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古代河川交通で栄えた湊(3) 大阪平野の拠点湊

 承前 古代河川交通で栄えた湊(2) 桂川・宇治川・木津川・淀川水系

 奈良盆地東南部でヤマト王権が誕生した訳ですが、瀬戸内海航路での大陸との交易湊はどうなっていたのでしょうか。それを理解するには大阪平野の変遷を理解しないと判らないと思います。

 大阪平野の変遷

 古墳時代初期の大阪平野

 古墳時代中期・後期の大阪平野

 河内平野の成立時代

 上記資料は難波宮址を見学した時に難波宮調査事務所で掲載されていた大阪平野の変遷地図を撮影したものです。

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 古墳時代初期は潟湊を使用していたと想定される。北に長く突き出した半島は上町台地と呼ぶが、その先端付近の東側、大阪城の東側の森の宮付近に難波の潟湊が存在したと思います。そして、そのまま真東に河内潟を進むと日下(草香)、現在の石切神社があるあたりの草香の津に辿り着き、陸路で奈良盆地に交通路は開けていた。

 日本海・琵琶湖・宇治川・淀川ルートで南下する人々は難波潟湊を利用したかどうか判らない。応神天皇は難波に大隅宮を構えていたそうなので、明らかに淀川右岸を抑えていた紀氏や巨椋湖東岸の木幡の宇治津を抑えていた和珥氏とともにこの難波潟湊を使用していたと思います。

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 一方、宇治天皇(菟道稚郎子)と対立したオオササギ(仁徳天皇)は住吉の津を拠点として大規模な大津の潟湊の建設を行ったと考えられる。この頃は勿論まだ大和川は河内湖に流れ込んでおり、現在大山古墳と住吉の津は南北に切り離されているが、仁徳さんの頃はラグーンの砂州があり南北に長い湊を開拓した。

 応神天皇が拠点としたのは古市の場所、大和川と石川が合流する場所です。国府と呼ばれる重要な場所であるが、瀬戸内海に出るには河内潟・湖経由でしかでれない、しかし、時代とともに大和川・淀川が砂を堆積し河内潟・湖を湊として利用出来なくなりました。

 仁徳さんは淀川水系とは全く別に住吉の津を南北に拡張し、巨大なランドマークである大山古墳を建造し湊を建設し、東に向かい大津道を建設し奈良盆地への交通路を整備した。このように考えると、仁徳さんの時代でも未だ、国内には対抗勢力が存在し仁徳政権単独では国内を支配出来ない状況だった。

 百舌鳥の地は葛城氏の土地であり、仁徳さん以降の河内王朝は葛城王朝とも呼ばれ、殆どの皇后は葛城氏出身です。そして、最後に雄略さんが葛城氏と対立し葛城氏を倒す事になります。

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古代河川交通で栄えた湊(2) 桂川・宇治川・木津川・淀川水系

 承前 古代河川交通で栄えた湊(1) 巨椋湖東岸 岡屋津

 2.淀川水系の湊

 前回は日本海から琵琶湖水系を経由し宇治川経由、巨椋湖の河川交通の要である巨椋湖東岸の岡屋津、現在の木幡の湊に触れました。ワニ(和珥)氏が応神天皇の時代に栄えその後、王朝を開くまで栄えた歴史に触れました。

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 日本海から大陸への交易路が巨椋湖に通じると次は淀川水系で難波と通じ瀬戸内海航路と繋がります。又、木津川を遡上するとヤマトの国、奈良盆地へと交通路は通じます。古来、淀津、山崎津、木津、淀川右岸の三島津、難波津が栄えました。

 森浩一さんの話では、淀川右岸の三島の地域は紀伊の海人が移住し淀川交通路を抑えたという話です。紀氏ですね、継体天皇の時代まで大伴氏と組みヤマト王権の海外交易を支配したグループです。しかし、継体天皇の時代に朝鮮半島政策で失敗し、大伴氏・紀氏ともに没落し蘇我氏が台頭したのです。

 参考 『謎の古代豪族 紀氏』 メモ記録(1)

