『継体天皇の時代 徹底討論 今城塚古墳』 高槻市教育委員会 吉川弘文館

 最新の発掘成果を元にヲホド王(継体天皇)の陵墓と学会では認めている今城塚古墳について歴史学者、考古学者が徹底的に議論された内容を収容されている。

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(1) 白石太一郎先生の考え

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(2) 和田萃先生 二人のホド王

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(3) 森田克行先生

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(4) 和田晴吾先生

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(5) 水野正好先生

 

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吉野ヶ里 邪馬台国が見えてきた

”吉野ヶ里” 邪馬台国が見えてきた 高島忠平・森浩一監修 アサヒグラフ編 朝日新聞社 1989年7月

本日の”プロジェクトX”では、七田忠昭さんと、その父の物語でした。私は、既に上記本にて七田さんの書を読んで感動した記憶が蘇りました。

細かく、この本について語る積りは有りませんが、発掘物の写真が多く眺めているだけで、ワクワク致します。

巨大な弥生の環濠遺跡、楼閣、墳丘墓、柵がめぐる城壁、甕棺、巴形銅器、有柄銅剣、ガラス製管玉、内行花文鏡の破片、等々の遺物。

魏志倭人伝の”弥奴国”ではないかと、言われる吉野ヶ里。これまでは玄界灘に面する遺跡が注目されていたが、吉野ヶ里で有明海が注目された。

私の父が佐賀県、唐津の出身であり、昔から有明海には興味が強くありました。父の実家は江戸時代からの海外貿易商でしたから、庭に貿易船を入れていたそうです。この、有明海は中国との交易に於いて実に便利な場所だそうです。

長江下流域から黄海に出れば、有明海に着くそうですね。稲の伝播について、最近は稲のDNAの研究が進み、長江下流域の陸稲の伝播、そして水稲のジャポニカ種の伝播もこの有明海が有力です。

私は、玄界灘に面する博多とか伊都国、奴国、という系統と吉野ヶ里はルーツが異なるような、気がします。
朝鮮半島系統と中国南部系統、所謂、呉の系統ですね。

いずれにせよ、九州は大陸の玄関口ですから、早くから大陸及び朝鮮半島の近代文明をいち早く、受容れた先進文明が開花した場所であったと思います。

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斎王の葬列 ミステリー

今週は内田康夫さんの、浅見シリーズの『斎王の葬列』を読んだ。

(舞台背景)

・近江の国と伊勢の国を結ぶ、鈴鹿峠が舞台である。旧東海道の箱根に次ぐ難所である。

・古代に於いて天皇家では若い皇女を伊勢神宮と賀茂神社に斎王を送り続け、祭祀をさせた歴史を踏まえている。

・伊勢神宮の少し、北に斎宮が営まれ巨大な斎王の為の宮が存在した。天皇の代が変わると、新しく若い皇女が斎王として選ばれ、嵯峨野の野の宮で1年間ほど潔斎修行にはいり、5泊6日の斎王の旅が始まる。

・新しく、選ばれた斎王は多くの従者を連れて伊勢路に赴くわけですね、何が因果か巫女さんにさせられた、皇女は万感胸に赴任します。

・斎王が宿泊される場所が、屯宮である。滋賀県の野洲川上流の鈴鹿峠に向かう場所に垂水屯宮(跡)が存在します。
舞台のメインはこの場所であります。土山町付近、田村神社のまわりであります。

(人形代 ひとかたしろ)

・舞台演出として人形代(ひとかたしろ)というこけしをスライスしたような、人形が登場します。これは、平城京跡の遺跡からも、井戸跡とか側溝跡とかから多量、発掘されています。病気の時とか怪我した時とか、災いを受けた時に
本人に代わり難儀を引き受けてくれる、便利な人形です。

・皆さんがお好きなのは、丑の刻に藁人形に五寸釘を打ちつける奴ですね。これは、呪いの人形です。

(斎王の不思議)

・皆様がよく御存知なのは、悲劇の皇子『大津の皇子』のお姉様が斎王でしたね。弟の反逆罪により解任されて、彼女は大和に戻ります、二上山に葬られた無念の弟を偲んで歌を詠みましたね。

・皇室の祖先神である天照大神が大和ではなく、遥か離れた伊勢にあるのか? そして、何故に人質のように皇女を巫女さまとして、赴任させるのか? 諸説ありますが、不思議な歴史的事実であります。

