箸墓古墳・西殿塚古墳に学者の立ち入り
昨日のテレビのニュースで箸墓古墳と西殿塚古墳に学者の立ち入りを宮内庁が許可したというニュースが報道された。考古学・歴史学の分野で本当に大事な一歩が踏み出されたと思います。誰でも先祖の墓を調査されるのは屈辱であり、忌み嫌われます、しかし、今回のように発掘ではなく、第一段目の調査だけだったようですので御魂を汚す事はないと思います。
箸墓古墳
この古墳に関しては今まで数多くの記事を書いて来ました、私は卑弥呼の墓だと信じていますが、邪馬台国九州説の私が尊敬する森浩一先生ですら、一番調査したい古墳は何処ですかと、質問すると、箸墓古墳と答えられています。考古学者や文献史家にとり一番知りたいのが箸墓古墳な訳です。
私が仕事を引退し、念願の考古学を勉強していた数年前、歴博のチームが箸墓古墳の濠から出土した土器をC¹⁴で調査したところ、確か西暦240年~260年頃のものであると発表し日本中が驚き、卑弥呼が死んだ西暦248年頃がこの古墳築造時期と重なる事になりました。従来はこの箸墓は4世紀初期と考えられていたので、学会は大騒ぎとなりました。
宮内庁ではこの墓を孝霊天皇の皇女で大物主さんの奥さんになった巫女のヤマトトビモモソヒメの墓だと指定されています。倭迹迹日百襲姫命大市墓として宮内庁は管轄しています。古墳造営に関してそれほど記録は残っていないようですが、この箸墓に関しては面白いエピソードが語られている事も不思議です。
ヤマト王権発祥の地は確かに奈良盆地東南部の三輪山の麓の箸墓が存在する纏向の地域である事に間違いはなさそうです。だから、大事な前方後円墳の先駆けとなる箸墓古墳は日本の国の誕生に関わる大事な古墳なのです。
参考 3次元地図その後
西殿塚古墳
宮内庁では衾田陵 手白香皇女墓と治定されていますが、考古遺物からもっと古い時代の古墳であると考古学者は考えています。私は数年前の寒い冬に一人で古墳を訪れた事があります。詳しくは、訪問した時の記事を読んで下さい、ともかく宮内庁と学者の意見が食い違う古墳な訳です。
今回、箸墓と西殿塚が取り上げられましたが、事前に橿考研が3次元測量を空中から行っており話し合いがある程度進んでいたと思われます。宮内庁にとり天皇の陵墓ではない箸墓と西殿塚はハードルが少し低くしても良いという考えであるのかも知れない。
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