 参考 『謎の古代豪族 紀氏』 メモ記録(2)

 三島の地には茨木市安威(あい)の将軍塚古墳(107㍍)には後円部の竪穴式石室の石材は紀の川流域の結晶片岩を多量に使用している。古墳時代初期より紀伊より筏を組み石材を三島に運送したそうだ。海北塚でも紀の川の緑泥片岩がしようされている事が考古学の成果として判っているという。

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紀氏は淀の津がある近くの石清水八幡宮の付近の河川交通路も抑えていたらしい。貞観18年(876年)紀朝臣御豊(きのあそみ みとよ)が神主に任命されてから紀氏が代々神主をする事になったが、此の地を紀氏が治めていた事の証明である。

 男山南麓には阿蘇凝灰岩の舟形石棺をしようした八幡茶臼山古墳や、八幡東車塚古墳(94㍍)、八幡西車塚古墳(115㍍)などの前方後円墳が存在する。

木津川には隼人庄(大住)が存在するがこれも紀氏が南九州の隼人移住に関与していた可能性があるといいます。

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古代河川交通で栄えた湊(1) 巨椋湖東岸 岡屋津

 久しぶりに、私が古墳時代を学んだ森浩一さんの『日本の古代』(5)中公文庫を再読している。実に素人に判り易く考古学者らしく、考古遺物や遺跡を背景に古代を語っておられる。今回メモを残したいと思ったのは河川交通で栄えた港(湊)を採りあげたい。

 古代の物資輸送のハイウエイは海と河川である。陸路は殆ど獣禽の道であり発達していなかった。私の記憶では陸地の道路が重要視され完備され始めたのは、唐王朝の影響が強く日本に押し寄せた奈良時代以降である。従い、海と河川を利用した輸送が古代では主流であり、木造船ではフナ虫が強敵なので、湊は海から河川に入った塩水が無い場所に建設された。

 ヤマト王権が奈良盆地に建設される頃の主な河川の港(湊)を採りあげてみたいと思います。ところで、余談ですが、港という漢字ですが、水+ちまた=船が行き来する人々が多く集まる賑やかな場所、となりますね。湊の方が古い日本の潟湖の船着き場を表現していると思います。奏の意味は銅鐸を叩き賑やかに入港・出港する風景を漢字にしたのではないだろうか。

 銅鐸の使用方法に上記のような稲作の祭りで使用された祭器以外に、海人達が船で使用したという仮説が考古学の世界で存在しています。

1.宇治の木幡(岡屋津)

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 さて、先ずは京都のMuBlogの旦那お住まいの宇治の木幡から採りあげたいと思います。この場所は古代は巨大な巨椋湖の東岸にあたり宇治川が注ぐ河口に岡屋津がありました。日本海から琵琶湖経由で船運で栄えた場所です。この港(湊)から日本海経由の大陸の物資を淀川経由で難波へ、そして瀬戸内海へと運び、同時に木津川を遡上しヤマトに物資を運んだ拠点でした。

 衛星写真で観ると、岡屋津は現在、岡屋小学校の名前で残っていますし、許波多神社や二子塚古墳が当時の面影を残しています。この二子塚古墳は菟道稚郎子(うじのわき いらっこ)即ち応神天皇のあと宇治天皇として即位した可能性のある応神さんが一番愛した和珥(わに)氏の木幡に住む娘、宮主宅媛(みやぬしの やかひめ)に産ませた皇子の墓である可能性が有ります。応神天皇は生前この息子を大事にし、皇太子にしていたそうです。

 しかし、異母兄の大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)=仁徳天皇に位を譲り入水自殺したと伝えられています。正史では天皇に即位した事になっていません。

 参考 JoBlog 『ワニ氏と古代ヤマト王権』(2010年8月29日記事)

 参考 MuBlog『うじのわきいらつこ』(2004年7月23日記事)

 和珥(わに)氏は日本海・琵琶湖ルートでの大陸との交易の拠点としてこの巨椋湖東岸の湊を抑えたのでしょうね。和珥(わに)氏は同時に木津川からヤマトに入るルートも抑えており、和珥(わに)坂という地名や奈良盆地北部の地域を拠点としていました。

