西暦127年のメガディザスター 倭国大乱
先日、二日間にわたりNHKではメガディザスターⅡの特番が放送された。そこで放送された過去のメガディザスターの歴史で最近判明した事実に興味を持ちました。
最初は西暦127年に起こったメガディザスター事件です。そして、400年間隔でこの大雨を降らせるメガディザスターは発生したそうです。古代史が大好きな私にとり風速80メートルを越える台風と膨大な量の雨を降らせ世界を無茶苦茶に破壊し、人人の生活を水の下に押しやる、巨大自然災害は世の中を変えたと思います。
1.西暦127年の意味
西暦127年といえば、倭国大乱を想起します、今まで100年近く大乱が継続した理由が不明でした。中国の史書では恒帝~霊帝の期間(146年~189年)倭国は大乱があったと記録している。西暦127年に400年に一度発生するメガディザスターが発生し倭国の地域を根こそぎ破壊したと考えると、その後大乱が発生したと推測出来ます。
倭国大乱時代が存在した事は考古学の分野でも高地性集落の遺跡発掘や吉野ヶ里遺跡での激しい戦闘による兵士の死者をみれば納得します。
番組では弥生時代末の登呂集落を一夜のうちに破壊した水害はこの127年のメガディザスターだと、述べていた。この2千年の期間で西暦127年の降雨量は桁違いだったようだ。ノアの箱舟どころではない量の雨が降り、強風が吹荒れたそうだ。
卑弥呼は国内が落ち着いた239年に魏に難升米(なしめ)を使者として送っている。大災害から100年後である。
2.西暦527年の意味
卑弥呼から400年後、6世紀初頭の日本では何があったでしょうか。メガディザスターで大きな歴史的な変革が存在したでしょうか。私の意見としてはあの巨大古墳を築いて繁栄した河内王朝(葛城王朝)が終焉し、新しい継体天皇が新しい王朝を切り開き日本を大変革した事件を想起します。
応神天皇から始まり、仁徳天皇、所謂、倭の五王を含む河内王朝が武烈天皇で終焉し、河内王朝・葛城王朝と全く関りのないヲホド王が即位し西暦527年頃の九州での乱である、磐井との戦争を鎮めている。そして、大陸との交易権を九州の豪族から剥奪した。
この頃の中国や朝鮮半島での動乱は400年に一度のメガディザスターが原因とかんがえられるでしょうね。
このように、400年単位で異常気象が発生した事実をフォローすれば、今までの歴史を又、新しい視点で見ることが出来るかもしれない。
参考 メガディザスターⅡ
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