追悼 考古学者 森浩一先生
この数年、人工透析をされ病魔と闘いながらも執筆に執念を燃やしておられた考古学者の森浩一先生が先日、鬼籍となられた。私の考古学に関する情熱は森先生の沢山の本に導かれたと思います。素人に判り易く解説され人の意見ではなく、自分の意見を堂々と述べる森先生の姿勢が大好きでした。
最後にお会いしたのは、三重大学の山中章先生が主催されている壬申の乱ウォーク&久留倍(くるべ)遺跡まつりに参加した時が最後となりました。2010年11月24日、三重県の三岐線の大矢知駅で開催されたイベントでした。
参考 久留倍(くるべ)遺跡まつり&壬申の乱ウォーク(2010年11月24日)
この時の森先生の講演では天武天皇と持統天皇が真剣に信濃の国に遷都する事を計画されていた事を教えて貰いました。そして、伊勢湾に関して森先生独特の史観が『三尾勢の内海』という彼の新しい言葉に秘められてる事を知りました。
参考 三尾勢の内海(みおせい) 三河・尾張・伊勢に囲まれた内海
山中章先生の追悼記事を見つけましたので、リンクしたいと思います。
実は今年春に壱岐紀行をしましたが、これも森浩一先生の学生時代の旅紀行を聞かせてもらっていたからです。百舌鳥の古墳群に囲まれる場所で育ち、古代史に夢を抱き考古学を目指した森少年の純粋な心が最後まで褪せる事がなかった考古学者さんでした。
彼が考古学を目指した頃は帝国大学の考古学者が学会を支配する時代だったと思います、彼は果敢に官学に挑戦し出版界や知識人を巻き込み戦ったのではないでしょうか。司馬遼太郎さんや松本清張さんとも連携し多くの出版物を世に出し、広く世間に古代史ブームを創生したのも森さんの功績ではないだろうか。
先生が生きておられる間に、是非とも桜井茶臼山古墳に関して先生の本音を訊きたいと思っていましたが、もはやそれも叶わぬ事となりました。
合掌
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