・私は、先日MuBlogの三輪山紀行の記事において、コメントしました、そしてMuさんの見解も纏まって記述されていますので、参考にして下さい。私の意見は以下です。

ー元々は三輪山周辺において出雲王権が栄えていた。卑弥呼、台与の巫女さん政治の時代。そこに、崇神さまが来られ、出雲王権を打ち倒し、新しく『崇神王権』を樹立した。

ーしかし、疫病が流行し人口が激減するほどの危機的状況が生まれ、出雲の祟りであると民衆は考えた。そこで、天照大神を申し訳無いけど、三輪の近くの元伊勢から伊勢の国に移し、大和では出雲の子孫を探し祭司として任命し三輪大神を祭る事で国難を逃れた。

ーそれ以来、大和から遥か遠ざけられた伊勢神宮の天照大神さんが機嫌を損なわないように、皇女の巫女さまをお傍に置くようにした。

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三星堆・中国古代文明の謎

『三星堆・中国古代文明の謎ー史実としての(山海経)』 あじあブックス 徐朝龍 ISBN4469231436 大修館書店

(目次)

1章: 奇書『山海経(せんがいきょう)』

2章: 三星堆文明の素描

3章: 不思議な縦目青銅仮面

4章: よみがえる崑崙

5章: 神樹伝説の源流

6章: 西王母と三星堆王国

三星堆博物館

中日文化交流 三星堆遺跡Web

三星堆遺跡 Web

1993年7月に『謎の古代文明 三星堆遺跡は何を物語るか』 徐朝龍 & NHK取材班 NHK出版 が当時、NHKの特別番組と連動して読まれました。

とにかく、巨大な青銅の目玉が飛び出た仮面、巨大な青銅で出来た神樹 等 度肝を抜いた長江文明の衝撃でした。
長江中流、下流に比較して文明の萌芽は新しいが、明らかに稲作・漁撈長江文明の傑作の発掘でした。

中国の北の黄河の龍の文明、小麦・牧畜文明とは異なる文明が同時に花開いていた事がわかったのは最近なのですね。実は、この北の文明と南の文明が衝突し東アジアの独特の文明が形成されてゆくのです。

私はアーモンドの形をした目と渦巻き文様に中米、南米の文明との共通点が気になっています。

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長江文明の謎

『古代日本のルーツ 長江文明の謎』 安田善憲(よしのり) 青春出版社 ISBN4-413-04061-9 2003年6月

(帯情報)

長江文明に遺されていた日本文化の痕跡・・・・・。
その衝撃の真相を 環境考古学の第一人者が解く!

(概要)

・中国には二つの文明が存在した。黄河流域の麦作、牧畜文明と長江流域の稲作、漁撈文明である。
・北の文明は龍を神とする。南の文明は太陽とそれを運ぶ鳥、そして蛇を神とする。
・地球環境の激変により北の民族は南下を始めた。そして南の民族を征服し、一部四散した。今苗族に残存する。
・『史記』によれば、夏王朝の時代南下した記録がある。その時に長江下流域の人々は船に乗り九州南端と対馬海流に乗った連中は出雲、丹後半島、能登、所謂『越』の国に漂着した。(長江下流域は越と呼ばれ、日本の越前、越後、越中の土地の名前はここからきている)
・日本建国神話の降臨神話の高千穂峰は彼等が漂着した九州南端の思い出を語っている。そして、神武東征神話は九州から大和へ向かう。
・皇孫『ニニギノミコト』が天孫降臨されたのは、南九州『笠サの岬』である。木の花咲耶姫に出会う。
・従来の縄文文明から弥生文明の始まりである。ここで、縄文に弥生が重層する。
・麦作・牧畜文明は崇神天皇から大和で始まる。ここで、崇神天皇5年に結核病(牛から)が大陸からもたらされ、半数の国民が死ぬ。その後、天然痘。インフルエンザ、ジフテリア等の北方民族の疫病が古墳時代に始まる。
・そこで、又、三輪山を崇める。
・継体天皇は再度、南の文明に王朝を交代させた。稲作・漁撈・海洋民族が権力を奪還する。
・天武天皇の英断。 北の牧畜民の文明である唐帝国と新羅連合にたいして、北の文明の素晴らしい国家体制であるとか、いいところを取り入れ、中央集権国家を目指し、精神世界では南の文明、太陽・鳥・蛇を残した。和魂洋才の始まりである。

