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野鳥観察と撮影

 毎日、朝4時過ぎに起床し5時過ぎには河原で野鳥の撮影を始めている。最近は朝5時では未だ暗く、河原で5時過ぎではかなり暗いので撮影が難しい。ISO2500程度にしないと撮影出来ないが、それではトリミングをすると粒子の荒さが目立つような気がする。

 やはり、これから冬に向かい早朝の撮影時間は順次遅くして行く必要がありそうです。最近の私の写真は息子の話では江戸時代の絵のようだと、いう話を聴きました。未だうす暗く、太陽の光が夏の終わりの草や枯れ葉にあたるとセピア色に光り、江戸時代の絵のようになるんでしょうね。

 そろそろ、河原ではツバメの姿が少なくなりました。カルガモの姿もこの数日で急激に減りました。シジュウカラの姿を観るようになり、里山から河原に帰って来始めております。そのうち、ジョウビタキも帰ってくると思います。

 鳥という生物は本来は恐龍だった訳ですね、それの生き残りですから、哺乳類なぞはコソコソとネズミみたいな格好で、隅で生きていた生物の子孫ですから、鳥には頭があがらない訳です。本当に長い期間、鳥たちは生きてきた事に尊敬します。

 鳥の渡りの習性については、昔、ブログでも書いたと思いますが、恐龍時代の記憶ではないかと推測しています。大型恐龍は地球の年間の気候変動に応じて毎年、長距離の移動をしていたそうです。ハチクマの渡りをみると、日本から朝鮮半島を北上しそして、中国大陸の内部を南下するルートだと聞いています。

 猛禽類で陸上の餌が必要だから陸上を南下するのかもしれないが、朝鮮半島を北上するという行為が、昔の地球の地形を記憶にあうからではないかと推測したくなります。考えてみると、人間も食料を求めて移動する生物ですから渡りをしても不思議ではない。縄文時代の狩猟・採集・漁労中心の時代ではかなりの地域をテリトリーとして移動していたという話を何処かで聞いた記憶があります。

 土器の発明が人間の定着生活を可能にしたという考古学者も多いのではないだろうか。土器を利用し火を利用する事で、煮る、焚く、と、生で食べれないものも食料となり、且つ、衛生面で飛躍的な進歩があり生存率を高めたと推測出来る。恐龍も土器を発明していれば、その後の子孫の生き方も変わっていたかもしれない。

 しかし、抱卵という行為は素晴らしい発明だったようです、これで子供が生れる確率が高くなり従来の恐龍よりも鳥類が生き残った理由の一つだと聞いています。

 しかし、鳥の種類は多く、類似の鳥の種類が多く難しいと思います。師匠が時折指摘して下さるので、その都度、再調査し直ぐにブログは修正しています。毎日、同じ場所で定点観測しています、移動せずに同じ場所で鳥の観察と撮影をしています。師匠はすでに7年以上も定点観測をされておられ、重要なデータを蓄積されていると理解しています。

 そろそろ、蚊取線香もいらない季節になりそうです、これからからの鳥は又、大賑わいすると思います、楽しみです。

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 最近は酒に弱くなり、昔のように飲めなくなった。

酒は夕方4時以降でないと飲まない事にしている。というか、夕方4時から晩御飯の準備をするので、飲みながら晩飯を作っている。

 冷蔵庫で冷やした350ml『一番搾り』か『エビスビール』を先ず冷凍庫で氷らせたたタンブラーに入れて飲む。夏の間はこれがいい。最近はステンレスの容器で飲んでいる。そして、次は冷蔵庫で冷やした『氷結(レモン味)』の350mlの缶を飲む。てんぷらなどをしながら、つまみながら飲むのは最高だ。

 そして、次は芋焼酎『白波』のお湯割りを飲む。このあたりでは、ほぼ晩御飯の準備が完了している頃となっている。平均で言うと、2杯のお湯割りを飲んでいるでしょうか。かなり酩酊している。そして、晩御飯となるが、殆どつまみ食いで酔っぱらっている状態で晩御飯となる。

