『継体天皇の時代 徹底討論 今城塚古墳』 高槻市教育委員会 吉川弘文館

 最新の発掘成果を元にヲホド王(継体天皇)の陵墓と学会では認めている今城塚古墳について歴史学者、考古学者が徹底的に議論された内容を収容されている。

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(1) 白石太一郎先生の考え

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(2) 和田萃先生 二人のホド王

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(3) 森田克行先生

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(4) 和田晴吾先生

 ・今城塚古墳 ヲホド王(継体天皇)を考える(5) 水野正好先生

 

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吉野ヶ里 邪馬台国が見えてきた

”吉野ヶ里” 邪馬台国が見えてきた 高島忠平・森浩一監修 アサヒグラフ編 朝日新聞社 1989年7月

本日の”プロジェクトX”では、七田忠昭さんと、その父の物語でした。私は、既に上記本にて七田さんの書を読んで感動した記憶が蘇りました。

細かく、この本について語る積りは有りませんが、発掘物の写真が多く眺めているだけで、ワクワク致します。

巨大な弥生の環濠遺跡、楼閣、墳丘墓、柵がめぐる城壁、甕棺、巴形銅器、有柄銅剣、ガラス製管玉、内行花文鏡の破片、等々の遺物。

魏志倭人伝の”弥奴国”ではないかと、言われる吉野ヶ里。これまでは玄界灘に面する遺跡が注目されていたが、吉野ヶ里で有明海が注目された。

私の父が佐賀県、唐津の出身であり、昔から有明海には興味が強くありました。父の実家は江戸時代からの海外貿易商でしたから、庭に貿易船を入れていたそうです。この、有明海は中国との交易に於いて実に便利な場所だそうです。

長江下流域から黄海に出れば、有明海に着くそうですね。稲の伝播について、最近は稲のDNAの研究が進み、長江下流域の陸稲の伝播、そして水稲のジャポニカ種の伝播もこの有明海が有力です。

私は、玄界灘に面する博多とか伊都国、奴国、という系統と吉野ヶ里はルーツが異なるような、気がします。
朝鮮半島系統と中国南部系統、所謂、呉の系統ですね。

いずれにせよ、九州は大陸の玄関口ですから、早くから大陸及び朝鮮半島の近代文明をいち早く、受容れた先進文明が開花した場所であったと思います。

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斎王の葬列 ミステリー

今週は内田康夫さんの、浅見シリーズの『斎王の葬列』を読んだ。

(舞台背景)

・近江の国と伊勢の国を結ぶ、鈴鹿峠が舞台である。旧東海道の箱根に次ぐ難所である。

・古代に於いて天皇家では若い皇女を伊勢神宮と賀茂神社に斎王を送り続け、祭祀をさせた歴史を踏まえている。

・伊勢神宮の少し、北に斎宮が営まれ巨大な斎王の為の宮が存在した。天皇の代が変わると、新しく若い皇女が斎王として選ばれ、嵯峨野の野の宮で1年間ほど潔斎修行にはいり、5泊6日の斎王の旅が始まる。

・新しく、選ばれた斎王は多くの従者を連れて伊勢路に赴くわけですね、何が因果か巫女さんにさせられた、皇女は万感胸に赴任します。

・斎王が宿泊される場所が、屯宮である。滋賀県の野洲川上流の鈴鹿峠に向かう場所に垂水屯宮(跡)が存在します。
舞台のメインはこの場所であります。土山町付近、田村神社のまわりであります。

(人形代 ひとかたしろ)

・舞台演出として人形代(ひとかたしろ)というこけしをスライスしたような、人形が登場します。これは、平城京跡の遺跡からも、井戸跡とか側溝跡とかから多量、発掘されています。病気の時とか怪我した時とか、災いを受けた時に
本人に代わり難儀を引き受けてくれる、便利な人形です。

・皆さんがお好きなのは、丑の刻に藁人形に五寸釘を打ちつける奴ですね。これは、呪いの人形です。

(斎王の不思議)

・皆様がよく御存知なのは、悲劇の皇子『大津の皇子』のお姉様が斎王でしたね。弟の反逆罪により解任されて、彼女は大和に戻ります、二上山に葬られた無念の弟を偲んで歌を詠みましたね。

・皇室の祖先神である天照大神が大和ではなく、遥か離れた伊勢にあるのか? そして、何故に人質のように皇女を巫女さまとして、赴任させるのか? 諸説ありますが、不思議な歴史的事実であります。

・私は、先日MuBlogの三輪山紀行の記事において、コメントしました、そしてMuさんの見解も纏まって記述されていますので、参考にして下さい。私の意見は以下です。

ー元々は三輪山周辺において出雲王権が栄えていた。卑弥呼、台与の巫女さん政治の時代。そこに、崇神さまが来られ、出雲王権を打ち倒し、新しく『崇神王権』を樹立した。

ーしかし、疫病が流行し人口が激減するほどの危機的状況が生まれ、出雲の祟りであると民衆は考えた。そこで、天照大神を申し訳無いけど、三輪の近くの元伊勢から伊勢の国に移し、大和では出雲の子孫を探し祭司として任命し三輪大神を祭る事で国難を逃れた。

ーそれ以来、大和から遥か遠ざけられた伊勢神宮の天照大神さんが機嫌を損なわないように、皇女の巫女さまをお傍に置くようにした。

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三星堆・中国古代文明の謎

『三星堆・中国古代文明の謎ー史実としての(山海経)』 あじあブックス 徐朝龍 ISBN4469231436 大修館書店

(目次)

1章: 奇書『山海経(せんがいきょう)』

2章: 三星堆文明の素描

3章: 不思議な縦目青銅仮面

4章: よみがえる崑崙

5章: 神樹伝説の源流

6章: 西王母と三星堆王国

三星堆博物館

中日文化交流 三星堆遺跡Web

三星堆遺跡 Web

1993年7月に『謎の古代文明 三星堆遺跡は何を物語るか』 徐朝龍 & NHK取材班 NHK出版 が当時、NHKの特別番組と連動して読まれました。

とにかく、巨大な青銅の目玉が飛び出た仮面、巨大な青銅で出来た神樹 等 度肝を抜いた長江文明の衝撃でした。
長江中流、下流に比較して文明の萌芽は新しいが、明らかに稲作・漁撈長江文明の傑作の発掘でした。

中国の北の黄河の龍の文明、小麦・牧畜文明とは異なる文明が同時に花開いていた事がわかったのは最近なのですね。実は、この北の文明と南の文明が衝突し東アジアの独特の文明が形成されてゆくのです。

私はアーモンドの形をした目と渦巻き文様に中米、南米の文明との共通点が気になっています。

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長江文明の謎

『古代日本のルーツ 長江文明の謎』 安田善憲(よしのり) 青春出版社 ISBN4-413-04061-9 2003年6月

(帯情報)

長江文明に遺されていた日本文化の痕跡・・・・・。
その衝撃の真相を 環境考古学の第一人者が解く!

