鶴見川河原から世界を眺める
毎日、朝5時頃には起きて家族の朝食を用意して6時過ぎには鶴見川の河原に出かける。早朝は蚊がいるので、肌を出すのは危険だ。だから、手袋をして長袖との間も閉鎖する為に昭和初期の事務員がしていた黒い布の筒状のもので両端にゴムが仕込んだものを両手に装着し、帽子の下には日本手ぬぐいで顔を隠す格好で河原に向かう。
私は高血圧の薬の影響で今は極端に皮膚を紫外線にあてる事を禁じられている。まるで、怪しい風体で鶴見川の河原で早朝から鳥や亀や虫や魚を眺めている。まさに、鴨長明の『方丈記』の世界です。しかし、彼は貴族だったし、名門の鴨氏の一族、琵琶や琴も演奏出来たし、教養も私の何倍もあったと思います。
『行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫は、かつ消え且つ結びて、久しく留まりたるためし無し。』この言葉は受験時代に覚えた方丈記の世界である。毎日、鶴見川の流れをみているとこの方丈記の言葉が現実のように思う。
時に、上流で殺された鯉やボラの死骸が流れてくる。色んなものが流れてくる。残念ながら『もも太郎』の桃には出会えていない。鶴見湾の干潮・満潮の影響をうけて河底が見えたり、満々と水を蓄えた川の風景にもなる。鳥たちはこの干満の差をよく、存じているようだ。
まだ1年か2年しかこの鶴見川の四季を真面目に観察していないが、日々変化がある事に気がついています。目の前に登場する鳥が先ず異なる。ムクドリが子供達を育てたと思ったら、急に全員居なくなる。何時もいるのはカラスとスズメとカルガモだけだ。
私の師匠は7年以上もこの場所で自然界を撮影して来られている大先輩である。定点観測というのは自然科学の世界では重要だそうだ。動かずに世界を撮影し続ける事は重要であるようだ。鳥を撮影する専門家は鳥を求めて撮影に行く。しかし、同じ場所で何年も何年も撮影を継続する事の方が自然科学的には意味があるような気がする。
日本には鳥の種類が600種なにがし生息しているらしい。より多くの種類の鳥を撮影しようと血眼になる人々が多いと聴く。しかし、私の師匠は同じ場所に座り、何年も何年も撮影を継続している、60種類なにがしかもしれないが、貴重なデータを未来に残しておられると私は評価しています。
青い鳥を追いかけて行く人間よりも、鴨長明のように同じ場所で世界を観る事も重要ではないだろうか。
中国人民解放軍の話や韓国のこの前の大統領の行動や不可思議なものが多いが、定点観測すれば真実が見えてくるような気がする。動くものに目を奪われず、常に流れて行く川、即ち歴史を定点から観測する事が先輩から教えられた知恵ではないだろうか。
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