 話は脱線するが、和珥(わに)氏と言えば王仁博士と百済寺址を思い出すが、実は大国主さんの因幡の白ウサギを思い出します。ウサギがワニを騙してワニに逆襲される話ですが、ワニ氏は元来海運に従事していた氏族である事を語る伝説ではないでしょうか。ウサギは誰か、宇佐から来た人という意味に解釈すれば秦氏という事になります。大国主はワニ氏と紛争した秦氏を救済したという話になりますね。

 

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インド紀行 その10 ジャィプール地区遺跡(3) シテイパレス

 承前 インド紀行 その9 ジャィプール地区遺跡(2) アンベール城

 ムガール帝国時代にジャィプール地区の王、マハラジャはアンベール城を首都としていた、しかし、人口の増大と水不足から、1727年に遷都を行った。それが、現在の周囲10㌔を城壁で囲ったジャィプールの街である。建物や城壁全てがピンク色に彩色されており、ピンクシテイの異名をとる。

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 アンベール城が首都とされた時代に夏の離宮とされた『水の宮殿』です。湖に浮かぶ離宮は涼しそうです。グラナダでもそうでしたが、イスラムの王は夏の離宮を持つのが好きなようです。

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 シテイパレスの正門です、美しいイスラム建築です。現在は半分が博物館となり、半分は今でも昔の儘残されてマハラジャが住んでおられます。

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 巨大な銀製の壺が二個、メインホールに展示されていました。この巨大な銀の壺にガンジス河の水を満タンに入れ、英国との往復の旅をマハラジャはしました。1902年英国のエドワード2世の戴冠式にマハラジャは出席した時のエピソードです。航路、ガンジス河の水で沐浴をする為だそうです。

 マイフォト インド紀行 ジャィプール地区遺跡(3) シテイパレス写真集

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同期の宴会

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 本日、銀座にて同期の宴会が開催された。『元酒屋』という山梨の酒蔵のお店です。皆さん、同期、哲チャン以外は同じ第3市ガ尾寮の三階のはぐれ者。浅野の旦那は大学、ゼミともに同じで、大学ではあまり顔を合わせた事が無い関係でした。彼はラグビー部、私はワンゲルで勉強とは縁が薄い世界でした。

 五十嵐どんはこのお店のマスターの先輩、慶応ボーイでした。何処となく品がある、新潟のボンボンでした。

参考 てっちゃんの記事

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インド紀行 その9 ジャィプール地区遺跡(2) アンベール城

 承前 インド紀行 その8 ジャィプール地区遺跡(1) 風の宮殿

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 ジャィプールの中心部から北東11㌔の場所に16世紀末のムガール帝国の時代の首都で城が山の上に有ります。アンベール城と呼ばれています。

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 麓に大きな湖があり水源となっているようです。湖面に山の上のアンベール城が映され美しいです。

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 アンベール城の正門から入城する象に乗る、観光客です。麓から象に乗り山の上の城に連れて行ってくれます。

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 王の謁見の間から城の正門及び廻りの山々を眺めています。

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 王が庶民とこの場所で会い、話を聴くホールだそうです。イスラム風の列柱ですが、天井を支える構造や梁を観てるとインド固有のヒンドゥー寺院の建築を想起させます。日本のお寺にも似ています。

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 ガネーシャ門と呼ばれています。門の上の装飾画がヒンドゥーの神の一人の象の姿をした神(ガネーシャ)が描かれています。

 マイフォト インド紀行 ジャィプール地区遺跡(2) アンベール城 写真集

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鏡王朝(仮説)に思う

 承前 青銅器王朝から鏡王朝への変革

 千田稔さんの大胆な仮説を少し考えてみたいと思います。

 三輪山を大物主とする出雲系の人々が暮らしていた奈良盆地に鉄器を引っ提げた渡来系の人々、即ちアメノヒボコ集団が侵入し銅鐸・銅剣・銅矛祭祀の神々を破壊し巻向山の兵主神を祀る人々が鏡王朝を纏向川扇状地に建設した。それが、卑弥呼を担いだ邪馬台国であり、その後、「おおやまと」に巨大古墳群を建造したヤマト王権に継続したとの説でした。

