« June 2013 | Main | August 2013 »

諏訪大社と諏訪の古代史(3) 下諏訪町立歴史民俗資料館

 承前 諏訪大社と諏訪の古代史(2) 諏訪大社下社秋宮

 諏訪大社下社秋宮の位置は交通の要に位置しています、甲州街道と中山道が交わる場所なんですね。古来、多くの人々が行き交い交易が行われたと思います。江戸時代でも京都と江戸を行き来する人々、甲州街道を利用する人々が行き交い、宿場町として発展した。

 下社秋宮の近くに、下諏訪町立歴史民俗資料館があり立ち寄りました。説明して下さった人が熱心な人で、御柱祭りでは大活躍をしておられる人のようでした。本当に諏訪を愛しているという事がよく判りました。

 お舟祭り

 下社では毎年8月1日に『お舟祭り』が開催されます、春宮から秋宮に御魂が移られる行事だと聞いています。大きな柴舟に翁と媼が乗りその舟を担ぐそうです。

この『お舟祭り』は上高地の明神池の穂高神社の奥社でも明神池に舟を浮かべ行われる行事でした。

 参考 神河内(上高地)逍遥記 (9) 明神池・穂高神社奥社

 参考 神河内(上高地)逍遥記 (1) 穂高神社

安曇族は日本海の姫川から遡上し、現在の安曇野を開拓した。当時の神河内(上高地)の明神池に奥社を建設したと考えられます。御神体は奥穂高岳です。

 下社のお舟祭りには安曇族の歴史が記憶されていると思います。先祖は舟に乗り列島を開拓して行く人々だった訳です。

 マイフォト 下諏訪町立歴史民俗資料館 写真

| | Comments (0)

諏訪大社と諏訪の古代史(2) 諏訪大社下社秋宮

 承前 諏訪大社と諏訪の古代史(1) 尖石縄文考古館と神長官守矢史料館

 諏訪大社下社秋宮を訪問した。諏訪大社は4カ所に存在する奇妙な大社である。諏訪地方は大きく分けて古来より上諏訪と下諏訪に分かれていた。上(かみ)、下(しも)と言うのは川の水が流れる方向を示しており上(かみ)とは諏訪湖に八ヶ岳山麓から水が流れてくる方向を意味している。 参考地図 諏訪大社4カ所

 次いで、鴨(賀茂)氏の神社も賀茂川の上流を上(かみ)と呼び上賀茂神社、下賀茂神社と配置されている。という訳で、諏訪地方は水が流れる上流地域を上諏訪地方と呼び、諏訪湖地域から天竜川方面を下諏訪地方と呼んだ。二つの地域に諏訪大社上社と、下社が生れたと考えられる。

 諏訪大社下社には春宮と秋宮が存在し、8月1日下社の御魂は『お船祭』で春宮から秋宮に移動される。

 神長官守矢史料館で見学した再現『御頭祭』は諏訪大社上社で行われる祭祀です。上社は前宮と本宮と二カ所に分かれ、『御頭祭』は本宮から神輿がでて、前宮の十間廊で開催される。と言う事は、上社前宮が一番古く、且つ重要な場所である可能性を含んでいると思います。

  マイフォト 諏訪大社下社秋宮 写真集

  参考 諏訪大社公式ホームページ

 諏訪大社と言えば、御柱祭(おんばしらまつり)が有名ですね、7年毎、寅と申の年に行われる大行事です。正式には『式年造営御柱大祭』と呼ばれるそうです。宝殿の造り替えと、社殿の四隅に『御柱』と呼ばれる樹齢200年以上の樅の木を曳き立てる行事です。

  参考 諏訪大社御柱祭

 社殿四隅に建てられる御柱には、色んな説があるようです。

 ①ヤマト王権との約束

 建御名方神がこの諏訪の地から外にでないという約束から、神社の四隅に柱を立て、この領域から出ないという意味。

 ②結界説

 建御名方神と妃が存在する結界とする説。

 ③日本海沿岸の縄文時代からのトーテム信仰

 日本海沿岸には巨木を建立し神の依り代とする信仰が存在した。三内丸山遺跡、石川の真脇遺跡の巨大環状木柱列、出雲大社の16丈の高層神殿等々があります。聖なる場所(先祖の墓)の周りに巨石列をつくるとか、巨木を立て並べる習俗が縄文時代より存在しています。

| | Comments (0)