 晩御飯が終わると、冷蔵庫で冷やした白ワインを飲むことにしている。最近はスーパーで安いシャルドネを売っているので、それを飲んでいる。出来れば、カリフォルニアのシャルドネが一番好きである。北海道の孫の家ではコストコで手に入るので楽しみだ。

 赤ワインと日本酒は常にスタンバイしているが、主に料理で使用している。日本料理では日本酒は必須だし、赤ワインはカレー料理やビーフシチュウーで必要です。

という訳で、毎晩、量は本当に少なくなりましたが、毎晩、健康に配慮した酒を楽しんでいる。

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『赤とんぼ』2013年夏合宿 無事終了

 8月23日~25日の期間、恒例の白馬村岩岳の『ちんぐるま』にて『赤とんぼ」の夏合宿が開催され、無事に終了しました。初日は豪雨に遭遇し散々でしたが、二日目の朝からは快晴となり、午前中の栂池スキー場でのフライト。午後はゴンドラで1900㍍まで栂池を登り栂池自然園を2時間程度散策しました。

 充実したフライト、トレッキング、宴会、若生シェフの美味しい料理、かっちんが数カ月をかけて編集作成した記録ビデオ観賞、等々と素晴らしい日々でした。

 参考 『赤とんぼ』2013年夏合宿 無事終了

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毎日暑い日が続く・・・

 数日前、高校時代からの友人から残暑見舞いのハガキが届いた。立秋を過ぎると残暑見舞いらしい。本当は私が残暑見舞いを出さねばならないのに、逆だった。

 彼を見舞いに大阪の病院に出かけたのは数カ月前だったと思う。高校時代の思い出の写真と二人で登った利尻富士の写真も確か見舞時に持参した。テントを担いで北海道を貧乏旅行したのだ。

 最近、浅茅原竹毘古(Muの旦那、木幡翁)の旦那が突然に鬼籍に入られたショックで世の中が面白くなくなってしまった。残暑見舞いの旧友も難病と闘っている。しかし、自分は判を押したように毎日の生活を変えず、朝4時に起床し鶴見川の河原で鳥や虫や生き物の写真を撮影している。49日が過ぎていないので、木幡の旦那は時折近くに来ておられるような錯覚を覚える時がある。

 まだ、うす暗い中、背丈を超える高さのセイタカアワタチソウを掻き分け、ズボンは夜露でビショビショになりながら撮影ポイントに向かっている。昔から、人は亡くなると、魂は鳥となって飛んで行くと考えられている。事実、5世紀頃の前方後円墳の周濠の島からは水鳥の埴輪が出土している。ヤマトタケルも魂は白鳥となり故郷を目指した。

 自分も何時、訪れるか判らない死を最近は特に感じるようになった。目の前の鶴見川の野鳥や虫や魚達の光景もどこかいとおしく思える今日この頃である。

 まさに、川の流れをみていると方丈記を思い出す。

毎日、当日撮影した鶴見川の野鳥の写真を掲載していますので、暇な人は覗いて下さい。

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赤とんぼ夏合宿まじかに迫る

 今週、金曜日から恒例の『赤とんぼ』夏合宿が白馬村の岩岳、『ちんぐるま』で開催されます。昨日から持参する電動機2機の調整をしたいので、リポ電池の充電器を探したが見つからない。

 本日、鶴見川の河原から帰着後、本格的にゴミ箱のような部屋を捜索した結果、やっと見つかった。パソコンの外付けハードデイスクの電源を利用しリポ電池充電器に危険な接続で充電可能でした。久しぶりに、送信機を取り出し、予め登録してある『スカイローバ』機と『ポンコツ複葉機』の設定にどう、辿りつくか操作方法を忘れているので、送信機のマニュアルを取り出し、やっとテストが出来た。

 複葉機は10年程度昔の飛行機ですが、多分、リポ電池とブラシレスモータにレベルをあげたので、大丈夫な筈です。部屋の中でプロペラを廻すと嫁はんに怒られるので、婆さんが居ない時にテストをしている。今日も快調な2機のプロペラ回転を確認した。

