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市場・商業・取引・・・歴史を辿る

 前回、インドの露天商が男ばかりだという話をしました。一方、ベトナムを始め東南アジア諸国では日本を始め女性が中心です、何故なんでしょうか。そして、物を売る行為そのものはどんな歴史があるのでしょうか。先ずは、海石榴市(つばいち)から始めましょう。

 ・海石榴市(つばいち)

 ヤマト王権発祥の地は奈良盆地東南部、三輪山の麓、大和川上流(初瀬川)の山の辺道・初瀬街道・磐余(いわれ)の道・山田道の交差する交通の要の場所で商取引の場が生まれました。卑弥呼の時代は現在の箸墓古墳が存在する場所が大市(おおいち)と呼ばれていますので市場の発祥の地ではないでしょうか。

 卑弥呼が魏に使者を出しましたが、難升米(なしめ)とともに都市牛利(としごり)という人物が派遣されましたが、ひょっとすると都市=大市を取り仕切る経産省の大臣のような立場の人だったかも知れない。ちなみに、難升米とは森浩一さんの本では確か奴国王ではないかという仮説があるようです。

 物の取引、交換というのは本来簡単な事ではないそうです。何故なら物には神が宿ると古来考えていたので、先ず、神に物を捧げ無縁のものに一度はしないと他人に渡す事は出来ないのだそうです。即ち、三輪山の麓に集まった人々は先ず、三輪山の神に持って来た交換すべき物を捧げるのだという。そして、三輪山の神に初穂料を払い、初めて物々交換が可能となるそうです。

 神棚に朝、炊いたご飯を先ず捧げますね、そしてそれを頂く訳です。稲・米の霊を無縁にする行為のあとでないと物を所有できないという考えだそうです。中世の頃でも油座とか賭場なども神社や皇室の許可が必要だったと思いますが、古い、精神世界の歴史があります。

 海石榴市は現在の金屋の近くだと言われているが、沢山の人々が集まり、歌垣も生まれていたようです。若い男女の出会いの場でもあった訳です。椿の花が咲き誇る場所だった。椿は特別な植物です、一年中緑の葉を繁らせ、実から神聖な油がとれるのです。今でも力士が頭につけるのは椿油ではないでしょうか。神事に携わる力士は神聖な巫女と同じ立場ですから、神聖な椿の精霊を身につけていると考えられます。

・商人

 商人という言葉がありますが、元来、殷の国が周により滅ぼされ、国を追われた殷の人々が流浪の物売りの仕事で生きていたのを、人々は殷(商)人と呼んだという言い伝えがあるようです。殷の人々は自分たちを商人と呼んでいた可能性もあり都を商邑と呼んでいた可能性もあるそうです。

 白川静先生は商という言葉には賞と同じ意味が有り代償・償賣という行為を行う人々という意味があると述べておられるようです。

殷という国を建国した人々はどうも南方系の人ではないかと思われる。子安貝を使用し首狩りを行い(夏の人々を生贄として首を刈る風習)その他色々と南方系を想起させる事実があるそうです。

 さて、西洋ではギリシャ神話では商業の神はヘルメス、ローマではマーキュリー(メルクリウス)の神です。杖に二匹の蛇が巻き付き、翼を帽子やサンダルに着けています。蛇は智恵を表し翼は自由に駆け巡る自由を表すそうです。日本の三商大の系譜を引く、一橋大学の校章は杖に二匹の蛇が巻き付き羽根が杖の頭についています。大阪商大の系譜を引く大阪市立大学の校章もマーキュリーの羽根に大阪の紋章である澪標(みおつくし)=航路を示す標識です。神戸商大は現在神戸大学の経済・経営・法学部に受け継がれているが、確か菊水の紋だったと思います。その理由は私は知らないけれど、菊水紋と言えば、湊川神社の楠正成が後醍醐天皇から頂いた紋です。神戸に相応しい紋なのかも知れませんね。

 

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