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黄泉の国の考古学

”黄泉の国の考古学”  辰巳和弘 講談社現代新書 ISBN4-06-149330-2 650円 1996年11月 

(帯情報)
海沿いの洞穴遺跡から出た舟形の木棺は何を意味するか。
古墳壁画に描かれた霊船や太陽や馬は?
”遥か彼方”に他界を見た古代人の心を再現し、考古学の常識を覆す画期的論考。

(目次)

・くつがえる古墳時代観
・舟形木棺の発見
・”籠もり”と”再生”の洞穴
・他界への旅立ち
・船葬論争
・古墳壁画の世界
・天翔る霊船
・霊魂を運ぶ馬
・形象埴輪の思想
・彼の国・常世の国

(死後魂は何処へゆくか?)

さて、死んだあと魂は何処へ行くのでしょう? 葬送儀礼とかお墓の造り方にそれは現れると思います。葬送儀礼とかお墓はなかなか時代が変化しても、保守的で民族は変えようとしません。

遥か海の彼方にあの世がある。天空にあの世がある。山の中にある。 地中奥深くにある。概略以上の範疇に分類されといいます。著者は多くの誌面を割いて船葬を論じておられますが、別に古代人は色んな”あの世観”を持っていたと論じています。

海の彼方であれば、棺桶を船の形にして葬送しますね。今も沖縄ではお盆では先祖が海から来られます。
感動的なのは、子供のお墓で”アジサシ”を抱いて葬送した例が記述されていました。天空の彼方に導いて欲しいのか、又、アジサシのように蘇って来てくれるのを願望したのか、判りません。

(前方後円墳 論考)

氏は前方後円墳について、”壺形の宇宙”説を述べています。始皇帝の時代、蓬莱・方丈・えい州という仙人が棲むといわれる三神山の思想がありました。この三神山は三壺山とも呼ばれそれぞれ、蓬壺・方壺・えい壺と呼ばれた。壺のような形をしていたからだそうです。不死の理想世界は東海に浮かぶ壺形の山であると。

同時に、葺き石を古墳には敷設したので、磐座信仰とも関係が深いと論じています。

(滋賀とある田舎の葬送儀礼)

私の家内の親戚が滋賀の安土近くのとある、村であるが、不思議な葬送儀礼に立ち会う事になった。
20年以上も前の話ですが、親族の男ははだしになり、白の装束にて頭には白い三角の鉢巻をして、棺桶を担ぎ野辺の道を行きます。土葬ですね、最後に墓場では蓋を開け最後の別れの儀礼をして沈めて行きます。

自分の意思で葬式は決める事が出来ますが、さて、葬式は周りの人々がするもんですね。これが難しいです。

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日本の地名

”日本の地名”  谷川健一  岩波新書 ISBN4-00-430495-4 1997年4月 初版

(帯)

地名に秘められた名もなき人びとの物語。

地名は、それに接する物に顕微鏡をのぞいてはじめてわかるようなミクロの世界を提示する。
(・・・・・・)地名はこのように”いと小さきもの”であるが、一方それは大きな世界とつながっている。
ここに地名の逆説があり、それこそが地名の最大の魅力でもある。

(目次)

第一章 地名の旅・・・・黒潮のながれに沿って

第二章 地名と風土・・中央構造線に沿って

第三章 地名を推理する・・・白鳥伝説の足跡を訪ねて

 ・こふの原
 ・物言わぬ皇子
 ・足を痛めた英雄
 ・金屋子神のゆくえ
 ・鳥取という地名
 ・北の白鳥伝説

第四章 固有地名と外来地名・・・・”波照間”論争をめぐって

結語

民俗学が御専門の先生ですね。古くから残る地名を頼りに歴史の旅に出る。今は市町村合併とか明治の時に県の名前ももうすこし歴史を踏まえた、ネーミングがされていれば・・・と思います。静岡県?駿府県の方がいいと思うし、福島県もなんやろね?概ね、明治政府に反抗した地方は今だに県の名前も県庁所在地も徳川時代のものから変更された。

本から外れてしまいましたね、第三章だけ詳細な目次を掲載しましたが、私もヤマトタケルには興味があり、応神天皇から始まる河内王朝と卵から生まれた伝説を持つ、同じく物部氏の関係について面白く読ませていただいた。