 箸墓古墳に残る伝説、三輪山の大物主さんに嫁いだヤマトトトビモモソヒメは明らかに、大物主さんの系統ではない、即ち出雲族ではなさそうです。何故なら、旦那の正体を知らなかったからです。という事は、箸墓に埋葬された姫はこの地に侵入した新しいグループの姫さんとなります。

 鏡というと、中国江南の『越』呉音でオチ、漢音でエツだったと記憶しているが、鏡の本場です。森浩一さんの『山野河海の列島史ー越で流行した三角縁画像鏡』朝日選書(2004年2月)によれば、初期古墳から発掘される三角縁神獣鏡は『越』から渡来した鏡工人が日本列島で製造したものと説明しています。

 鏡が好きな集団の背景には江南に住む倭人(海人)という事が言えるでしょうね。又、魏志倭人伝に描かれた鯨面=刺青の顔、これも江南の海人の風俗です。古墳に祭られた埴輪の顔は多くが刺青の顔でしたね。銅鐸時代が終わり、古墳時代が始まると初期は鏡中心の埋葬になり、4世紀末頃から武器や馬具が埋葬されるようになり、この時にも王朝が変革したと考えられている。遊牧民の風習が伝播(河内王朝の成立)

 所で、神武天皇の伝説ではヤマトを制圧した時に奥さんは三島に住む大物主の姫さん=ヒメ タタラ イスズヒメを撰んでヤマトを治めた事になっています。男王が侵入した時は神武さんのような形態をとるのが普通に考えるが、巫女さんを嫁がせる考えは昔から不思議な話だと疑問だった。この背景には三輪山祭祀権を獲得する為にはこのような侵略者の統治法があったのかも知れない。

 三輪山の西、纏向地区には出雲庄が存在したし、奈良盆地のど真ん中で三輪山から昇る太陽が通過する多神社も出雲の香りがします。多神社から春分の日の朝、三輪山から太陽が昇るそうです、以前、詳細な記事を書きました、日置ですね。多神社の名前は出雲の『意宇郡』と地名が残る意宇地方の名前ではないかと推測しています。大国主も本当は意宇国主と呼ばれていたのかも知れない。

 ともあれ、唐子・鍵遺跡の巨大な弥生時代の環濠集落の近くには鏡神社が多く存在しています。青銅器時代から精巧な青銅器を製造する技術者がこの地に存在していたと思います。鏡時代になっても、彼らは精巧な鏡を製造できたと思います。

 

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青銅器王朝から鏡王朝への革命

 承前 『ヤマト』は穴磯邑の大市の長岡岬

 ・大物主とアメノヒボコ

 『日本書紀』垂仁天皇3年3月条に三輪君の祖、大友主(おおともぬし)と倭直(やまとの あたい)の祖、長尾市(ながおち)を播磨のアメノヒボコのもとに遣わせた時、アメノヒボコは将来物を天皇に献上したと記録されている。この記事は謎であり、何故わざわざ「ヤマト」から播磨まで遣使をさしだす必要があったのかという問題です。

 結論から言うと、アメノヒボコ集団はあなどれない「ヤマト」に対抗出来る軍事集団であった事を暗示していると千田さんは考えているようです。しかも、「ヤマト」側からは彼らに播磨の宍粟邑(しさわのむら)と淡路島の出浅邑(いでさのむら)に好きなように住んで良いと「ヤマト」の詔を伝えても、彼らは拒否し、自分の行きたい所に行きたいと言い、宇治川から近江に行き若狭を経て但馬に居を構えたとある。

 つまり、アメノヒボコ集団と「原ヤマト」の土着系である三輪君や倭直との対立が存在した事になる。千田氏は大胆にここからアメノヒボコ集団は奈良盆地に侵入し、出雲系のオオモノヌシを三輪山に祭祀する集団が支配する初瀬川を制圧する為に北部の纏向川を制圧したのではないかと考え、巻向山を聖地とする兵主神社を纏向川源流地域に建設したと仮説を述べています。