(概要)

・中国には二つの文明が存在した。黄河流域の麦作、牧畜文明と長江流域の稲作、漁撈文明である。
・北の文明は龍を神とする。南の文明は太陽とそれを運ぶ鳥、そして蛇を神とする。
・地球環境の激変により北の民族は南下を始めた。そして南の民族を征服し、一部四散した。今苗族に残存する。
・『史記』によれば、夏王朝の時代南下した記録がある。その時に長江下流域の人々は船に乗り九州南端と対馬海流に乗った連中は出雲、丹後半島、能登、所謂『越』の国に漂着した。(長江下流域は越と呼ばれ、日本の越前、越後、越中の土地の名前はここからきている)
・日本建国神話の降臨神話の高千穂峰は彼等が漂着した九州南端の思い出を語っている。そして、神武東征神話は九州から大和へ向かう。
・皇孫『ニニギノミコト』が天孫降臨されたのは、南九州『笠サの岬』である。木の花咲耶姫に出会う。
・従来の縄文文明から弥生文明の始まりである。ここで、縄文に弥生が重層する。
・麦作・牧畜文明は崇神天皇から大和で始まる。ここで、崇神天皇5年に結核病(牛から)が大陸からもたらされ、半数の国民が死ぬ。その後、天然痘。インフルエンザ、ジフテリア等の北方民族の疫病が古墳時代に始まる。
・そこで、又、三輪山を崇める。
・継体天皇は再度、南の文明に王朝を交代させた。稲作・漁撈・海洋民族が権力を奪還する。
・天武天皇の英断。 北の牧畜民の文明である唐帝国と新羅連合にたいして、北の文明の素晴らしい国家体制であるとか、いいところを取り入れ、中央集権国家を目指し、精神世界では南の文明、太陽・鳥・蛇を残した。和魂洋才の始まりである。

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黄泉の国の考古学

”黄泉の国の考古学”  辰巳和弘 講談社現代新書 ISBN4-06-149330-2 650円 1996年11月 

(帯情報)
海沿いの洞穴遺跡から出た舟形の木棺は何を意味するか。
古墳壁画に描かれた霊船や太陽や馬は?
”遥か彼方”に他界を見た古代人の心を再現し、考古学の常識を覆す画期的論考。

(目次)

・くつがえる古墳時代観
・舟形木棺の発見
・”籠もり”と”再生”の洞穴
・他界への旅立ち
・船葬論争
・古墳壁画の世界
・天翔る霊船
・霊魂を運ぶ馬
・形象埴輪の思想
・彼の国・常世の国

(死後魂は何処へゆくか?)

さて、死んだあと魂は何処へ行くのでしょう? 葬送儀礼とかお墓の造り方にそれは現れると思います。葬送儀礼とかお墓はなかなか時代が変化しても、保守的で民族は変えようとしません。

遥か海の彼方にあの世がある。天空にあの世がある。山の中にある。 地中奥深くにある。概略以上の範疇に分類されといいます。著者は多くの誌面を割いて船葬を論じておられますが、別に古代人は色んな”あの世観”を持っていたと論じています。

海の彼方であれば、棺桶を船の形にして葬送しますね。今も沖縄ではお盆では先祖が海から来られます。
感動的なのは、子供のお墓で”アジサシ”を抱いて葬送した例が記述されていました。天空の彼方に導いて欲しいのか、又、アジサシのように蘇って来てくれるのを願望したのか、判りません。

(前方後円墳 論考)

氏は前方後円墳について、”壺形の宇宙”説を述べています。始皇帝の時代、蓬莱・方丈・えい州という仙人が棲むといわれる三神山の思想がありました。この三神山は三壺山とも呼ばれそれぞれ、蓬壺・方壺・えい壺と呼ばれた。壺のような形をしていたからだそうです。不死の理想世界は東海に浮かぶ壺形の山であると。

同時に、葺き石を古墳には敷設したので、磐座信仰とも関係が深いと論じています。

(滋賀とある田舎の葬送儀礼)

私の家内の親戚が滋賀の安土近くのとある、村であるが、不思議な葬送儀礼に立ち会う事になった。
20年以上も前の話ですが、親族の男ははだしになり、白の装束にて頭には白い三角の鉢巻をして、棺桶を担ぎ野辺の道を行きます。土葬ですね、最後に墓場では蓋を開け最後の別れの儀礼をして沈めて行きます。

自分の意思で葬式は決める事が出来ますが、さて、葬式は周りの人々がするもんですね。これが難しいです。

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日本の地名

”日本の地名”  谷川健一  岩波新書 ISBN4-00-430495-4 1997年4月 初版

(帯)

地名に秘められた名もなき人びとの物語。

地名は、それに接する物に顕微鏡をのぞいてはじめてわかるようなミクロの世界を提示する。
(・・・・・・)地名はこのように”いと小さきもの”であるが、一方それは大きな世界とつながっている。
ここに地名の逆説があり、それこそが地名の最大の魅力でもある。

(目次)

