2004年8月17日(火曜日) 日本経済新聞 朝刊 特集『21世紀アジアと文明』最終回の論文に心打たれた。
川勝平太 国際日本文化研究センター教授 (略歴) 1948年生まれ、早稲田大学卒、オックスフォード大博士、専門は比較経済史
(論文要旨)
・日本は中国など、他の文明とは構造が異なる独自の文明である。歴史的な失敗の経験を踏まえて大陸中国には深入りせず、経済的連携を深めている東南アジアなど、『海洋東アジア』の中核として、オセアニアまでを見据え、海を媒介にした『海の文明』を模索するべきである。
(中国と異なる文明の構造)
・サミュエル・ハンチントンは『文明の衝突』において、現代世界には、七つの文明があると論じた。そのうちアジアには日本、中国、ヒンドウー、イスラムの四つの文明がある。その後の文明論は9.11の米同時テロや中国の富国強兵化に目を奪われ、西欧文明とイスラム・中国文明が『いずれ本格的に衝突するのではないか』という論議と、衝突を防ぐ為の文明の共存の可能性を探る論議が支配的になった。
・ハンチントン曰く、『日本文明は基本的に中国文明と異なる。日本文明は西欧文明と異なったままだ。日本は近代化したが、西欧にはならなかった。』 と指摘、一衣帯水、同種同文などの表現で日本と中国が安易に一体化できると思うのは幻想である。日本は中国とは文明の構造が異なる。日本は他の諸文明と異なる独自の文明だ、という自覚に立つべきである。
(ペリー提督 日本観)
・ぺりーは『日本遠征記』の序論にて曰く『日本は制度として他の国々の交通を禁じながら、一定の文明と洗練と知力とを有する状態に達している』と。ペリーは来航前から日本人が『知力』に満ち、日本を『洗練』された『文明』とみなしていた。
(18世紀以前のアジア評価)
・蔑視ではなく、崇拝の対象であった。オスマン・トルコ帝国はチューリップの花、庭園の文化、コーヒー文化、外交などで手本を提供し、モーツアルトのトルコ行進曲にあるように異国情緒を誘う憧れの対象であった。フランスの啓蒙主義者達が中国礼賛者であり、上級階級にはシノワズリ(中国趣味)が流行した。
・しかし、19世紀の転換期にアジアがプラスからマイナスのイメージに転落した。理由は英国の産業革命、フランスの政治革命、ドイツの文化革命、米国独立革命など一連の出来事を通じ、西洋人が近代社会文明の自意識に芽生え他の文明を見下した。
(江戸期日本は『美の文明』)
・近代文明を誇る西洋人のアジア蔑視の目に耐えられたのは日本のみである。日本は西洋諸国を『列強』すなわち『力の文明』と見た。一方、日本の華は、ペリーの洞察にもあるように、国民の『知力』と社会生活の『洗練』であって、力の誇示にあったのではない。
・日本の生活文化は19世紀末の西洋人の美意識に影響を与え『ジャポニズム(日本趣味)』の流行を生んだ。
何故日本は『美の文明』たりえたか? 中国文明を含む他の諸文明は自然破壊の歴史特徴ずけられるのに対して、日本は森や水を生かしながら文明を築いたからである。
・津々浦々という言葉は中国には無い。津(港)が浦(海)で結ばれているのが日本の景観である。
(ASEANプラス3)
・三極のうち欧州と北米は大陸である。それに、対して東アジアは日本が南北に長い島国であり、朝鮮半島の韓国は三方が海に面し、中国で発展しているのは沿岸部、東南アジアは多島海である。
・経済的連携を深めているのは陸の東アジアではなく、海の東アジアである。これを『海洋東アジア』と名付けよう。
日本は歴史上、日中戦争など『大陸東アジア』に深入りしたときには失敗した。教訓・反省と心得て、日本は海洋東アジアの中核としての自覚を持って『海の文明』を模索すべきである。
・海洋東アジアの海の南には、オセアニアが位置する。共有するものは海である。現代の海は単なる自然ではなく、人間の営為の対象であり、文化的意味合いを持つ。
(結論)
・海洋東アジアからオセアニアにかけて美しい島々からなる『西太平洋津々浦々連合』を目指した『豊饒(ほうじょう)の海の三日月弧』の海の文明構想を提案したい。
・・・・・・JoBlog感想・・・・・・・・
・私は筆者と交遊が有る訳ではないし、彼の背景を知らない。しかし、見事な論文である、是非、新聞を参照されたし。私は、海部族(あまぞく)の血筋を受け継ぐもののようですが、縄文の昔からオセアニアを含む西太平洋には縄文土器が散在しています。 縄文時代には既に私達の先祖は船に乗り縄文文明世界を築いていました。
私はこの文明論を『蘇る西太平洋、縄文文明論』と名付けたい。
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