 『変態について』

 最近、EテレでBBC放送局が作成した『変態』に関する番組を感動しながら眺めていた。蝶々が大きな毛虫になって葉をむさぼり喰い、サナギを経由して蝶々になる。何とも不思議な生き方だ。テレビでは毛虫の状態では餌が無くなってしまうので、他の餌のありそうな場所に移動し生殖活動を行い次の世代にバトンを渡すらしい。

 オタマジャクシは自分でカエルになる時期を決定するらしい、個体毎、カエルになる時期が違うという。水中が安全ならなるだけカエルになる時期を遅らせ、巨大なカエルになり生存確率を高めたいそうだ。水が無くなりそうとか、水中の敵が増えればカエルになるらしい。

 何と、水中でのエラ呼吸から陸上での肺機能に変化させるんですね。面白いのはバッタでした。アフリカで恐怖とされてるバッタの集団行動、これも、餌が無くなるとバッタ同士が少ない餌に群がるので、後ろ足が接触し、あるホルモンが分泌され集団で行動するようになるらしい。本来、バッタは個人主義で一人で行動する昆虫らしい。事実、後ろ足をこするとバッタの集団行動を開始するそうだ。

 夏の蝉も変態する訳ですが、何年も芋虫みたいな格好で土中で生活しサナギにならずに、蝉の格好近い状態で土中から顔を出し夜中中に羽の生えたセミに変化し生殖活動を行う。これも芋虫のままでは餌に苦労するという環境がそうさせたんでしょうか。

 変態するのはクラゲやウニのような生き物から両生類、昆虫と限られるのでしょうね。哺乳類や爬虫類や鳥類で変態するのはあまり聞かない。地球の長い歴史のなかで変態により生き残る道を撰んだのが彼らの成功だったのでしょうね。何故なら、彼らは今でも生き残っているからです。

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日本の古代の王朝交代劇

 先日、旧友の松林君に諏訪大社と神長官守矢史料館、下諏訪史料館等々の案内を受け古代の諏訪地方で起こった侵入者(出雲勢力)と地元豪族の戦争結果の事後処理に大いに興味が引かれ、もしかすると、ヤマトでも同じような事が起こっていたのではないかと考えるようになりました。

 承前 諏訪大社と諏訪の古代史(1) 尖石縄文考古館と神長官守矢史料館

 承前 諏訪大社と諏訪の古代史(2) 諏訪大社下社秋宮

 承前 諏訪大社と諏訪の古代史(3) 下諏訪町立歴史民俗資料館

 諏訪大社では、神として祀られるのが大国主命の息子で出雲でヤマト王権との戦いで敗れ逃げて来た建御名方神(たけみなかたのかみ)で、祭祀を行う側が土豪の神長官守矢であった。その後も大祝は建御名方神の血筋を引く諏訪氏や保科氏が祭りあげられ、現場と実質的な力を持ったのは神長官守矢一族であった。

 ヤマトに最初に侵入したのは神武天皇よりも早く侵入しヤマトの土豪(ナガスネヒコ)と折り合いをつけていたニギハヤヒでした。ニギハヤヒも神武さんと同じ隼人系ではないかと推測していますが、最初は河内湖から交野の岩船に上陸し陸路、ヤマトに入り磐余(イワレ)の鳥見山に鎮まったと考えられる。

 神武さんはニギハヤヒとナガスネヒコの連合王権を倒し、新たな王権をヤマトに創立した。神武さんは前王権のニギハヤヒを鳥見山に祀り鎮めをおこなった。この鳥見山、トビ、という地名が今も残りますし、神武さんに味方したトビも気になる所です。桜井茶臼山古墳は前期前方後円墳であり副葬品や古墳の規模から明らかに大王級の古墳であり、箸墓と同じくらい重要な古墳だと思います。