 おおやまと地域の古墳群を観ると、三輪山周辺には殆ど存在しません、纏向川以北に存在している事もこの事実を裏づけている。

 千田氏は後漢の頃に日本列島に進出したアメノヒボコ集団が倭国大乱を起こし、大乱の後、女王卑弥呼が推戴され、出雲系勢力の象徴であった三輪山祭祀を掌中に入れた歴史が存在したと述べています。倭国大乱から卑弥呼による統治に至る宗教的変革の時代を「青銅器の王朝」から「鏡の王朝」への転換であると結論している。

 銅剣・銅鐸・銅矛などの青銅器を祭器とするのが出雲系の神々の信仰に対して、鏡は渡来系のアメノヒボコ集団の祭器であった。

 纏向日代宮(まきむくの ひじろのみや)にいたという垂仁天皇に仕えたのが田道間守(たじまのもり)というのも、纏向と但馬のつながりを連想させる。これらの仮説を証明するには但馬の古墳と「おおやまと」の古墳群を比較検討する必要があると、彼は述べています。兵庫県出石町の袴狭(はかざ)遺跡から準構造船15隻を描いた4世紀初頭の木製品が出土したのも注目であると述べている。

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『ヤマト』は穴磯邑の大市の長岡岬

 承前 倭の六県

 承前 山口の六神

 『ヤマト』を探る場所を奈良盆地で探して来ました、前回は伊達宗泰氏の説をご紹介しましたが、今回は千田稔氏の説をご紹介します。典拠は、『古代「おおやまと」を探る おおやまとの宗教的環境』 千田稔 学生社2000年10月の論文を参考にしました。

 ・倭大国魂神(やまとの おおくに みたまのかみ)

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 『日本書紀』の崇神天皇条と垂仁天皇25年3月10日条に倭大国魂神に関する記事が掲載されています。それによれば、穴磯邑(あなしのむら)に定めて大市の長岡岬に渟名城(ぬなき)稚姫(わかひめ)命(みこと)に祀らせたとあります。千田さんの話では穴磯とは今では穴師という地名が残っていますが、巻向山を源流とする纏向川のほとりを指します。長岡岬とは現在の長岳寺が存在するあたりは昔、長岡村とよばれていたそうです。岬とは ミ+サキ=神のとりつく先 という意味だと解釈しています。

 大市は城上郡(しきの かみぐん)大市郷ですから現在の箸墓のある場所付近を指します。ですから穴磯邑とは邑=都 随分と大きな地域を指していた事になります。長岳寺と穴師の距離は南北3㌔、そして箸墓も含みますから桜井市穴師から天理市柳本町の長岳寺を含み尚且つ、大都市を示す大市の箸墓付近も含む広大な地域を指していたと考えられる。

 ・穴磯こそ「おおやまと」の中心

 穴磯に倭大国魂神が祭祀されたという事はこの場所が巻向山から流れ出る纏向川により形成された扇状地というか、幾筋も流れる纏向川の川に挟まれた聖なる場所です。そう考えると、「おおやまと」とは三輪山とは関係が薄く、その北側に連なる山々、とりわけ巻向山を中心とする信仰地域であった可能性が高くなる。

 ・巻向山と纏向川

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 古代の地域は一定の河川の水支配地から読み解こうとする考えがあります。水支配は政治的領域と考えて良いと考えられる。武久義彦氏が復元した纏向川周辺の旧河道があります、グーグルで概略示しましたが、幾筋もの川が東から西に流れまるで網の目のようです。そして、大和川本流(初瀬川)に流れ込む訳です。纏向遺跡はこのような場所に展開していた訳です。

 ・兵主(ひょうず)とアメノヒボコ

 纏向川の源流は巻向山になります、この山の頂上には昔、兵主神社(上社)が存在したそうです。今は麓の下社が大兵主神社となっています。この神社が「おおやまと」を解く鍵を握る事となります。しかし、兵主の神とは司馬遷の『史記』に書かれた山東半島の八神の一つという程度しか判っていない。壱岐・丹波・三河・近江・大和・但馬・播磨・和泉の諸国に式内社とあるそうだ。何故、『記紀』にこの兵主神が記録されなかったか、謎である。

