラム・スポーツ』機を持参する事にしました。昨年の秋に白馬村で飛行させた状態で保存されていたのですが、一部に不具合があり今日は修理をした。

 エンジンの調整もしたかったですが、プラグのチェックだけで済ませた。

200911hokkaido_053この飛行機は何回も飛んでいるので、試験飛行も必要ないと思います。

 昨年の『赤とんぼ 30周年記念』秋合宿の時の姿です。

 写真 2008年秋(白馬村)にて

 今回は1機だけ持参する積もりです。

11月20日から26日の期間は京都に帰省しております。義母の3回忌なんですね。MuBlogの旦那さんと又、古代史探訪の旅が出来そうなので、楽しみにしています。

 3回忌には又、義母の親戚関係者が多数出席されるようなので、近江の古代史について沢山話が聴けそうなので、それも楽しみです。

 (本日NHK総合11時から爆問学問番組に長尾先生)

 今日の夜11時からの爆問学問では、ふうてん老人さん、Muさんの御師匠さんの長尾先生が登場されるようですね。楽しみです、今は、国立国会図書館の館長さんをされているんですね。ふうてんさんのお陰で長尾先生の勉強会でMuさんとも出会えた訳ですから人の出会いとは不思議なものですね。

 さて、長尾先生は今回はどんな珍しいもので皆さんを驚かされるんでしょうか、ワクワクですね。

 番組紹介 爆問学問11月10日(火)夜11時~

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