諏訪大社と諏訪の古代史(1) 尖石縄文考古館と神長官守矢史料館

 本日、JoBlogは260万アクセス、最近の画像を収録するブログが10万アクセスとなり合計270万アクセスを達成したようです。2004年4月からこのブログを開始し9年も経過したようです。もうこのブログにも容量が無くなり、一向にブログの容量拡大をしてくれないので、何処かでブログを止める事になるかも知れません。今の時代、10ギガなんて直ぐにオーバーしますね、10テラにして欲しいです。さて、270万アクセス記念記事は諏訪大社と諏訪の古代史を採りあげてみます。

 1.縄文時代から諏訪大社が出来るまで

 諏訪大社は御柱祭で有名ですが、縄文時代より諏訪湖の豊かな自然に恵まれ人々が古来自然とともに営んで来た場所を代表する社でした。

 尖石縄文考古館を訪れると、縄文中期から縄文後期前半に繁栄した人々の暮らしの断片を知る事が出来ます。特に縄文中期の棚畑遺跡から1986年に出土した土偶、国宝『縄文のヴィーナス』は有名です。豊かな妊婦を形象した像と考えられているが、縄文中期の豊かな人々の暮らしを想起させます。

 この土偶とは三回目の対面でした、二度目の対面は大英博物館での縄文土偶展でした。この土偶と非常によく似た土偶をフランスの博物館かウイーンの博物館で観た記憶があります。場所は異なるが、同じような時代に人々は同じような事を考えていたのだと思った記憶があります。

  又、縄文後期前半の遺跡である中ッ原遺跡から出土した土偶、重文『仮面の女神』も有名です。長さ34㌢、重さ2.7㌔もあります、中は空洞です。そして、その後は寒冷化が進み人々は諏訪から去って行ったようでした。

 参考 尖石縄文考古館 写真

 2.神長官(じんちょうかん)守矢史料館

 ヤマト王権が出雲に建御雷神(たけいかづちのかみ)を派遣し大国主神に国譲りを強要した事件がありました。その時に大国主神の息子の建御名方神(たけみなかたのかみ)は国譲りに同意せず、ヤマトと戦いますが、敗走しお母さんの故郷である糸魚川、姫川の翡翠の里を経由し姫川を遡上し諏訪に辿り着いたのです。彼のお母さんは大国主神と結ばれた姫川の翡翠の女王、沼河比売(ぬなかわひめ)で幾多の伝承を残した女性です。

 建御名方神が諏訪に侵攻する時に諏訪の土着の勢力と天竜川で戦いが起こりました。土着の豪族がこの史料館の神長官守矢氏だったのです。土着の豪族は戦いに敗れますが、出雲の建御名方神と妃の八坂刀売神(やさか とめのかみ)を祭神として祭り、神官は土豪の呪術を担当し諏訪を縄文時代から治めて来た、守矢氏が担当する事に落ち着いたという。

 この土豪の守矢氏は諏訪神社上社の神長官(じんちょうかん)として君臨し祭祀を取り仕切り76代まで継続し明治政府の国家神道の政策により神長官を退くのです。

 出雲が諏訪に侵攻す以前の神は神長官守矢家の裏山である守屋山を御神体とする『ミシャクジ』神でした。東日本の古代に多く見られる信仰であり縄文時代まで遡る可能性があるようです。山から神を降臨させる場所が守屋家の裏庭にある『ミシャクジ』社と社叢です。写真に収録しておきましたので、御参考下さい。

Continue reading "諏訪大社と諏訪の古代史(1) 尖石縄文考古館と神長官守矢史料館"

| | Comments (0)

蓼科高原の野鳥(2013年7月下旬)

 蓼科高原の標高1700㍍付近で観察した野鳥です。

 マイフォト 蓼科高原の野鳥(2013年7月下旬)

| | Comments (0)

ヘリ搭載型護衛艦

 鶴見川の河原で毎日、早朝、野鳥の観察をしているが鳥とは別に、上空を飛行機やヘリが行き交う。師匠と一緒に時折、上空を通過するこれらを撮影している。

 先日、師匠が8月に進水式を行うヘリ搭載型護衛艦に関する噂話をされていたので、少し、ネットで調べてみました。

 参考 19500頓級護衛艦(ウィキペディア)

 全長248㍍、全幅38㍍、ヘリ5機同時離着陸可能、速力30ノット、世界的にはヘリ搭載型護衛艦と呼ばれるそうです。22DDH、24DDHと2台建造中だそうです。1台は8月初めに進水式を行うという。

 参考 22DDH、24DDH関連画像

 護衛艦というのに、火器の防衛力が最小限だと説明されている、イージス艦と一体となり行動する補給艦でありヘリポート基地だと説目されている。此れだけ巨大な艦なのに30ノットの高速で航行可能だ。