 千田さんは此処で大胆な兵主神とはアメノヒボコではないかという大胆な仮説を述べています。その根拠は二点あります、一点は『釈日本紀』で応永29年(1422年)の「大倭神社注進状」の裏書に上社の神体は「日矛」であると書かれている事、そして二点目は『播磨国風土記』のアメノヒボコ伝承と兵主神社の分布が重なる事である。兵主とは兵器の制作を司る神の事であり、「ヒボコ」の「矛」も兵器であり関連性があると考えられる。

 

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北イタリア紀行 その18 チェルビーノとラ・パリュー

 承前 北イタリア紀行 その17 青の湖

 コモ湖をベースにイタリア側からマッターホルンを眺める場所、チェルビニア(チェルビーノとはイタリア語でマッターホルンの山を指す)と同時に、其処から92㌔離れたラ・パリューというモンブランを眺める場所への往復をした。モンブランは、モンテ・ビアンコと呼びます。

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 チェルビニアまでコモ湖から212㌔車で走ります。残念ながらガスでマッターホルンは観えませんでした。

 数年前のスイス紀行 マッターホルン

 此処から92㌔走るとモンブランが見える、ラ・パリューという場所に行けます。

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 此処でも残念ながら、モンブランを眺める事は出来ませんでした。

 マイフォト チェルビーノとラ・パリュー ガスで見えない

 参考 スイス紀行 モンブラン写真集

 参考 スイス紀行 ツェルマット写真集

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今年は巳年 蛇神信仰

 今年は巳年ですね、年賀状には沢山の人々が思い思いの蛇神さまを描いておられました。巳年と言えば母が巳年生まれでしたから、生きていれば108歳でしょうか。父はネズミですから113歳ですね。もう遥か昔に鬼籍に入りました。

 蛇神さまと言えば大神神社(おおみわ じんじゃ)ですね、祭神は大物主さん、正体は蛇神さまです。奥さんになったヤマトトトビモモソヒメ、即ち箸墓古墳に埋葬されたお姫さんとの悲しい説話で有名ですね。私は毎年、東京で開催される大神神社さんが主催される三輪山セミナーに皆勤で出席しています。

蛇を神と崇める風習は世界中に存在していますね、私の経験から少しご紹介してみます。

 ① 大物主

 大国主、オオナムチさん、色んな名前を持っていますが本体は蛇神さまです。蛇は農耕民にとり大敵のネズミを捕獲してくれるし、水田でも稲の生育に邪魔するものどもを捕獲してくれる。例えば水田に穴を開けるモグラ君なども蛇が食べてくれる。そして、何より、脱皮する事で永遠に生命を繋ぐ生き物だと尊ばれたふしがあります。

 神社の注連縄(しめなわ)も二匹の蛇が性交している姿であるという説も有りますね。古くは、長江流域の稲作地帯で信仰された伏義(ふぎ)と女媧(じょか)の蛇身人首の神が存在しています。下半身は蛇でお互い巻きついて描写されていますね。彼らが手に持つコンパスと定規は日本の古墳から出土する銅鏡のモチーフとしても伝播しています。

 ②弁天様と蛇

 先日、爺さん4人組で鎌倉の銭洗い弁天さまを参拝しましたが、この弁天様は古代インドの川の神(水神)でしたから、蛇が弁天様のお使いとなりました。

 ③ククルカン

 マヤの最高神は『羽根を持つ蛇神様』ククルカンです。アステカでもケツァルコアトルと呼ばれている蛇神様がいます。そういえば、今年の正月のテレビの番組で私のチチェン・イッツアのピラミッドに降臨するククルカンの写真を使用させて下さいと、番組の関係者からメールを頂いていました。

 参考 チチェン・イツァー遺跡紀行 ククルカン神殿

 参考 メキシコ・シテイ 国立人類学博物館 アステカ編

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山口の六神

 承前 倭六県(やまとの むつの みあがた)