 この古墳の傍に宗像神社が存在する事を故、森浩一先生は注目されていました。宗像の九州の海人族が大いに鳥見山周辺の磐余(イワレ)の地に関与していたのです。勿論、近くの耳成山近くの地は同じく海人族のアベの地名が残っています。丹後半島から琵琶湖経由のアベ海人族の侵入もあったと思います。

 三輪山は明らかに出雲の神様、大物主さんですから一番最初に奈良盆地を開拓し、銅鐸文化の華を咲かせていた。そして、九州の海人族である隼人系のニギハヤヒが侵入し、その後に、同じく海人族の隼人系の神武が吉備勢力と一緒にヤマトに侵攻したのではないだろうか。

 全く根拠のない空想の域を出ていないが、真夏の夜の夢としておきます。もう、こんな記事を書いても意見を言ってくれる木幡の旦那、Muの旦那はこの世にいない。

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追悼 考古学者 森浩一先生

 この数年、人工透析をされ病魔と闘いながらも執筆に執念を燃やしておられた考古学者の森浩一先生が先日、鬼籍となられた。私の考古学に関する情熱は森先生の沢山の本に導かれたと思います。素人に判り易く解説され人の意見ではなく、自分の意見を堂々と述べる森先生の姿勢が大好きでした。

 最後にお会いしたのは、三重大学の山中章先生が主催されている壬申の乱ウォーク&久留倍(くるべ)遺跡まつりに参加した時が最後となりました。2010年11月24日、三重県の三岐線の大矢知駅で開催されたイベントでした。

 参考 久留倍(くるべ)遺跡まつり&壬申の乱ウォーク(2010年11月24日)

 この時の森先生の講演では天武天皇と持統天皇が真剣に信濃の国に遷都する事を計画されていた事を教えて貰いました。そして、伊勢湾に関して森先生独特の史観が『三尾勢の内海』という彼の新しい言葉に秘められてる事を知りました。

 参考 三尾勢の内海(みおせい) 三河・尾張・伊勢に囲まれた内海

 山中章先生の追悼記事を見つけましたので、リンクしたいと思います。

 参考 森浩一先生が亡くなられての条

 実は今年春に壱岐紀行をしましたが、これも森浩一先生の学生時代の旅紀行を聞かせてもらっていたからです。百舌鳥の古墳群に囲まれる場所で育ち、古代史に夢を抱き考古学を目指した森少年の純粋な心が最後まで褪せる事がなかった考古学者さんでした。

彼が考古学を目指した頃は帝国大学の考古学者が学会を支配する時代だったと思います、彼は果敢に官学に挑戦し出版界や知識人を巻き込み戦ったのではないでしょうか。司馬遼太郎さんや松本清張さんとも連携し多くの出版物を世に出し、広く世間に古代史ブームを創生したのも森さんの功績ではないだろうか。

 先生が生きておられる間に、是非とも桜井茶臼山古墳に関して先生の本音を訊きたいと思っていましたが、もはやそれも叶わぬ事となりました。

 合掌

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Muさんの追悼記事を探す

 我が家では滅多に冷房を使用しないのですが、昨日から冷房をかけっぱなしである。異常な蒸し暑い日が連続している。昨夜はこの家で初めて一晩中冷房をつけて就寝した。蓼科の標高1600㍍から1700㍍の別荘は涼しいだろうな~と羨ましい。今後もこんな暑い夏が到来するなら、何処かに逃避する場所を探した方がいいかも知れない。

 夏の暑い期間だけ涼しい別荘の管理人として住み込みで雇ってくれるところは無いでしょうか。給料はいらないから、食事の世話と野鳥を一緒に撮影するので雇ってくれる人はいないでしょうかね。

 私の親戚も家内の実家も全て灼熱の関西ですから、親戚に頼る事も出来ない。来年はもっと暑い40度を超える猛暑が襲うなら本当に真剣に考える必要がありそうです。

 昨日も、今日も朝の5時半頃に鶴見川の河原に撮影の為に出かけたが、サウナ風呂みたいな湯気が遥か川面の上を漂っており、超望遠レンズでの撮影は殆ど不可能ではないかと思われる程だった。しかも、満潮と重なり干潟が出現していないので、野鳥もあまりやって来ないので早々と引きあげる事にした。