第一章 地名の旅・・・・黒潮のながれに沿って

第二章 地名と風土・・中央構造線に沿って

第三章 地名を推理する・・・白鳥伝説の足跡を訪ねて

 ・こふの原
 ・物言わぬ皇子
 ・足を痛めた英雄
 ・金屋子神のゆくえ
 ・鳥取という地名
 ・北の白鳥伝説

第四章 固有地名と外来地名・・・・”波照間”論争をめぐって

結語

民俗学が御専門の先生ですね。古くから残る地名を頼りに歴史の旅に出る。今は市町村合併とか明治の時に県の名前ももうすこし歴史を踏まえた、ネーミングがされていれば・・・と思います。静岡県?駿府県の方がいいと思うし、福島県もなんやろね?概ね、明治政府に反抗した地方は今だに県の名前も県庁所在地も徳川時代のものから変更された。

本から外れてしまいましたね、第三章だけ詳細な目次を掲載しましたが、私もヤマトタケルには興味があり、応神天皇から始まる河内王朝と卵から生まれた伝説を持つ、同じく物部氏の関係について面白く読ませていただいた。

物部氏と出雲の鳥取(とりかいべ、飼鳥部)とその一族の東日本での活躍の史跡、そして東北地方一帯に広がる白鳥伝説の跡。

著者が述べておられますが、小さな地名を顕微鏡で覗けば雄大な歴史ガ見えてきますね。

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草原の記

”草原の記” 司馬遼太郎  新潮文庫 ISBN4-10-115237-3 400円  平成7年10月 初版

(扉)

史上空前の大帝国をつくりだしたモンゴル人は、いまも高燥な大草原に変わらぬ営みを続けている。

少年の日、蒙古への不思議な情熱にとらわれた著者が、遥かな星霜を経て出会った一人のモンゴル女性。
激動の20世紀の火焔を浴び、ロシア・満州・中国と国籍を変えることを余儀なくされ、いま凛々しくモンゴルの草原に立つその女性を通し、遊牧の民の歴史を語り尽くす感動の叙事詩。

司馬さんとツベクマさんとの出会いから、彼女の過酷な歴史を振り返り、司馬さんは彼女に惹かれてゆく。
彼は13世紀に世界を制覇した、オゴタイ・ハーンと現代のツベクマ女史を対比させ、不思議なモンゴル民族の歴史を愛情と憧憬をもち語る。

常に風の如く暮らし、奇跡的なほど欲望すくなく生きてきた民族に惹かれる作者があります。
私達、日本人のDNAには少なからず、このモンゴルの民族の一部が入っています。

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日本人とは何か

”日本人とは何か”  日本の古代 別巻 岸 俊男・森 浩一・大林太良 編 中央公論社   ISBN4-12-402549-1 2200円  1988年10月 初版 

監修
貝塚茂樹 江上波夫 司馬遼太郎

1.東アジアのなかの日本民族の形成と文明の曙
 ・・・・・・・江上波夫

2.日本の文字文化を銅鏡にさぐる
 ・・・・・・・森 浩一

3.王権の系譜ーーー大嘗祭と磐井
 ・・・・・・・大林太良

4.万葉挽歌の世界
 ・・・・・・・和田 卒

5.古代日本人と銭貨
 ・・・・・・・栄原永遠男

6.日本古代の人口
 ・・・・・・・鎌田元一

7.日本のなかの律令制
 ・・・・・・・狩野 久

8.古代史と身辺雑話
 ・・・・・・・司馬遼太郎


実は日本の古代 全15巻 が編纂された。しかし、これは最後の別巻として”日本人とは何か”という学者の世界だけでは解決出来ない未来に向った、というか、若者にまだまだ、判らん事ばかりだよ~~~と、呼びかけた記録である。

日本人を考えることは簡単ではない、複雑な民族の移入の連続であり、私が考えるにユーラシアの東の終着点であり且つ、融合しなければ生きてゆけない、他に行く所が無い世界でした。
このように、大陸では考えられない終着点の環境が日本人の精神構造と社会システムを作り上げて来たと考えます。

この別巻はそういう意味で、変な、学問とは少し距離がある本として作らざるを得なかったようなそんな本でした。

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杜甫の 旅

『杜甫の旅』 田川純三 新潮選書 ISBN4-10-600435-6 1200円 1993年4月 初版

(帯)

生涯を旅に終えた漂泊の詩人杜甫。その旅は、例えば安禄山の乱を避け、
妻子を伴って長安を脱した黄土の道で、泥濘に足を取られ飢えと寒さに
見舞われるなど、艱難多いものであった。
それから、千二百年後、黄河取材をはじめとする、度重なる私の中国の旅
のなかで、杜甫の旅は他人事ではなくなっていた。
そして今、中国理解の為には何よりも歴史と現代の対話を、と心がけている
私にとって、杜甫はたしかで手ごわいキャッチボールの相手となっている。

田川純三

・終始中国関連の番組を多数手がけ、『シルクロード』、『大黄河』の二大
特集番組のチーフデイレクターをつとめた。
・平成元年退局し、静岡精華短大で中国文化史、中国文学を講じた。

シルクロードも大黄河もともに大好きな番組でした。デイレクターが番組を現場
で指揮する役目です。 その人が杜甫の恵まれない人生模様と彼を取り巻く
中国の歴史を描写して、そして、その時の気持ちを表現した、『杜甫の詩』を
記録した。

楽しませて頂いた本です。

(春 望)

国破山河在 国破れて、山河あり
城春草木深 城春にして草木深し
感時花濯涙 時に感じて花にも涙をそそぎ
恨別鳥驚心 別れを恨んで鳥にも心を驚かす
烽火連三月 烽火 三月に連なり
家書抵万金 家書 万金にあたいす
白頭掻更短 白頭 掻けば更に短く
揮欲不勝簪 すべて 簪にたえざらんと 欲す

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幻のケルト人

”幻のケルト人” ヨーロッパ先住民族の神秘と謎 柳 宗玄・遠藤紀勝  社会思想社 ISBN4-390-60370-1
5800円  写真集

(帯)

ヨーロッパ文明には二つの流れがある。
誰もが良く知るギリシャ・ローマの文明と、
今だに謎に包まれたケルト人による文明の流れである。

ギリシャ・ローマの古典文明は、文字による記録や文学を数多く
残したが、ケルト人は文字を持たず、彼等の歴史を全く書き残していない。
又、地中海の文化が”石の文化”であるのに対し、ケルト人の文化は
基本的に”木の文化”であったため、それは時を経て姿を消し、
幻と化してしまった。