 前回は倭六県について衛星写真で奈良盆地での位置を確認しました。ヤマト王権の発祥の地を奈良盆地で探って来ました。この倭六県についで皇室の御養林だったと考えられる場所が山口の六神です。律令制時代でも国家祭祀である祈年祭において祈願の対象とされた山口坐皇神(やまのくちに ます すめがみ)です。

 1.飛鳥山口坐神社

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  明日香村大字飛鳥小字神奈備の飛鳥坐神社の境内地に末社として存在。

 2.石寸(いわれ)山口神社

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 桜井市大字谷にあります。

 3.忍坂山口神社

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 桜井市大字赤尾に存在しています。

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倭六県(やまとの むつの みあがた)

 奈良盆地の歴史地名で重要な『倭六県』の場所を記しておきます。典拠は、『古代「おおやまと」を探る』 伊達宗泰篇(学生社)に依ります。律令制以前の重要な場所を示しています。

 『日本書紀』大化元年(645年)八月の詔と、『延喜式』巻第八(祝詞・広瀬大忌祭=ひろせの おほいみの まつり)中に見られ、同祈年祭(としごひのまつり)と六月月次祭(みなづきの つきなみの まつり)の祝詞中には「高市・葛木・十市・志貴・山邊・曽布と御名は白して」と具体的に地域が示されているそうだ。(伊達宗泰)

此れは歴史的に御県が尊重すべきものと認識が古代から存在したからである。

 1.高市御県神社

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 橿原市四条町小字宮ノ坪。飛鳥川・高取川・曽我川の水支配地域と考える。

 2.葛木御県神社

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 新庄町大字葛木。葛城川・高田川とそれに合流する諸支流の水支配地域。

 3.十市御県坐神社

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 橿原市十市町小字中殿。寺川の水支配地域。

 4.志貴御県坐神社

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 桜井市大字金屋。初瀬川とそれに注ぐ諸支流の水支配地域。

 

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北イタリア紀行 その17 青の湖(Lago Bleu)

 承前 北イタリア紀行 その16 欧州一の保養地 コモ湖

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 コモ湖から210㌔西北に走るとマッターホルンの南麓チェルビーノに到着します。チェルビーノとはイタリアでのマッターホルン名です。途中、神秘な湖というか池ですが、『青の湖(Lago Bleu)』と呼ばれる池があり逆さマッターホルンを湖面にみる事ができます。

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 残念ながら今回は山麓からガスがかかりマッターホルンを眺める事が出来ませんでした。しかし、湖面にはマッターホルンの南麓の美しい風景と湖畔のお花畑の花々が写りだされ、素晴らしい光景に心が奪われました。私は上高地の明神池を思い出す風景でした。

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 私達が湖を訪問した時に何処の国の観光客かは不明ですが、山に向かい合唱する集団と遭遇しました。湖に美しい合唱の声が流れ素晴らしい風景となりました。日本側でも交歓という意味で『故郷』を皆で歌いエールの交歓となり万雷の拍手を受けた。

 マイフォト 北イタリア紀行 マッターホルンの南麓 青の湖

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Photo_2  コモ湖→チェルビーノ 約片道が210㌔往復する行程

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エネルギー政策報道

 昨日のNHKクローズアップ現代の番組はエネルギー政策を採り上げていた。内容は実に判り易く私の頭の中が良く整理される事となりました。特に米国におけるシェールガスの発掘技術の開発成功が今後の百年の世界のエネルギー状況及び安全保障戦略を激変させると力説されていた。

 米国が中東の石油に依存しなくてよい世界が展開する事が日本の中東依存の石油政策に大きな課題を与えると言う。即ち石油タンカーが無事に日本と往復出来るか、米国が中東から撤退すると誰が日本のタンカーを守るかという将来の課題です。

 日本が輸入する天然ガスの原価が米国のシェールガスの6倍も7倍もするのでは今後の産業基盤が根底から揺らぐ事になりますね、事実、現実今、そうなっている。

 ロシアは膨大なパイプラインを欧州に張りめぐらし資源大国として成立しているが、番組ではドイツが値下げ要求を掲げ、ロシアは今の儘では将来欧州市場だけでは生きて行けないという。緊急の課題のロシアはアジアの市場を開拓する必要があるという、特に資源の無い日本がターゲットであるという。

