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ジャワ島・バリ島紀行(3) ジョグジャカルタ 王宮(クラトン)

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 ジャワ島・バリ島のグーグル衛星写真です。今回の旅は成田からジャカルタ空港に飛び、国内線に乗り換えジャワ島のジョグジャカルタが第一の訪問地でした。そして、二日後にバリ島に飛び、デンパサールで二泊する旅でした。

 ジョグジャカルタは特別州だそうです、日本の敗戦後、直ぐにインドネシアは独立戦争を起こしますが、オランダとの戦いでジョグジャカルタの第9代スルタンが独立戦争に大いに活躍しインドネシアの独立を実現させたそうです。従い、独立後もこのジョグジャカルタは特別州として認められ、スルタンは知事に任命されているそうです。

 現在は第10代スルタンが存在し、現在もジョグジャカルタの王宮に住んでおれらます。今回はその王宮(クラトン)の訪問です。

 マイフォト ジョグジャカルタ 王宮(クラトン)写真集

 ガムランについて

 マレー半島からインドネシアにかけて青銅器で出来たガムランという楽器が今でも祭りや劇や影絵芝居、等々で演奏される重要な楽器です。このガムランのルーツはベトナム北部の現在のハノイの紅河流域で紀元前10世紀頃から栄えたドンソン文化の銅鼔に由来しています。

ハノイの民族博物館で見学した銅鼔のイメージが鮮烈に今も残っています。青銅器は本来呪鎮として開発されたという説が白川静さんの説です。

 参考 『呪の思想 神と人との間』白川静・梅原猛対談

 中国の殷王朝の青銅器で出来た鐃(ドウ=釣鐘の形をした祭器・楽器)も南方の紅河流域の南方族の銅鼔も日本の銅鐸も同じ遣われ方をした呪鎮であったと考えられます。音楽は神に捧げるものであり、神との交歓ではないだろうか。

中国で何回も発生した民族移動の波は日本にもマレー半島にも影響を与えたと考えられます。

 ガムランは青銅器が生まれた頃の本来の姿を今も伝える文化遺産ではないだろうか。

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