しかし、地中から発見された金工品や陶器、後代のキリスト教美術
に参入して花開いた写本画など、いまもかろうじて残る彼等の足跡から
神秘の古代人ケルト族の姿を垣間見ることが出来る。

(西洋文明の二つの根)

古代ギリシャ・ローマの文明に対してケルト文化が存在する。
もともと、ドナウ川の北方、アルプスの北方、イベリア半島などに
居を構えていたスキタイ、ケルトイ、イベレスなどの諸民族である。

現在は、ケルトの伝統が、息ずいているのはアイルランド、スコットランド
、ウエールズなどに神話が残る。

(私の興味)

私が関心があるのは二点である。
(1)巨石文化特にストーンヘンジ と日本のストーンヘンジ及び磐座信仰

(2)ヨナヌキ音楽の共通 ・・・・・日本の明治の小学唱歌とスコットランド民謡、日本の流行歌はヨナヌキである。
      今でも音楽歌謡界のプロの世界ではヒットを飛ばしたい時、使う奥の手とか?

この民族は遊牧民ではないか?遥かユーラシアと繋がる民族ではなかったか?私の仮説です。

注:ヨナヌキ音楽とは西洋音楽に対して四番目の音階ファと七番目の音階シが抜ける事を言います。半音階が
  抜けるというか、存在しない。

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日本にも指南車は存在した

『古代史を語る』 朝日新聞社編 朝日選書450 ISBN4-02-259550-7 1442円

その中で『指南車』に関する記述があり記録します。

山田慶児(やまだけいじ) 京大人文科学研究所教授から国際日本文化研究センター教授

『古代技術点描』 失われた先進技術
斉明天皇四年(658) 沙門智諭(しゃもんちゆ)が『指南車を造』った。
天智天皇五年(666) 倭漢(やまとのあや)沙門智由(しゃもんちゆ)、指南車を献ず。

『この二つの記事は、指南車の用途からみて、同じ事柄を誤って二度記録したものであろう。指南車は天子の車馬行列用の車であり、はじめから献上を目的としていたからにちがいないからだ。ちなみに、指南車のほかに、車輪の回転数によって里程を刻む記里鼓(きりこ)車、漏刻(水時計)を積んだ漏車も加えられるのが、その車馬行列の慣例であった。』

実は、昨年10月1日に(株)シナンシャル・システム・コンサルテングという会社が設立され私は社長になった。
シナンシャルの語源は『指南車』からとり、同時に業務の内容から『Cyber Financial』の意味も込めて『Cynancial』という新しい言葉を創成した。

中国の古代より天子の軍団には常に南を指す車が存在し『指南車』と呼ばれた故事に由来する。
目標の無い大平原での戦い、霧の中の戦い、軍団が方角を間違わないようなランドマークを、精巧な歯車技術を駆使し制作して実際使用していたそうです。

同時に、風水の思想によれば、南は吉の方角であり気が流れる方向である。気に乗り軍団は戦う天子の軍という意味もあります。

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長寿雑誌 ラジコン技術

最近はビジネス雑誌を始め、多くの雑誌が廃刊になり、又、雨後の竹の子のように新しい雑誌が生まれる。
しかし、専門の雑誌は長生きである。私の趣味で言えば
・CQ誌
・将棋世界、近代将棋
・ラジオ技術
・ラジコン技術
・丸
・山と渓谷・・・・・・・1946年(昭和21年) より~
・岳人 ・・・・・・・1953年(昭和28年)より~

(ラジコン技術)

昭和39年からからであるから、かれこれ40年続いている。多分にニッチ市場であるので、参入する雑誌がそんなに存在しないだろうし、部数が突然に増えるわけでもない。しかし、それなんりに継続してるという事はビジネスになっているんだろう。
殆どの頁が広告であるが、それが楽しい。不特定多数に販売する場合の雑誌の場合は読者が広告を楽しみにしてる話はあまり聞かない。しかし、ラジコン趣味の人しか読まない雑誌では、ラジコン製品に関する広告は重要な情報源として読者に歓迎される。

(製作記録)

バックナンバーも重要である。多くの、ラジコンマニアは色んな模型飛行機を製作する。過去に自分の製作したい飛行機の製作記録の記事があると、大助かりである。従い、雑誌は読んで棄てられる運命であるが、ラジコン技術は何時までも保管される。バルサ材から製作するラジコン飛行機のキット製品は数十年販売されるのが常である。

(近代経営)

多量生産、多量販売のビジネスモデルは今後も勿論基幹産業モデルとして存在するが、国際会計基準や海外投資家が東京証券取引所で一部上場企業市場で50%近く占める時代には、利益率が重要になる。
今日は、墓参りで京都に帰省して帰って来たが、多くの京都の老舗のお店は利益率重視の経営をして来た。
顧客を選ぶ、無闇に事業を拡大しない、固定客を大事にする、利益を重視する。企業の存続よりも短期的にどれだけ利益を得て、拡大出来るが重要と考える米国シリコンバレーの経営と対極にある。

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日本語の起源

『日本語の起源』 新版 大野 晋 岩波新書 ISBN4-00-430340-0 700円 1994年6月 第一刷発行

(扉)

日本語とはどこに起源を持つ言葉なのか。 旧版(1957年刊)では答え得られなかったこの問いに、数多くの単語、係り結びや五七五七七の短歌の形、お米や墓などの考古学的検証、さらにカミ、アハレ、サビなど日本人の精神を形作る言葉の面から古代タミル語との見事な対応関係を立証して答え、言語と文明の系統論上に決定的な提起を行う。

(目次)

第一章 同系語の存在
1. 探索のはじまり
2. 探索の方法
3. 南インドのタミル語を選択する
4. 単語の対応ーー 語根の比較
5. 文法の比較
6. 五七五七七の韻律

