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横浜に帰還しました

 今回の突然の関西への帰還は義父の妹さんの葬儀に出席する為でした。場所は世界的にも日本が誇る自由都市だった堺でした。折しも市長選挙と重なりました。やはり、予想通り自由都市の精神が綿々と堺衆には残っている事が判りました。

 火葬場に行く途中、大仙古墳(伝・仁徳天皇陵)の雄大な古墳群を眺める事が出来ました。5世紀、此処は世界に開かれた国際貿易湊だった訳ですね。故森浩一先生の話ではラグーンが上町台地の海側に沿って形成され、湊として利用されていたそうです。そうそう、河内湖の水を瀬戸内海に逃がす為に仁徳さんは上町台地を横切る人口の運河(大川)を掘削し巨大な河内湖に水田を開墾したと聞いていました。

 百舌鳥古墳群と古市古墳群は世界に誇れる巨大歴史建造物(古墳)を擁する場所なんですね。世界遺産の登録が待たれます。

 昨夜、伊勢神宮では御神体の八咫鏡(やたのかがみ)が古い神殿から新しい神殿に遷宮されましたね、所謂『遷御の儀』です。天武天皇の時代より伊勢神宮には天皇の娘を齋王として仕える慣習が出来たのですが、その名残か、昨夜の遷宮では元、紀宮清子内親王が臨時祭主としてお姿を拝見しました、齋王制度の名残りでしょうか。

 齋王と言えば、赴任するときに柄の部分に『トキ』の羽根を飾った鳥装太刀を持参する必要があったそうです。今回も20年に一度の遷宮で『須賀利御太刀(すがりのおんたち)』が新調されたそうです。2週間前に丁度、佐渡を旅行し『トキ』と出会えており、その事は現地で知らされていました。

 しかし、熱田神宮には草薙剣が御神体として祭られており、皇室のレガリアの2個が皇居に存在しないと言うのが不思議ですね。

  今回、帰省時、1日暇が出来たので、宇治の平等院が新調されたと勘違いして出かけましたが、未だ修理中で見学出来ませんでした。しかし、応神天皇が一番愛した息子で和邇氏のお母さん、木幡在住で宇治天皇になったという記録もある兎道稚郎子(うじのわけいらっこ)の古墳を訪問して来ました。別途、記録を残す予定です。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

伊勢神宮の斎王(さいおう)のこと

 さすが歴史学者Joさんですなあ。
今年の伊勢神宮の式年遷宮のニュースで斎王のことは聴きませんでした。
当方などは斎王と聴きますと字の読み方も分からないのに源氏物語を思い出すのです。

 グーグルに聴きますと、
(斎王(さいおう)または斎皇女(いつきのみこ)は、伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕した未婚の内親王または女王(親王の娘))とあります。

 源氏との結婚を諦めた六条御息所は、娘の斎宮と共に伊勢へ下ることを決意する。
紫の上と結婚した源氏も、さすがに御息所を哀れに思って秋深まる野の宮を訪れ、別れを惜しむのだった。
「秋の花、みな衰えつつ、浅茅が原も、かれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも、聞きわかれぬ程に、もの(楽器)の音ども、たえだえ聞こえたる、いと艶なり。」
・・・
中学校の教科書にあったようで、特に(松風すごく吹きあはせて)のフレーズを妙に覚えていて、時々思い出します。
(静の中の動)と申しますか。

 伊勢神宮、出雲大社、この二つは風雪梅安一家で一度訪ねたかったですなあ。

Posted by: ふうてん | 2013.10.04 12:18 PM

 ふうてんさん 源氏物語となりましたね

 今回の帰省で1日、暇が出来たので宇治橋を訪問しました、紫式部さんの像がありましたよ。宇治十帖ゆかりの地なんですね。

 確か、御子息のお名前が『薫』だったと記憶しており、源氏物語の宇治十帖ゆかりの命名かと推測していました。
 
 齋王と言えば、何人かの悲劇が伝えられています。初代の齋王は天武さんと天智さんの娘との間に産まれた大来皇女(おおくの ひめみこ)、悲劇の弟、大津皇子のお姉さんです。
 
 持統天皇に謀殺された弟を想い『うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我(あ)が見む』という有名な歌を思い出しますね。

 伊勢神宮は小学校の卒業旅行地でした。

Posted by: jo | 2013.10.04 03:10 PM

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