 磯子の造船所で建造中だというので、グーグルで検索すると衛星写真で見つける事が出来ました。

 参考 磯子造船所衛星写真

 考えてみると、オスプレイを搭載し行動する事で高速小型航空母艦という役目のように思えますね。そして、次期主力戦闘機候補、F35戦闘機は垂直離着陸機ですから、数年先にはF35を搭載し行動する可能性も考えられます。

 いつの間にか、日本もこのような護衛艦の建造をしていたのですね。最近の海防の課題を考えるとジャストタイミングで進水を行うのですね。ちなみに、艦名は『出雲』という噂があるようです。

 ちなみに、オスプレイとは猛禽類の『ミサゴ』です、海の中にいる生きた新鮮な魚しか捕獲して食べない猛禽類です。軍機『オスプレイ』の名前はそんな海の中に潜む潜水艦を魚にみたてた名前ではないでしょうかね。

| | Comments (2)

北海道の『トラ(猫)』と野鳥

 北海道の夏の思い出、トラと野鳥です。

 マイフォト 北海道のトラと野鳥(2013年7月)

| | Comments (0)

北海道で出会った野鳥ダイジェスト版(2013年6月末)

 北海道はやはり本州とは異なる生物領域だと思った。独特の野鳥が生息しているようです。例えば、ニュウナイスズメは頭が栗色で頬の黒班が存在しない。

コムクドリも頭がツルりとしている。ノビタキも輪厚川の河原には無数に存在していた。♂と♀が異なるので判り易い。

アカゲラは初日に防風林の林で遭遇した。時折、家の近くに並木まで来ます。北海道では馴染の野鳥のようだ。

コヨシキリは千歳川と輪厚川の合流地点で遭遇しました。ヒバリや、イソシギ、コチドリも居ましたね。

 防風林でトビの巣に遭遇したのには驚きました、大きな巣が数㍍先にあり感動でした。

 マイフォト 北海道で出会った野鳥たち(2013年6月)

| | Comments (0)

身近な猫二匹

 北海道の娘の家には現在、猫が一匹生き残っている。名前は『トラ』、元はノラ猫で殺処分の時に娘が病院から連れ帰った猫。臆病で殆ど家族以外の前には姿を見せない猫。

しかし、最近は私の前に出現するようになり、背中を掻いてあげると喜ぶ。10年以上かけて、やっとなついて来た。

もう一匹は京都の義父が面倒みているノラの子猫。アメリカンシュートへア風のノラである。何時も庭先に来たり、玄関先でウロウロしている。

 北海道の娘の家には以前、アメリカンショートヘアの猫が飼われていたが、先年、亡くなった。何かの縁なのか、今は義父が子猫の面倒をみている。

 マイフォト 身近な猫二匹

| | Comments (0)

北海道夏の野鳥(2013年6月末~7月上旬 北広島にて)

 未だ工事中ですが、北海道は北広島に滞在中観察出来た野鳥のアルバムを制作中です。

途中ですが、公開です、暫く、京都と上高地に滞在するので時間がありません。

 マイフォト 北海道夏の野鳥(2013年6月末~7月上旬)

| | Comments (0)

横浜に帰還、明日から京都

 朝9時の千歳発の便で羽田に戻り、横浜の家に到着。羽田で孫が無事に退院出来る事を知る。本当に子供の入院は可哀そうだ。動きたいのに動けない。

数日間、入院している孫の弟の面倒を観たが、2歳児、可愛い盛りだ。

 横浜に帰宅後、北海道で撮影した今回の2回の旅での孫の写真で、宇治の義父に見せる事が出来そうな写真を40枚程度2L版で印刷した。インクや印刷用の紙をを買いにPCデポ2往復だった。

 そして、14日は京都から新幹線で名古屋経由で松本、新島々経由で上高地に入る予定なので、明日の荷物は登山靴を始め山登り道具と、京都での法事用の黒の衣装の準備で大変です。どえらい、荷物になりそうだ。

 高級カメラとレンズの威力は凄まじく、印刷すると見事な写真が出来あがりました。やはり、写真はカメラとレンズが大事なようですね。安物のカメラでは拡大するとボロがすぐに出ますね。ニコンの200㍉のレンズは素晴らしいものでした。

 そうそう、北広島の娘家族の家の近くの防風林でトビの巣を発見した、二羽のトビを巣で撮影出来ました、僅か3㍍程度の距離でした。

| | Comments (0)

北海道にトンボ返り

 なぜか又、北海道に戻っています。

孫が入院してしまい、応援で爺さんが急遽戻りました。

という訳で、しばらくは北広島で過ごすことになります。来週末は京都で法事ですし、14日からは上高地、穂高登山が待っています。

 超多忙となりました。

| | Comments (0)

« June 2013 | Main | August 2013 »