第二章 対応語と物の世界
1. 稲作のはじまり
2. 墓と墓地
3. グラフィテイと記号文
4. 金属の使用
5. 機織のはじまり

第三章 対応語と精神の世界
1. 生活の慣習
2. 精神の世界の支点
3. 精神生活の根幹

第四章 南インドの言語・文明と日本・朝鮮
1. 日本語とタミル語の同系
2. 私の説に対する質疑


この本は梅安さんに勧められて、購入した。NHKでも番組が企画されたと聞いています。インドの南端東部とスリランカ北部の地域の人々が日本語と同系統の言語を持つ。
人の移動無くては実現不可であり、遥か太古において海のシルクロードを通じ交流があったと考えざるを得ません。
古代インドにアーリア人の侵入が起こり、海のシルクロードに活路を開いたと著者は語る。縄文晩期に彼等は日本に辿り着いたとみる。それにしても、雄大なロマンである。

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十六の話 司馬遼太郎

『十六の話』 司馬遼太郎 中央公論社 ISBN4-12-002251-X 1993年10月 初版 1300円

(帯)

『歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことども 』
を豊かに伝える司馬遼太郎の最新文集

(目次)

・文学から見た日本歴史 ・・・・・・英国ケンブリッジで開催された英国日本学研究会に於ける講演
・開高健への弔辞・・・・・文学界1990年3月号
・アラベスク ・・・井筒俊彦氏を悼む・・・・中央公論 1993年3月号
・『古代史』と身辺雑話・・・・・・・・・日本の古代別巻
・華厳をめぐる話・・・・・・・・・・・井上博道撮影”東大寺”中央公論社
・叡山美術の展開・・・・・不動明王にふれつつ
・山片ばん桃のこと
・幕末における近代思想
・ある情熱
・カイリン丸誕生の地
・大阪の原形・・・・日本におけるもっとも市民的な都市
・訴えるべき相手がないまま
・樹木と人
・なによりも国語
・洪庵のたいまつ…・・・小学国語5年下
・二十一世紀に生きる君たちへ・・・・・小学国語6年下

司馬さん最晩年の作品群です。司馬さんの作品を解説できる度量は有りません、しかし好きなんです。
この本は日本の歴史を苦手な文学(彼は語り部)の切り口から異国の人に語り始め、漱石で締めくくり、最後は
子供達に語ることで、バトンタッチをしてあの世に行かれました。彼は風の如く爽やかなモンゴルの人々と貧乏清廉潔白な日本人を愛してやまない人でした。

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日本史七つの謎 松本清張他

"日本史七つの謎” 松本清張他  講談社 ISBN4-06-206038-8 1992年11月 第一刷 1500円

(帯)

今歴史が面白い! 大化改新は本当にあったのか?から
高度成長経済は何故可能だったのか? まで
小説家と学者が解く、日本史七つの謎。

(目次)
1.大化改新は本当にあったのか・・・・・・
     松本清張
     門脇禎二(京都府立大学名誉教授)
     佐原 真(奈文研 埋蔵文化財センタ長)
2.短詩形文学は何故日本文学の中心なのか
     丸谷才一
     大岡 信(詩人)
     山崎正和(劇作家)
3.武家政権は何故、天皇を立て続けたのか
     永井路子
     今谷 明(横浜市立大学助教授)
     五味文彦(東大教授)
4.織田、豊臣、徳川が何故、天下をとれたのか
     遠藤周作
     朝尾直弘(京大教授)
     山室恭子(東大史料編纂所助手)
5.薩長は何故、徳川幕府を倒せたか
     中村真一郎
     石井寛治(東大教授)
     井上 薫(学習院教授)
6.太平洋戦争は何故、始まったのか
     井上ひさし
     森本忠夫(評論家)
     大江志乃夫(茨城大教授)
7.高度成長は何故、可能だったか
     伊東光晴(京大名誉教授)
     香西 泰(日本経済研究センタ理事長)
     森谷正規(技術評論家)

この企画が面白いのは学者だけでは面白くない、むしろ作家が歴史の専門分野で鋭い洞察力と推理が迫る。
特に清張さんの鋭い切り込みは迫力がありました。今でも、ここで議論された内容は通じます。
     

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清張はん 二冊

MuBlogにて松本清張はんの、記念館や『火の路』の記事があり、書斎の戸棚を眺めると沢山の清張はんの古代史関連の本が並んでいる。

二冊、『火の路』の背景になった本を紹介します。

1. 『日本史 謎と鍵』 付 創作ノート 松本清張 平凡社 0021ー826120ー7600 昭和51年11月 初版 1400円

(帯)
松本清張史学の最新版! ! 日本史の謎に常に精力的に挑み続ける著者が、邪馬台国、古事記、聖徳太子、写楽の謎を検証する力作! !
併載の『火の路』創作ノートは、巨匠の創作の秘密を興味深く伝える。

(目次)
・邪馬台国の謎を探る
・古事記の機能
・聖徳太子の謎
・北ベトナム古代文化の旅
・イラン高原の『火』の旅から
・小説『火の路』創作ノート
・写楽の謎の『一解決』 ある講演

2.『ペルセポリスから飛鳥へ』 松本清張 日本放送出版協会 ISBN4-14-018005-6 700円
1988年5月20日 第壱刷

(扉)
飛鳥の地に点在する奇怪な石造物は古代ペルシャの拝火教に関連があった・・・・
この大胆な仮説をもとに、著者松本清張が、イラン踏査によって、古代史の謎に挑む! !
イランの骨董屋で手に入れた、正倉院宝物と同形の瑠璃碗をきっかけに、著者の推理の旅は展開された。
ペルセポリスの遺跡に立ち、砂漠の水路を歩きながら、冷厳な検証の眼が光る。
古代日本と古代ペルシャとのあいだの『失われた線』は、この本でついに解明された。

(謎の飛鳥 石造物)

飛鳥の里を歩いていると、石造物は多いですね。不思議でした。清張さんはペルセポリスで石柱の頭部に獅子の頭の姿を拝見し、飛鳥の亀石は制作途中でありきっと、このような獅子の頭を制作しようとしていたと推理される。
猿石の下半身には一物がついていますが、これも戦士の石像物との類似を指摘。天皇家の菊花16弁の文様が古代ペルシャの太陽信仰に源流を見る。

(最近の発掘)

