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日本古代史と椿の関係

 先日、日本酒の製造に関するテレビ番組を観ていたが、日本酒製造の根幹である米麹(米偏に花)の製造に椿の葉を焼いた灰が重要である事を知りました。

 参考 種麹

 此処で椿と古代史の深い関係に触れてみたいと思います。縄文時代から弥生時代の変化は稲作だと考えられています、その稲作を普及させたのは海人(アマ)族だと推測されている。最近の研究によりかなり急速に列島に稲作は普及したらしい。縄文文化は食料を山の幸や海の幸、河の幸という沢山の資源に根ざし安定した文化・文明でした。

 古代史研究家にとり何故、急速に列島に稲作が普及したか謎でした。早稲田大学で考古学を学んでいた頃(62歳の頃)、高橋先生が米から製造する日本酒が稲作普及の原動力だったと仮説を述べておられた。これは、非常に面白い仮説だと思いました。

 ヤマト王権発祥の地の候補である三輪山山麓、大三輪神社も酒と関係が深い。秦氏の京都の松尾大社も酒の神さまです。スサノオがヤマタノオロチを倒したのも酒でした。そして、箸墓古墳は三輪山の出雲の神である大物主に嫁いだ卑弥呼と考えられる巫女さん。其処は海柘榴市(つばいち)=椿と呼ばれ、椿の花が咲き誇る場所でした。大きな市場が成立する人々が集まる場所だった。

 大三輪神社(大神神社)は今でも酒作りの人々の神さんでもあります、そこに、日本酒製造で欠かせない『こうじ菌』培養で必要な椿が必要でした。大物主は出雲の神さん、どうも奈良盆地に稲作を伝えたのは出雲の海人族だった。日本酒文化を伝えたのでしょうね。今でも箸墓の近くは出雲荘があり古事記を記述した太安万侶の本拠地である多神社と環濠集落が存在する。

 更に、今でも相撲の力士さんは椿油を頭につけます。力士のルーツは出雲の野見宿禰であります、出雲と椿と酒の関係は深い繋がりがある事が判りますね。力士像は継体天皇の陵墓と考えられる今城塚古墳からも埴輪が出ています。

 この椿はどうみても南方系の植物です、海人族の人々が長江流域や南朝鮮半島から伝えたのではないだろうか。稲作と椿(酒)がセットで伝播したのではないだろうか。この日本酒を製造する技術は極秘の技術だったと思います。卑弥呼の邪馬台国連合もヤマト王権も稲作と日本酒製造の極秘技術を独占出来たから政権を取れたと考えられますね。

 箸墓古墳にも存在する吉備発祥と考えられる特殊器台の上に搭載された壺には日本酒が満タンに満たされ、祭りが開催されたと考える面白いと思いました。考えてみると豊作の秋祭りは、本当は酒の原料が獲れる祝いだったと考えるのは不謹慎だろうか。

蛇足ながら、現在の清酒が出来たのは江戸時代末期に偶然に反逆者が醸造中の濁り酒に灰を投入し偶然に出来たものだと、聞いていた、しかし、何故、反逆の若者が灰を投入したのか理解不明でしたが、今考えると、身近に麴製造に椿灰が存在してたのですね。これで、謎は解けました。

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