 ハバロフスクと樺太に天然ガスを液化する施設を建設し東シベリアのガス田からパイプラインを建設し日本に供給し、将来減少する欧州市場を日本を中心にカバーしようとする戦略だそうです。番組ではこの話に乗るべきであると結論していました。その理由は、エネルギー資源の供給元を危険分散化すべきであるという戦略です。

 韓国は既にTPPに加盟し米国から原価3ドルの安価なシェールガスを輸入する契約を4年後から始まるという。そして、原子力発電所も十基以上建設する計画を進めているらしい。国の産業の基盤であるエネルギー政策は着々と出来ている。韓国は日本の六ヶ所村の原子力に関わる設備を韓国に誘致する提案をIAEAに提案してるそうだが、世界は韓国が原爆を持つ可能性を懸念し、なかなか、国際社会から賛同を得れていないと報道。

このシェールガスの世界最大の埋蔵量を持つのは中国だそうだ。しかし、中国があまり報道しなのはまだシェールガス発掘の技術開発の問題と埋蔵地が辺境地域に集中してる事かも知れない。しかし、シェールガスは豊富に中国は持っている事に変わらない。

 今回の報道で、一番有益だったのはドイツに関する報道でした。ドイツは脱原発を表明し茨の道を歩き始めました。しかし、その背景に既に電力源が分散し小さな電力源が無数に散らばっても送電線の網が既に出来上がっているという事実です。残念ながら日本は電力会社が地域で別れ、電力会社が異なる地域同士は網の目のような送電線は張り巡らされいない。特に、北海道と東北は貧弱だそうです。

 風力発電や地熱発電、ガス発電、太陽光発電、等々を30%近くまで伸ばすなら、先ず、送電線の網の構成から考える必要がありそうだ。即ち、昔メインフレーム中心にスター型に張りめぐらされたネットワークを分散型にアーキテクチャを変革しインターネットのような送電線網を作りあげないと駄目という事のようです。

 地域に一つの電力会社が存在し其処で発電され放射状に電力が配られる仕組みその物を根本的に変革しなければならない。インターネットのように分散型にサーバーが発電設備であり、且つ、消費する設備かもしれない。網の目のような送電線網であり消費網です。一番急がれるのは、この網の変革ではないだろうか。将来は誰でもが発電し供給元となり又、消費者ともなる電力網の建設です。

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鶴見川散策 イソシギ

 今日の夕方の鶴見川の風景です、アオサギが孤独に佇んでいます、冬の鶴見川の美しい風景です。

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 目の前に『イソシギ』が歩いて来ました、2~3㍍の距離です、何と可愛い鳥ではないですか本当にラッキーでした。

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 チドリ目シギ科に分類される鳥で多分一年中この辺りで住んでいるのだと思います。

 参考 日本野鳥の会 『イソシギ』

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明けましておめでとうございます 2013年元旦

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 2013年元旦の富士山です、今日は元旦にふさわしい美しい御姿でした。

 『明けまして、おめでとう 御座います』

 今年も宜しくお願いします。昨年は幸い元気で過ごす事が出来ました、お陰さまでJoBlogも毎日出来る限り更新する事が出来ました。生きている証しの積りです。

 昨年頃から鶴見川の野鳥に興味が湧き、毎日、カメラを首からぶら下げ、時には双眼鏡も首からぶら下げ、河川の蘆(葦)の林の中を歩いています。河口から15キロ程度の位置にあり、鶴見川が鳥山川と分岐する場所は野鳥の宝庫である事が判りました。

 元気で有る限り、この散歩コースの野鳥を撮影して行きたいと思います。目の前に、遥か数千㌔も離れたシベリアから命をかけて飛んで来た渡り鳥に出合うと、『お前、よく生きて飛んで来たね、御苦労さま』と声をかけたくなります。飛んでくる間に、多くの仲間が死んで行ったのでしょうね。

 今年も宜しくお願いします。

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