物部氏と出雲の鳥取(とりかいべ、飼鳥部)とその一族の東日本での活躍の史跡、そして東北地方一帯に広がる白鳥伝説の跡。

著者が述べておられますが、小さな地名を顕微鏡で覗けば雄大な歴史ガ見えてきますね。

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草原の記

”草原の記” 司馬遼太郎  新潮文庫 ISBN4-10-115237-3 400円  平成7年10月 初版

(扉)

史上空前の大帝国をつくりだしたモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。

少年の日、蒙古への不思議な情熱にとらわれた著者が、遥かな星霜を経て出会った一人のモンゴル女性。
激動の20世紀の火焔を浴び、ロシア・満州・中国と国籍を変えることを余儀なくされ、いま凛々しくモンゴルの草原に立つその女性を通し、遊牧の民の歴史を語り尽くす感動の叙事詩。

司馬さんとツベクマさんとの出会いから、彼女の過酷な歴史を振り返り、司馬さんは彼女に惹かれてゆく。
彼は13世紀に世界を制覇した、オゴタイ・ハーンと現代のツベクマ女史を対比させ、不思議なモンゴル民族の歴史を愛情と憧憬をもち語る。

常に風の如く暮らし、奇跡的なほど欲望すくなく生きてきた民族に惹かれる作者があります。
私達、日本人のDNAには少なからず、このモンゴルの民族の一部が入っています。

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日本人とは何か

”日本人とは何か”  日本の古代 別巻 岸 俊男・森 浩一・大林太良 編 中央公論社   ISBN4-12-402549-1 2200円  1988年10月 初版 

監修
貝塚茂樹 江上波夫 司馬遼太郎

1.東アジアのなかの日本民族の形成と文明の曙
 ・・・・・・・江上波夫

2.日本の文字文化を銅鏡にさぐる
 ・・・・・・・森 浩一

3.王権の系譜ーーー大嘗祭と磐井
 ・・・・・・・大林太良

4.万葉挽歌の世界
 ・・・・・・・和田 卒

5.古代日本人と銭貨
 ・・・・・・・栄原永遠男

6.日本古代の人口
 ・・・・・・・鎌田元一

7.日本のなかの律令制
 ・・・・・・・狩野 久

8.古代史と身辺雑話
 ・・・・・・・司馬遼太郎


実は日本の古代 全15巻 が編纂された。しかし、これは最後の別巻として”日本人とは何か”という学者の世界だけでは解決出来ない未来に向った、というか、若者にまだまだ、判らん事ばかりだよ~~~と、呼びかけた記録である。

日本人を考えることは簡単ではない、複雑な民族の移入の連続であり、私が考えるにユーラシアの東の終着点であり且つ、融合しなければ生きてゆけない、他に行く所が無い世界でした。
このように、大陸では考えられない終着点の環境が日本人の精神構造と社会システムを作り上げて来たと考えます。

この別巻はそういう意味で、変な、学問とは少し距離がある本として作らざるを得なかったようなそんな本でした。

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杜甫の 旅

『杜甫の旅』 田川純三 新潮選書 ISBN4-10-600435-6 1200円 1993年4月 初版

(帯)

生涯を旅に終えた漂泊の詩人杜甫。その旅は、例えば安禄山の乱を避け、
妻子を伴って長安を脱した黄土の道で、泥濘に足を取られ飢えと寒さに
見舞われるなど、艱難多いものであった。
それから、千二百年後、黄河取材をはじめとする、度重なる私の中国の旅
のなかで、杜甫の旅は他人事ではなくなっていた。
そして今、中国理解の為には何よりも歴史と現代の対話を、と心がけている
私にとって、杜甫はたしかで手ごわいキャッチボールの相手となっている。

田川純三

・終始中国関連の番組を多数手がけ、『シルクロード』、『大黄河』の二大
特集番組のチーフデイレクターをつとめた。
・平成元年退局し、静岡精華短大で中国文化史、中国文学を講じた。

シルクロードも大黄河もともに大好きな番組でした。デイレクターが番組を現場
で指揮する役目です。 その人が杜甫の恵まれない人生模様と彼を取り巻く
中国の歴史を描写して、そして、その時の気持ちを表現した、『杜甫の詩』を
記録した。

楽しませて頂いた本です。

(春 望)

国破山河在 国破れて、山河あり
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濯涙 時に感じて花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金にあたいす
白頭掻更短 白頭 掻けば更に短く
揮欲不勝簪 すべて 簪にたえざらんと 欲す

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