古代インド文化と古代日本
東南アジアを旅すると古代インドの文化の影響を多大に受けた地域である事を実感されると思います。カンボジアのアンコールワット・トム遺跡やタイの寺院遺跡、中部ベトナムの寺院遺跡群、今回旅をしたインドネシアの寺院遺跡。そして、神に捧げたと考えられる舞踏も古代インドの神話を土台にしています。
大野晋さんの日本語ルーツはインド南部東のタミール語であるという説に興味があり、スリランカを訪問した事もありました。彼らが簡単に日本語を学べるという話を現地で聴いて驚いた事もありました。
古代インドがアーリア人の侵入を受けた時に陸路や海路で古代インド原住民は逃げたのではないでしょうか。インドネシアなどは陸路よりも、海路で逃げた人々が古代インド文化を伝えたのではないかと推測しています。事実、ジャワ島の8世紀という新しい時代ですが建造された大乗仏教の遺跡のレリーフには帆船が彫刻されていました。
私はベトナム中部のチャンパ王国の遺跡やタイ王国、カンボジア、インドネシアの訪問で見聞した遺跡やレリーフに描かれた神話や伝統舞踊を観ると古代インドの文化の影響が絶大である事を感じました。この東南アジアに伝播した文化は海路にて古代の日本列島に伝播しない筈がないと思います。
日本の記紀神話に伝えられた内容は殆どが南方系のものだと考えられています、隼人が伝えたものでしょうね。昔、アジアの昔物語のアニメを制作し日本のテレビで放映しようという企画に関係した事がありました。かぐや姫や浦島太郎の伝説のルーツを探りに台湾やフィリピンまで出かけた事もありました。
かぐや姫の伝説は私が生まれ育った実家の近くの隼人荘である事は明白で以前に記事を書きました。神武東征神話は古代の列島に大隅隼人や阿多隼人が東に移動し文化を伝えた記憶ではないかと考えています。
さて、本題にはいりますが、ヤマトタケル伝承の魂が白鳥になり故郷に飛んで行く話や前方後円墳に夥しい水鳥の埴輪は古代インドの最高神ブラフマー神の乗り物である水鳥ハンサではないかとトンデモ説の仮説を考えています。紀元前15世紀から紀元前10世紀の頃のバラモン教の時代には古代インドではブラフマー神が最高神であり、乗り物は水鳥ハンサだった訳です。
ヤマト王権の設立に大いに貢献した吉備国には『もも太郎伝説』が残っています。これも、古代インドの伝説のラーマーヤナが原典ではないかと考えています。コーサラ国(ヤマト王権)の皇子が悪魔の王(ラーヴァナ)が住むランカー島を襲撃し滅ぼしますが、鬼の住む島を鬼退治の話と類似しています。しかも、猿を仲間にして攻める話も同じです。
前方後円墳に埋葬される王は神となり周濠に突き出た造り出しの部分で祭祀が行われ、埋葬される王は最高神となり乗り物として水鳥ハンサが必要でした。そう考えると、何故、古墳時代の前方後円墳に多くの水鳥埴輪が設置されていたのか納得がゆきます。ヤマトタケルも最高神となり水鳥ハンサに乗り故郷に飛んで行きました。
最近の考古学では前方後円墳の形状の理由として壺宇宙思想を具現化した形ではないかというのが主流になりつつあると思います。考えてみると、ブラフマー神は宇宙を創造した神であり手には壺(宇宙)を持っています。
ヒンドゥー教や仏教が生まれる以前のバラモン教の時代の世界観が古代の日本列島に海人たちにより伝播していたと考えたいです。
参考
・国立博物館 水鳥型埴輪を考える
(追伸)
そうそう、忘れていましたが、ラーマヤナ物語でラーマ王子が妖怪の羅刹女を倒す時に弓弦を鋭く引き音をたて、鳴らし、妖怪を退治する話があります。日本でも平安時代でも確か妖怪を退治する方法として弓弦を鳴らす習慣が残っていた筈ですね。
時には妖怪から身を守る為に弓弦を鳴らし結界を作り魔物に対してバリアーを張りました。こんな風習も古代インドの叙事詩がベースである事に驚きがあります。
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