« 同期の宴会 | Main | 古代河川交通で栄えた湊(1) 巨椋湖東岸 岡屋津 »

インド紀行 その10 ジャィプール地区遺跡(3) シテイパレス

 承前 インド紀行 その9 ジャィプール地区遺跡(2) アンベール城

 ムガール帝国時代にジャィプール地区の王、マハラジャはアンベール城を首都としていた、しかし、人口の増大と水不足から、1727年に遷都を行った。それが、現在の周囲10㌔を城壁で囲ったジャィプールの街である。建物や城壁全てがピンク色に彩色されており、ピンクシテイの異名をとる。

201212_451

 アンベール城が首都とされた時代に夏の離宮とされた『水の宮殿』です。湖に浮かぶ離宮は涼しそうです。グラナダでもそうでしたが、イスラムの王は夏の離宮を持つのが好きなようです。

201212_465

 シテイパレスの正門です、美しいイスラム建築です。現在は半分が博物館となり、半分は今でも昔の儘残されてマハラジャが住んでおられます。

201212_493

 巨大な銀製の壺が二個、メインホールに展示されていました。この巨大な銀の壺にガンジス河の水を満タンに入れ、英国との往復の旅をマハラジャはしました。1902年英国のエドワード2世の戴冠式にマハラジャは出席した時のエピソードです。航路、ガンジス河の水で沐浴をする為だそうです。

 マイフォト インド紀行 ジャィプール地区遺跡(3) シテイパレス写真集

201212_481

 現在もマハラジャが住むシテイパレスの一部です。イギリス統治時代でもジャィプールは自治権をマハラジャが持ち税金をイギリスに支払う事で独立を保って来たそうです。勿論現代のインドではインド政府の管轄下にあり、マハラジャは王家の一族として暮らしています。

|

« 同期の宴会 | Main | 古代河川交通で栄えた湊(1) 巨椋湖東岸 岡屋津 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



« 同期の宴会 | Main | 古代河川交通で栄えた湊(1) 巨椋湖東岸 岡屋津 »