 Muの旦那(木幡翁、浅茅原竹毘古、谷口先生)追悼記事

 古代の有名な人は沢山の名前を持っているものです、例えば、出雲の神様は大物主、大国主、大穴持、等々といった按配で故谷口先生も沢山のお名前をお持ちでした。関係者の非公式な追悼記事がないか探してリンクしておきたいと思います。

 ・ふうてん老人日記 

   Muさんが死んじゃった篇(ほかもさんの追悼文含む)

 ・鷺水亭より

   27年来の仲間を思い出しながらの追善供養

 ・空と旅と風景と

   深悼の辞

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銅剣鋳型が滋賀県高島市で出土

 滋賀県高島市、上御殿遺跡から弥生中期と考えられる、銅剣の鋳型が出土した。この銅剣は中国北方遊牧民が春秋戦国時代に使用していた短剣と酷似するという。

 読売新聞ニュース 「遊牧民」流銅剣の鋳型 滋賀・高島で日本初出土

 同上  銅剣鋳型出土「砥石かと思った」

 毎日新聞ニュース 銅剣鋳型国内例ないタイプ

 湖西の高島と言えば、2008年11月に故 Muの旦那と訪問した事を思い出します。

 過去ブログ 近江 Mu&Jo 弥次喜多紀行

 特に、鴨稲荷山古墳(高島歴史民俗資料館)を参照して下さい。

 今回の弥生時代中期に既に中国北方の民族の銅剣に類似する銅剣を製造する文化文明が湖西の安曇川の近く、高島(鷹嶋)の地に華がひらいていた。九州だけが大陸の文化文明の受け入れ口ではなかった事を証明している。

此の地は、故Muの旦那も私も継体天皇の父や親族の縁の地であり、製鉄に関する技術が早くから芽生えた場所である事に注目していました。

 弥生中期の頃から既に銅剣を製造する技術を持っていた事が今回の鋳型出土で判明した。この丹後半島、若狭湾から湖西、湖東の近江の地はヤマト王権が誕生する以前に文化文明が花開いていた。弥生時代の最大の米生産地域はこの近江だったのです。

 参考 伊勢遺跡

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映画『風たちぬ』と原画展(横浜三越)を見学する

昨日、横浜の映画館に『風立ちぬ』を観に出かけ、帰り道、百貨店の『そごう』に『風立ちぬ 原画展』を観に立ち寄った。

 宮崎駿さんは本当に飛行機好きだという事が判ります。私が観た宮崎駿さんの映画では必ず飛行機と風が登場した記憶があります。

今回の映画では九試単座戦闘機が主に注目されていました。逆ガル翼の美しい飛行機だと思います。調べると、ラジコンの世界でもこの飛行機を製作し飛ばしている人が居るようです。

  参考 YouTube 九試単座戦闘機飛行ビデオ

 堀越二郎さんの『零戦』という本を読んで感動し、ラジコンクラブ『赤とんぼ』が出来たといって過言では有りません。当時、会社ではアメリカの会社と提携せず、国内では唯一私が属した会社だけが独自路線でコンピュータのHW/SWの開発をしていました。特に当時オンラインシステムの開発で成功をおさめ、破竹の勢いで市場を独自路線で攻めていた時に、堀越さんの『零戦』という本に出合いました。技術者の琴線に触れる本でした。

 『風立ちぬ』では『零戦』の設計にかんする秘話や苦労話が殆ど触れられていませんでしたので、私は少し物足りない気持ちでした。しかし、世界一を目指して物作りをする姿勢が綿々と戦後の日本の製造業に受け継がれているのではないでしょうか。業種は異なるが、堀越二郎さんのスピリッツは日本人の技術者に受け継がれていると確信しています。

