熱田神宮参拝
熱田神宮を初めて参拝する事になりました。御祭神は皇室の三種神器である草薙神剣であり、伊勢神宮の御祭神の八咫鏡(やたのかがみ)とともに何故か皇居ではなく、三尾勢(三河・尾張・伊勢 みおせい)の内海に面する神宮に祀られています。
記紀によれば、崇神天皇の時代に疫病が蔓延し半数の民が死んでしまうという危機に直面したらしい、その時に国つ神である大物主神と天つ神であるアマテラスを一緒に皇居で祀るのが災いであるとされた。その時から、両神は皇居から放逐され、アマテラスは幾多の流浪の末に伊勢神宮の地に、お鎮まりになりました。
熱田神宮に草薙神剣が存在する理由は、景行天皇の皇子であるヤマトタケルが東国遠征の時に当時伊勢の斉王だった叔母の倭姫命からアマテラスの荒魂である天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と火打石を授かる。そして、今の焼津のあたりの原で火責めの攻撃を受けるが、天叢雲剣で草をなぎ倒し、火打石で向かい火を起こし難を逃れた。
それ以降、出雲のヤマタノオロチの尻尾からスサノオが取り出した天叢雲剣は草薙神剣と呼ばれるようになる。そして、その剣はヤマトタケルが尾張で結ばれた尾張氏の娘であるミヤズヒメの元に置かれ伊吹山の神に死を賜り白鳥となりました。
写真を観て下さい、一番奥の建物が本宮だそうです、瑞垣で囲まれている筈です。写真で見えるのは内垣と広場は中重(なかのえ)を呼ばれ、色んな祭祀が此処で行われます。写真の鳥居は中重の鳥居と呼ばれています。写真には写っていないが、手前に外垣があります。
西門の鳥居です。広大な敷地に熱田神宮はお鎮まりです。
マイフォト 熱田神宮 参拝 写真集
熱田神宮も伊勢神宮も尾張氏との関係が深いと推測しています。今回は熱田神宮の傍に有る断夫山古墳を参拝する事が出来ませんでしたが、重要な尾張氏を偲ぶ古墳です。
参考 断夫山古墳と味美二子山古墳(2011年3月30日記事)
尾張氏は海人としてヤマト王権と深い関係が古代よりありました。石川と大和川が合流する国府あたりは尾張氏が本拠としていた場所だそうです。奈良盆地の大和川水系の重要な河内湖に注ぐルートを抑えていたようです。
古来、ヤマトタケルも、継体天皇も、天武天皇も尾張氏のお陰で即位できたかもしれません。それほど、尾張氏は日本の古代史で活躍しました。突然に、信長・秀吉・家康が登場出来た訳ではなくその背景に古代から三尾勢の内海の伝統が存在していた事を忘れてはいけないと思います。現代は、トヨタが引き継いだのでしょうかね。
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