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日本の古代の王朝交代劇

 先日、旧友の松林君に諏訪大社と神長官守矢史料館、下諏訪史料館等々の案内を受け古代の諏訪地方で起こった侵入者(出雲勢力)と地元豪族の戦争結果の事後処理に大いに興味が引かれ、もしかすると、ヤマトでも同じような事が起こっていたのではないかと考えるようになりました。

 承前 諏訪大社と諏訪の古代史(1) 尖石縄文考古館と神長官守矢史料館

 承前 諏訪大社と諏訪の古代史(2) 諏訪大社下社秋宮

 承前 諏訪大社と諏訪の古代史(3) 下諏訪町立歴史民俗資料館

 諏訪大社では、神として祀られるのが大国主命の息子で出雲でヤマト王権との戦いで敗れ逃げて来た建御名方神(たけみなかたのかみ)で、祭祀を行う側が土豪の神長官守矢であった。その後も大祝は建御名方神の血筋を引く諏訪氏や保科氏が祭りあげられ、現場と実質的な力を持ったのは神長官守矢一族であった。

 ヤマトに最初に侵入したのは神武天皇よりも早く侵入しヤマトの土豪(ナガスネヒコ)と折り合いをつけていたニギハヤヒでした。ニギハヤヒも神武さんと同じ隼人系ではないかと推測していますが、最初は河内湖から交野の岩船に上陸し陸路、ヤマトに入り磐余(イワレ)の鳥見山に鎮まったと考えられる。

 神武さんはニギハヤヒとナガスネヒコの連合王権を倒し、新たな王権をヤマトに創立した。神武さんは前王権のニギハヤヒを鳥見山に祀り鎮めをおこなった。この鳥見山、トビ、という地名が今も残りますし、神武さんに味方したトビも気になる所です。桜井茶臼山古墳は前期前方後円墳であり副葬品や古墳の規模から明らかに大王級の古墳であり、箸墓と同じくらい重要な古墳だと思います。

 この古墳の傍に宗像神社が存在する事を故、森浩一先生は注目されていました。宗像の九州の海人族が大いに鳥見山周辺の磐余(イワレ)の地に関与していたのです。勿論、近くの耳成山近くの地は同じく海人族のアベの地名が残っています。丹後半島から琵琶湖経由のアベ海人族の侵入もあったと思います。

 三輪山は明らかに出雲の神様、大物主さんですから一番最初に奈良盆地を開拓し、銅鐸文化の華を咲かせていた。そして、九州の海人族である隼人系のニギハヤヒが侵入し、その後に、同じく海人族の隼人系の神武が吉備勢力と一緒にヤマトに侵攻したのではないだろうか。

 全く根拠のない空想の域を出ていないが、真夏の夜の夢としておきます。もう、こんな記事を書いても意見を言ってくれる木幡の旦那、Muの旦那はこの世にいない。

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