 そして、昭和レトロが好きな人は是非この映画を観ると満足されると思います。昭和初期の風景を堪能出来ると思います。原画展には沢山の若い女性達が詰めかけていました。スタジオジブリの丁寧な各場面の原画を観る事が出来ます、流石に凝りに凝っていました。

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日本アルプス登山規制について

 中学生の時にワンゲル部に先生から強制的に入部させられ、何故か大学でもワンゲル部で過ごした経歴があります。その頃は日本アルプスに登る人は限られた人達でした。社会人の山岳部や信仰の人々、未だ、『山ガール』が存在しなかった。(大学のワンゲル部にはメッチェンと呼ばれる人もいたが、限られた人々でした。)

 登山をするには、ラジオから聴こえる気象情報を地図にリアルタイムで書きこみ、天気図を作成出来る能力を必要とされた。例えば、南鳥島、南南西の風、雨、風力3、千ミリバール、此れをオタマジャクシのような記号に風向きを示す矢と風力を示す髭、そして天気を○の中に記入する。今でも新聞にはこのような天気図が掲載されていますね。

 難しいのは低気圧や高気圧の中心と気圧の等高線を描く事でした。此れが出来ると、新人は山に登らせて貰えました。最近では衛星写真があるので、雲の動きや低気圧、高気圧の中心が判り易く、簡単に気象図がかけるようになりました。1年生の夏合宿で雲の平で台風に襲撃されましたが、テントの中で必死に天気図を作成して事を思い出します。

 ところで、日本の高い山は殆どが信仰の対象となっており、神聖な場所として古来より人々に守られて参りました。そこが、欧米の山と異なる所です。日本百名山の深田久弥さんが昔話されていたのですが、欧米人は直ぐに山に人の名前をつけたりする。これが、ヒマラヤでもそんな事をするのが許せないと言ってましたね。ネパールや近郊の人々が神聖な山と崇めているのに、発見した西洋人の名前をつけるのは許せないと言ってました。

 日本の山で、人の名前がついた山はちなみに一つもないと思います。五郎という山の名前はゴロゴロした石がある山という意味で名前ではないです。この神聖な山を沢山の異文化の人々が訪れるのをどう受け入れるか。私は昔のように、信仰を持てという手は通用しないので、前向きに神聖な山を開放すべきだと思います。

 そこで、山小屋をスイスのように綺麗な近代的なホテルのようにして、トレッキングは地元のガイドを雇わないと不可としてはどうかと思います。欧州のアルプスは殆どそのような規制が引かれています。外国人に安全にトレッキングをして貰う為です。

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蓼科 白駒の池(北八ヶ岳 自然保養林)

 2013年7月、旧友の蓼科の別荘の近くの白駒の池を訪問しました。

 マイフォト 蓼科 白駒の池(北八ヶ岳 自然保養林)

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鶴見川散策 野鳥関連の掲載

 暫くは、次のココログのアドレスで野鳥や紀行写真を掲載したいと思います。

出来る限り、毎日、その日の早朝の鶴見川か大倉山の野鳥の写真を掲載します。

富士山周遊の旅、関連を掲載しました。(2013年9月4日)

第19回 『G4の会』 上高地・西穂・乗鞍岳紀行関連を掲載しました。(2013年9月11日)

千歳川散策 野鳥の連載を始めました。(2013年9月18日)

十五夜を撮影しました。(2013年9月19日)

佐渡紀行 連載を始めました(2013年9月25日)

 ミニクルージング&Sachikoライブ(正木さんプロデュース)掲載

 赤とんぼ2013年度、秋合宿速報を掲載

 第20回 『G4の会』磐梯山・五色沼・鶴ヶ城・飯盛山紀行(1)五色沼編掲載

 日光 名所と紅葉を巡る旅(1) 輪王寺編 掲載を始めました

 ギリシャ紀行 速報版 掲載しました

 北海道 『ウトナイ湖』 掲載しました

 昔の仲間の新年会 掲載しました

 同期の新年会 掲載しました

  三保の松原紀行(3) 御穂神社 掲載しました

 出雲古代史紀行 掲載をはじめました

 フィンランドとバルト三国紀行 掲載をはじめました

 赤とんぼ2014年度春合宿速報 掲載しました

  赤とんぼ2014年度春合宿速報 Ysさんの写真集(空撮で私の機体が撮影)

