今週は内田康夫さんの、浅見シリーズの『斎王の葬列』を読んだ。
(舞台背景)
・近江の国と伊勢の国を結ぶ、鈴鹿峠が舞台である。旧東海道の箱根に次ぐ難所である。
・古代に於いて天皇家では若い皇女を伊勢神宮と賀茂神社に斎王を送り続け、祭祀をさせた歴史を踏まえている。
・伊勢神宮の少し、北に斎宮が営まれ巨大な斎王の為の宮が存在した。天皇の代が変わると、新しく若い皇女が斎王として選ばれ、嵯峨野の野の宮で1年間ほど潔斎修行にはいり、5泊6日の斎王の旅が始まる。
・新しく、選ばれた斎王は多くの従者を連れて伊勢路に赴くわけですね、何が因果か巫女さんにさせられた、皇女は万感胸に赴任します。
・斎王が宿泊される場所が、屯宮である。滋賀県の野洲川上流の鈴鹿峠に向かう場所に垂水屯宮(跡)が存在します。
舞台のメインはこの場所であります。土山町付近、田村神社のまわりであります。
(人形代 ひとかたしろ)
・舞台演出として人形代(ひとかたしろ)というこけしをスライスしたような、人形が登場します。これは、平城京跡の遺跡からも、井戸跡とか側溝跡とかから多量、発掘されています。病気の時とか怪我した時とか、災いを受けた時に
本人に代わり難儀を引き受けてくれる、便利な人形です。
・皆さんがお好きなのは、丑の刻に藁人形に五寸釘を打ちつける奴ですね。これは、呪いの人形です。
(斎王の不思議)
・皆様がよく御存知なのは、悲劇の皇子『大津の皇子』のお姉様が斎王でしたね。弟の反逆罪により解任されて、彼女は大和に戻ります、二上山に葬られた無念の弟を偲んで歌を詠みましたね。
・皇室の祖先神である天照大神が大和ではなく、遥か離れた伊勢にあるのか? そして、何故に人質のように皇女を巫女さまとして、赴任させるのか? 諸説ありますが、不思議な歴史的事実であります。
・私は、先日MuBlogの三輪山紀行の記事において、コメントしました、そしてMuさんの見解も纏まって記述されていますので、参考にして下さい。私の意見は以下です。
ー元々は三輪山周辺において出雲王権が栄えていた。卑弥呼、台与の巫女さん政治の時代。そこに、崇神さまが来られ、出雲王権を打ち倒し、新しく『崇神王権』を樹立した。
ーしかし、疫病が流行し人口が激減するほどの危機的状況が生まれ、出雲の祟りであると民衆は考えた。そこで、天照大神を申し訳無いけど、三輪の近くの元伊勢から伊勢の国に移し、大和では出雲の子孫を探し祭司として任命し三輪大神を祭る事で国難を逃れた。
ーそれ以来、大和から遥か遠ざけられた伊勢神宮の天照大神さんが機嫌を損なわないように、皇女の巫女さまをお傍に置くようにした。
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