諏訪大社と諏訪の古代史(2) 諏訪大社下社秋宮
承前 諏訪大社と諏訪の古代史(1) 尖石縄文考古館と神長官守矢史料館
諏訪大社下社秋宮を訪問した。諏訪大社は4カ所に存在する奇妙な大社である。諏訪地方は大きく分けて古来より上諏訪と下諏訪に分かれていた。上(かみ)、下(しも)と言うのは川の水が流れる方向を示しており上(かみ)とは諏訪湖に八ヶ岳山麓から水が流れてくる方向を意味している。 参考地図 諏訪大社4カ所
次いで、鴨(賀茂)氏の神社も賀茂川の上流を上(かみ)と呼び上賀茂神社、下賀茂神社と配置されている。という訳で、諏訪地方は水が流れる上流地域を上諏訪地方と呼び、諏訪湖地域から天竜川方面を下諏訪地方と呼んだ。二つの地域に諏訪大社上社と、下社が生れたと考えられる。
諏訪大社下社には春宮と秋宮が存在し、8月1日下社の御魂は『お船祭』で春宮から秋宮に移動される。
神長官守矢史料館で見学した再現『御頭祭』は諏訪大社上社で行われる祭祀です。上社は前宮と本宮と二カ所に分かれ、『御頭祭』は本宮から神輿がでて、前宮の十間廊で開催される。と言う事は、上社前宮が一番古く、且つ重要な場所である可能性を含んでいると思います。
マイフォト 諏訪大社下社秋宮 写真集
参考 諏訪大社公式ホームページ
諏訪大社と言えば、御柱祭(おんばしらまつり)が有名ですね、7年毎、寅と申の年に行われる大行事です。正式には『式年造営御柱大祭』と呼ばれるそうです。宝殿の造り替えと、社殿の四隅に『御柱』と呼ばれる樹齢200年以上の樅の木を曳き立てる行事です。
参考 諏訪大社御柱祭
社殿四隅に建てられる御柱には、色んな説があるようです。
①ヤマト王権との約束
建御名方神がこの諏訪の地から外にでないという約束から、神社の四隅に柱を立て、この領域から出ないという意味。
②結界説
建御名方神と妃が存在する結界とする説。
③日本海沿岸の縄文時代からのトーテム信仰
日本海沿岸には巨木を建立し神の依り代とする信仰が存在した。三内丸山遺跡、石川の真脇遺跡の巨大環状木柱列、出雲大社の16丈の高層神殿等々があります。聖なる場所(先祖の墓)の周りに巨石列をつくるとか、巨木を立て並べる習俗が縄文時代より存在しています。
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