石舞台古墳、蘇我馬子の墳墓と言われてる近くの、山の中腹に酒舟石があります。最近その山の裾野を大規模な発掘がされ、石畳のローマの劇場のような施設跡と亀の形をしたお風呂のような石造物とそれに導水した関連の石造物が次々と発掘されたのは皆様御存じ。
清張さんが斎明天皇さまがゾロアスター教に御執心であったと推理されていました。これが、証明された訳では有りませんが大規模な土木工事(石を使う)をされていた事実は証明されました。

現在の酒舟石のある山は全て石垣でピラミッドのように建造されており、水の儀式がこの山の裾の円形劇場のような石畳の場所でなされたと考古学者は考えている。

参考Web 古代の学舎(酒舟石遺跡)

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法隆寺の秘話 

法隆寺の秘話 高田良信 著  ISBN4-09-820100-3 980円 小学館 昭和60年11月10日 初版
(帯)
太子のみ寺として一千四百年近い歴史を秘める法隆寺の数々のエピソードと謎を解明する。
”開かれた法隆寺”の実現をめざす一学僧による法隆寺百科。
(目次)
・法隆寺の歴史に魅せられて
・法隆寺のたどった道
・法隆寺にまつわる謎 ・・・・・法隆寺の七不思議
・歴史的問題・・・・法隆寺焼失にまつわる諸問題 若草の礎石について 最近の発掘成果
・聖徳太子の寺として
・僧坊の制度
・法隆寺の宝物とその由来
・おわりに・・・・藤ノ木古墳と私 法隆寺昭和資材帳作成への道

皆さん七不思議に興味があるでしょう?
(1)伽藍の建物に蜘蛛の巣が張らない
(2)地面にあまだれの穴があかない
(3)五重塔の九輪に四本の鎌がある
(4)法隆寺の境内に三つの伏蔵がある
(5)因可池(よるかのいけ)に片目の蛙がいる
(6)南大門の前に鯛石という石がある
(7)夢殿でお水取りという行事がある
(8)雀も伽藍の堂塔に糞をかけない
(9)舎利から太子が見える
(10)不明門と不閉門がある

尚、藤ノ木古墳については”祟峻天皇御陵説”です。

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街道をゆく 

街道をゆく 司馬遼太郎 0026-253928-0042 朝日新聞社 昭和46年9月25日 第一刷発行 520円

(扉)本書には”週刊朝日”昭和46年1月1日号・連載第一回から7月9日号・第二十八回分迄を収録

 目次
・楽浪の志賀
・湖西の安曇人
・朽木渓谷
・朽木の興聖寺
・大和石上へ
・布留の里
・つば市
・三輪山
・葛城山
・竹内越
・武蔵のくに
・甲州街道
・慶喜のこと
・小仏峠
・武州の辺境
・葛城みち
・葛城の高丘
・一言主神社
・高鴨の地
・長州路
・壇ノ浦付近
・海の道
・三田尻その他
・湯田
・騎兵隊ランチ
・瑠璃光寺など
・津和野から益田へ
・吉田稔麿の家

司馬さんが死ぬまで続けられた、ライフワーク”街道をゆく”の原点がこの一冊です。
語り部、司馬さんには時空を越えて風景が見える。司馬さんの小説、対談集、は殆ど読みましたが、街道をゆくは全ては読んでいない。これからの人生、”街道をゆく”を片手に旅をする事を楽しみに残してある。

最晩年に小学生の教科書に書かれた”21世紀を生きる子供達へ”。私は、その文章の中で、21世紀の時空で彼が子供達に出会い、話し掛ける場面で涙が出た。

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ワカタケル大王 黒岩重吾

ワカタケル大王 黒岩重吾 ISBN4-16-320630-2 文芸春秋 2143円+税 平成14年1月15日 発行

倭の五王最後の王である雄略大王に関する小説である。祟神王権が花開いた三輪山近辺から場所を河内に移し神功皇后の息子である応神大王が河内王権を開いた。その後、仁徳大王を初め倭の五王と中国歴史書に残る大王が倭王権を握るのである。雄略大王は中国南朝の宋王・順帝に上表した文が有名ですね、祖先が日本を武力で制圧した武勇伝が書かれている。ワカタケルが近年注目されたのは埼玉県稲荷山古墳出土の鉄剣の金象嵌の補修時にエックス線照射にてワカタケルの大王の名前が出てきた事である。既に、関東迄ヤマト王権の力が及んでいた考古学資料となりました。同時に、判読困難であった熊本県江田船山古墳出土の文字もワカタケルと判読された。巨大な古墳を河内に築いた倭の五王の時代には既に、九州から埼玉県までヤマト王権が支配していた事が実証された。同時に国際情勢は緊迫しており、朝鮮半島の北では高句麗が武力で勢力を伸ばし、南下して百済を圧迫していました。この小説は国際色豊かに百済の18代王のコウロ王の弟である昆支王(コンキオウ)が倭に渡り部下のムサノ青という部下を秘密CIAとしてワカタケルを助けるドラマである。
その後、南宋の力も弱まり、中国の情勢も変わり北に政治は移行する、河内王朝も落日の日を迎え日本海の新たな勢力である継体大王がヤマトの王となる。

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妖怪旅日記 

”妖怪旅日記” ホラージャパネスク叢書  多田克彦、村上健司、京極夏彦 ISBN4-8104-2728-5
   発行:同朋舎 発売:角川書店 1300円 
(帯)京極夏彦”今昔続百鬼”の多々良勝五郎と沼上蓮次のモデル(?) 妖怪最悪コンビが繰り広げる妖怪珍道中
妖怪最悪トリオ 水木しげる、荒俣宏、京極夏彦と 妖怪最悪コンビ 多田克己、村上健司の妖怪紀行

目次:
1章  妖怪三馬鹿、京の牛祭りを見学する 村上健司
2章  牛祭の三馬鹿 京極夏彦
3章  水木しげる御大,魔王の木槌に誘われる 多田克己
4章  世界妖怪会議、熊野で開かれる 村上健司
5章  京極夏彦氏と魔界京都を行く   多田克己
6章  妖怪愛好会隠れ里、東北合宿を行う 村上健司
7章  水木しげる御大、清明神社へ詣でる 多田克己
8章  妖怪最悪コンビ、隠岐へ渡る  村上健司
9章  妖怪最悪コンビ、四国・九州を巡る  多田克己
10章 妖怪最悪コンビは、本当に最悪なのか? 京極夏彦