 島根県 足立美術館 庭園

  明治の偉人 陸奥宗光・大隈重信 大磯別邸

 第22回 『G4の会』 南アルプス夜叉神峠・高安山登山

 サンケイリビング新聞社から出雲モニター記事がアップされました

 『イカルチドリ』足環が判明する(山科鳥類研究所から連絡)

  梅干と梅酒を仕込む

 京都 祇園祭(前祭 2014年7月17日 山鉾巡行) 

 2014年度 赤とんぼ夏合宿(フライト編)(2014年8月1日・2日・3日)

 2014年度 赤とんぼ夏合宿(姫川源流・親海湿原編)(2014年8月2日)

 2014年度 赤とんぼ夏合宿(岩岳散策編)(2014年8月2・3日)

 ワンゲル17回生同期同窓会 翔羊(しょうよう)山荘・新潟月岡温泉(2014年8月18~21日)

 第23回 『G4の会』 大菩薩嶺・八方尾根(大菩薩嶺登山編)

 第23回 『G4の会』 大菩薩嶺・八方尾根(八方尾根編)

 竹田鎮三郎とメキシコの愛弟子たち展

 ドイツ紀行 3000㌔の旅 はじめに

  赤とんぼ 秋合宿速報(2014年10月23~25日)

 鶴見川散策 野鳥関連写真掲載(Indie History)

 過去記事と写真を参照するにはヘッドラインの地域ボタン『日本』の『関東』を選択すれば鶴見川の過去の記事や写真を参照出来ます。北海道の鳥は『北海道』を選択して下さい。

最近の過去記事はバックナンバーの最後の『続きを見る』をクリックしてください。

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悲報 MuBlogの旦那、木幡翁身罷る

 ふうてん老人さんから突然に電話があり、MuBlogの木幡翁が29日に身罷かられたと報を受けた。覚悟はしていたが、早すぎる死の連絡でした。ふうてん老人の御紹介で私は木幡翁と出会えました。彼がまだ京大の図書館に勤務されている頃で、随分と昔の頃だったと思います。

 その頃、長尾先生の研究会のメンバーで特に親しくなった筑波の原田さん、木幡翁、ふうてん老人、私と4人で河原町を飲み歩いた記憶があります。そんな原田さんも既に故人となり、今回は木幡の旦那があの世に召された。本当に残念です。

木幡翁とはほぼ同じ頃、即ち2004年4月にココログを一緒に始めた。9年前でしょうか、そして、ふうてん老人もココログを開始されたと記憶しています。そして、文章を二人から添削を受けて、何とか人様に読んで貰えるように成長しました。

 この数年は宇治に帰省すると必ず木幡の旦那の運転で古代史を巡る遺跡を訪れ、一緒に歩いた。そして、意見の交感を行っていました。何故か古代史を観る価値観を共有していたように思います。

彼のブログの最後は彼らしい『楠木正成』で私もコメントを行い6月9日のコメント返しが最後となりました。

 MuBlog絶筆 『楠木正成のこと』(2013年6月7日)

 今年の春頃に肺癌を宣告されたメールをふうてん老人とともに受信していました。免疫療法で病魔と闘われていたと推測します。しかし、遂に、悲しい結果となりました。

 木幡翁とのこの数年を振り返ってみます。

 1.難波宮・大阪歴史博物館・四天王寺・磯長墓訪問

   2012年12月、木幡翁の運転で宇治木幡を基点に訪問しました。お昼は大阪歴史博物館のレストランでした。彼は特に聖徳太子の墓前で感慨深くされていたのを思い出します。

 2.木幡翁横浜・鎌倉を訪問される

   2012年8月の夏休みに新横浜のプリンスホテルに2泊され、ふうてん老人と私の三人で鎌倉文学館や八幡さんを訪問しました。

  

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