(故)樋口 隆さんを偲ぶ
北海道の網走で流氷の中をオーロラ号で大鷲とオジロ鷲を追いかけていた時に携帯電話がなり、高校時代からの親友である樋口 隆さんが身罷かれた報を娘さんから受ける。幸い、その日の夜の便で羽田に戻るので、翌日の通夜と月曜日の葬儀にも出席できる事となった。
彼が亡くなる日、偶然に22歳の時に二人で登った利尻富士を稚内から眺めていたのです。テントを担ぎ、彼と利尻富士や大雪、トムラウシを縦走した記憶が戻ります。
彼とは寝屋川高校1年生の時から親友となり生涯変わらぬ友となった。彼との事は今まで何回も記事を書きました。
・ 利尻富士登山
・ 風流高校生
・ 高校卒業旅行
今日の告別式で別れを告げる時に涙が途切れなかった。隣に座っていた中学時代から高校まで同期の山村さんも涙を流していた。実に山村さんとは高校卒業依頼の再会ですから、50年振りの再開でした。
彼と最後の別れとなったのは昨年、蛍池の駅で待ち合わせ会ったのが最後となりました。その時に彼は奥さんと、名古屋に住む娘さんと一緒に伊勢神宮を参拝した写真を楽しそうに私に披露していました。
彼は日本史と西行が大好きで、高校時代から才能を発揮していました。柔道は6段の腕前で調理師免許もふぐの調理師免許も持っていた。お陰で、3浪もする事になり私が4回生の時に彼は1回生となりました。そして、彼の提案で私の大学最後の夏に彼と私のワンゲルの夏合宿が終了後直ちに、北海道に向かい、利尻富士、大雪山、トムラウシの縦走をしたのです。テントを担いでの縦走でした。
彼は大学卒業後、ヤマハに就職しねむの里や喜界ヶ島のレジャー事業部で活躍され南の国で奥様と出会われました。1姫2太郎に恵まれ幸せだったと思います。
本当に多感な青春時代に出会えた親友は一生の宝物でした。本当に有難う。
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Comments
友を失うのはつらいね
お互い、そういう歳になったなあ。
(風流の会)のことは聴いていましたね。
法隆寺へ行ったときに、高校時代の思い出話の中でしてくれたような記憶が・・・。
紹介してくれた記事を読み返して、当時の同輩が樋口さんだと分かりました。
風流という言葉は今は死語になったのでせうか。
NHKの毎時のニュースに為替と株価の数字が並びます。
あれ、風流と何の関係もあらへん。
鴫沢隆成さんは嘆いてはったんとちゃいますかねぇ、今の世の中を。
送る言葉としては他にはありませんよね。
ご出身地である鴫野にもふさわしい歌かもしれません。
(心なき 身にもあはれは しられけり しぎたつさわの 秋の夕暮れ)
もう一つありましたね。
(春の海 ひねもすのたり のたりかな)
西行や蕪村、よろしいなあ。
樋口さんはきっとあちらでも風流してはるんやろねぇ。
Posted by: ふうてん | 2015.03.03 02:08 AM
ふうてんさん ご無沙汰です
悲しい事件が起こるものですね、Muさんの次は高校時代からの親友が鬼籍に入るという悲しい出来事でした。
会うは別れの始めと言うそうですが、やりきれないですね。
ふうてんさん、お互い生き残りましたね。残りの人生大事にしましょう。
Posted by: jo | 2015.03.03 08:21 PM