 とにかく解説不要、面白い。
未読の先輩がおられましたので、コメント追加いたします。
・京都太秦”広隆寺”牛祭りについて・・・・・
  京都には三大奇祭がある。上記と鞍馬の火祭と京都市北区の今宮神社のやすらい祭りである。
  さて、主役は牛であるがその上に仮面を被った摩多羅神、その周りを四天王が歩く。二時間程度の短いお祭りであるが夜に行われる。
  奇妙な紙の仮面を被る摩多羅神とは何ぞや?これが、テ-マですね。結論は”古代ア-リアの神。ペルシャのゾロアスタ‐教では太陽神、または契約と正義の神として信仰された。牧牛の守護者であり、かつ聖牛を屠って、信者に聖体拝領して魂を救済するという。救世主マイトレ‐ヤ(弥勒菩薩)の前身。摩多羅=ミトラ 弥勒の前身ミトラは牛を殺す神であった。弥勒信仰を日本に定着させた聖徳太子の死後、仏教により鳥獣の殺生は禁止となった。そこで、弥勒菩薩を本尊とする広隆寺では、牛を殺して人々を救済する祭りの形態を牛祭りの形に変更した。私の一番好きな国宝第一号”広隆寺 弥勒菩薩”に関わるお話しでしたね。

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人麻呂の暗号 藤村 由加

『人麻呂の暗号』 藤村 由加 ISBN4-10-371901-X \1200 新潮社 1989年1月発行
確かこの頃は梅原 猛先生の、柿本人麻呂論『水底の歌(上/下)』 に傾倒していた時期だと思う。そんな折りにこの本は出版されたと記憶する。万葉集は漢字で書かれており、読みくだしを我々は楽しんでいるわけですね。作者とそのグループは朝鮮語で読んで見ようという試みでした。特に、解釈が難しいといわれている歌とか、意味不明といわれている万葉集に迫ろうとしました。特に、万葉集 歌聖といわれる人麻呂を取り上げましたね。今だ解明されていない枕詞についても研究されました。私は万葉の時代のインテリは中国語と朝鮮語を話せたと考えています。私の故郷の親爺の墓の前には王仁博士が千字文を伝えましたと記念碑があります。万葉人がやまとことばを漢字を使い、表音表記する場合に複数の意味を漢字に込め、朝鮮語での別の意味を持たせたと想像するのは面白いと思いました。特に、政治に絡む歌の場合は複雑であったと思います。柿本 人麻呂は渡来系の人であるという説がありますね、充分に可能性のある想像であると思う。飛鳥、奈良、平城、万葉の風景は古代朝鮮語の香りがプンプンする国際都市(今の日本は英語が氾濫していると同じ)であったと思う。ただ、この本では残念ながら朝鮮語がこの時代で使われていた古代朝鮮語で分析がされたのか批判する人々が居る事も事実です。

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箸墓幻想

『箸墓幻想』 内田康夫 ISBN4-620-10648-8 ¥1700(税別) 毎日新聞社
(帯) 卑弥呼の墓とも言われながら、実像はベールに隠された奈良・箸墓古墳。その謎を追求していた、畝傍考古学研究所の元所長・小池拓郎が殺される。真相を追う浅見光彦を待ち受けていたのは、歴史を超えた、女たちの冥い情念だった。闇は御霊たちの呪いのように、冷たく、深いーー。やがて起きた第二の殺人に、浅見は・・。

私はあまり推理小説は読みませんが、この帯を読んで、買いました。もともと毎日新聞で連載されていたようですが、単行本になり始めて読みました。作者も回想されているが、連載中に不思議な偶然が沢山起こったのです。先ず箸墓の近くのホケノ山古墳の発掘です。最古の前方後円墳である事が判明、『画文帯神獣鏡』も発見されました。又、終了間際に桜井市の勝山古墳から出土した木材の年輪年代法によりこの古墳が二世紀末から三世紀始めの物理年代と橿原考古学研究所が発表しました。これは、邪馬台国論争を集結させる程の大発見でしたね。これで、箸墓古墳を含む巻向の年代が卑弥呼の時代に近くなり、従来の土器の形状による分類年代で言われていた年代が、もっと古い時代にシフトしました。テレビ番組で放映されたかは、知りませんが面白い、です。

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日本の中の朝鮮文化(8) 金達寿

『日本の中の朝鮮文化(8) 因幡・出雲・隠岐・長門ほか』 金達寿(キムタルス) ISBN4-06-184956-5 講談社文庫
数年前に出雲から若狭迄日本海側の旅がしたくて、昔読んでいた上記本を取り出し、旅行に持参した。この本のシリーズは紀行文であり著者が司馬さんと同様に、紀行しながら自分の目で古代を回想されている。
・因幡・伯耆
ー略ー
・出雲・隠岐・石見
ー米子から美保関へ
ー出雲族・熊野大神
ー安来を訪ねて
ー金屋子神社まで
ーひの川・ひ伊川
ー四隅突出型方墳と荒島
ー韓国伊太氏神社のこと
ー意宇の杜と新羅の鶏林
ー築山古墳と大念寺古墳
ー須佐郷の須佐神社
ー日御崎・加夜・出雲大社
ー隠岐の古墳と神社
ー韓神新羅神社と韓島
ー江津の都怒我阿羅シト
ー鵜ノ鼻古墳群を訪ねて
・長門・周防
ー略ー

この本で面白いのは上記目次で略しましたが、『因幡の白兎』の話ですね、白兎神社での面白い語りが印象に有ります。曰く、先ず鰐(わに)は山陰地方では鮫の事ですから、一般的に鮫の上をピョンピョン跳ねる、兎の絵が描かれています。さて、もうすこし朝鮮語で分析すると(わに)=さびもち だそうで、鉄の事だそうです。古事記ではこの鰐はサビモチの神と書かれているそうですから、白兎族と鉄の民族の争いの話なんですね。ワニが鉄だと京阪奈丘陵の和邇氏は鉄の一族なのか?

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司馬遼太郎 坂の上の雲

司馬さんの評論が出来る資格はないが、私は彼が好きだ。好きな読者として勝手な思いを述べたい。先ず生い立ちが私に似ている、親近感でしょうか、葛城の麓で鏃や考古学に関する遺跡に囲まれ育った。福田少年は周りの古老より遥か昔の長脛彦が神武軍と戦った話とか、葛城の役の行者(えんのぎょうじゃ)の神がかりな山伏の話を聴いて育ったと思います。大昔に葛城の勢力が河内と飛鳥を支配していた時代を夢想したに違いないと思います。秀才ではなかった点も私と共通してるし、大学がモンゴル学科というのが又素晴らしい。河内と飛鳥の世界から、少年(青年)の夢は遥かユ‐ラシアのモンゴル草原に広がっていったのです。まさか、そこでポンコツ戦車に乗るとは考えていなかっつたでしょうが、歴史は過酷でしたね。彼の戦争体験は決定的に彼のその後の生き方に影響したと思います。さて、昨年、久しぶりに又、”坂の上の雲”を読みました。語り部(昭和の稗田の阿礼)司馬さんは松山出身の二人の兄弟の目を通して明治の日本の叙事詩を語った。司馬さんはNHKの番組によく顔を出されていましたが、著作物以上に彼の語りが好きでした。この”坂の上の雲”も琵琶法師が演奏しながら語るとどうなるか?出来れば司馬さんに生きてる間に琵琶法師の役で語って欲しかったです。平家物語、太平記、琵琶法師が音楽をバックに語る叙事詩はより一層司馬さんの作品というより、日本の宝として明治の高潔な魂を後世に伝える事が出来るような気がします。NHKが2006年にこの作品を映像化する予定と聞きました、司馬さんが何故今まで、映像化を拒んだのか、NHKには責任が大きいと思います。一度映像化するとそれが、新しい別物の”坂の上の雲”になりますね。期待と心配が交錯するのは私だけではないと思います。是非NHKさんには頑張ってもらいたいです。出来れば、松山出身の秋山兄弟には是非、松山出身の俳優さんにお願いしたい。何故か、実は私の近くに梅安さんという松山出身の御仁がおられる、生まれ育った風土は簡単には異文化で育った人には演技が出来ない。”街道を往く”の番組はす晴らしいものでしたが、如何せん、司馬さんはKansaiーJinでした。これは難しい。

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海の邪馬台国

『海の邪馬台国 』 三内丸山遺跡が古代史の定説を変えた 邦光史郎 ISBN4-396-31077-3 祥伝社 550円 平成8年
1章 海へ向かう三内丸山遺跡 ・・・・かつて北の地に栄えた高度な技術と文化
(1)稲作以前にも"農耕"はあった
(2)職能集団に支えられた文化と交易
2章 三内丸山と吉野ケ里を繋ぐ"海の道"・・・・日本海を縦横に渡る古代人の智恵と行動力
(1)天然の港ラグーン(潟湖せきこ)の役割とは
(2)日本海から見た"縄文から弥生"へ
3章 海流の三叉路"吉野ケ里文化圏"・・・・ 最も早く弥生文化が始まった地とは
(1)邪馬台国と吉野ケ里遺跡
(2)弥生期最大の王国・吉野ケ里
(3)ふたたび故郷へ旅立つ弥生人
4章 邪馬台国はどこにあったのか?・・・・『魏志』が記す謎に満ちた"一万二千里"の道のり
(1)朝鮮半島と倭国の微妙な位置関係
(2)『魏志』が記す邪馬台国を読む
(3)邪馬台国は北九州にあった

邪馬台国の位置関係については、私と意見が違いますがなんせ私の父が生まれ育ったのが唐津ですので、吉野ケ里にも郷土愛?があります。それより、海洋民族に注目した点が同感できるところが有り、特に三内丸山遺跡については衝撃でした。私も早速当時遺跡を家族連れて訪問しました。港見下ろす高台のところに巨大な掘っ建て柱の建造物の遺跡が残り、日本海海洋民族の掘っ建て柱の技術力には驚きました。栗の植林も驚きでしたね、DNA分析と花粉分析で農業をしていた事が判明し当時は歴史の常識を変えました。今から5千5百年前頃の縄文時代の遺跡ですが1500年も繁栄した国だったんですね。昔から、疑問であったのは何故西日本には縄文遺跡が少ないのか?この謎はこの遺跡を訪問して始めて、理解出来ました。今から6000年前に鹿児島南端 トカラ列島の『鬼界カルデラ』の大爆発があり西日本を壊滅させたと遺跡で聴きました。噴煙と火山灰と気象異常により西日本はその後、数千年間は人間の住めない状況が続き縄文文化を壊滅させたと聴きました。その後、時代は下り朝鮮半島とか長江下流域より人々は稲作を持参して弥生が西日本中心に広まったそうですね。私は、長江下流域に感心があります、中国の統一が始まると特に漢帝国が生まれる頃に多量の民族難民が黄海に船出し新天地を目指したと思います。この人々は海流に乗り、親爺の育った九州地域に上陸したと考えます。勿論、朝鮮半島も何回も遊牧民が南下を始めますので、押し出されたモンゴロイドも九州、日本海に繰り出したでしょうね。まるで、難民受け入れ先のような日本列島は異民族が共存しなければ生きて行けない文化が芽生えたと考えています。ここ迄は私なりに理解出来た訳ですが、今だ悩んでいる事は何故、大陸に近い九州に日本を纏める巨大国家が生まれなかったのか? です。神武天皇さまは何故東征したのか、そして飛鳥の地に本拠を置かれたのか? その理由が今だ解けないでいます。この課題は実は現代日本の首都論争、遷都論にもおおいに関係があると思います。現代は飛行機輸送の時代ですので、サプライチェーンのハブは空港になるので、色々難しいですが。私は三輪山の麓 巻向地方で日本の国の原型が出来たと考えていますがその理由が解らんのですね。

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