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今年を振り返る その4 国内での私的出来事

 承前 今年を振り返る その3 海外旅行

 国内での身の回りでの出来事を振り返ります。

 1.義父の大手術

 9時間を越える大手術がありました、幸い無事成功し、年末にはもうひつの手術も成功し来年は明るい年を迎える事が出来そうです。病院で10時間近く手術が終わるのを待つという経験をしました。しかし、医術の進歩は凄いですね、割腹せずに手術が行われた。

 2.国内旅行

 三人目の孫が1歳を迎え、北海道に出かけた時に積丹半島に出かけたり、秋には旭岳方面に出かけた。数年振りに、尾瀬にも行きたくなり日帰りで尾瀬ヶ原を訪問した。

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 関西に帰省した時に、2度ばかり京都のMuBlogの旦那に歴史探険の旅に連れていって貰った。それは、最初は、河内王朝が栄えた古市古墳群と聖徳太子のお墓、そして近つ飛鳥博物館でした。二度目は難波の宮跡と博物館と四天王寺でした。

 MuBlogの旦那が関東に来られた時は、ふうてん老人と二人で鎌倉と新横浜及び横浜を案内した。そして、久しぶりに三人で宴会が出来た。

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今年を振り返る その3 海外旅行

 承前 今年を振り返る その2 海外旅行

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 北イタリアの旅も記憶に残る旅となりました。大航海時代の立役者はポルトガル・スペインでしたが、実際に資金面や航海技術やその他航海の基礎はイタリアのジェノバやベネチアが支えていたのですね。ジェノバを訪問しその事を教えて貰いました。日本の戦国時代に幕を引き、新しい時代を切り開いた信長・秀吉を支えたのは堺の貿易商人を筆頭とする海外貿易に精通した科学技術を身に付けた商人と何処か似ています。

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 写真はジェノバ近くのチンクエテッレの港です。ポルトガル・スペイン紀行のあとに訪問しましたので、歴史の流れをよく理解出来ました。

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 北イタリアと言えば、ドロミテを始めヨーロッパアルプスを眺める事が出来るスポットです。山が好きな人には絶好の場所ではないでしょうか。

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今年を振り返る その2 海外旅行

 承前 今年を振り返る その1 海外旅行で何を学んだか

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 今年は『66歳の記念日』となり、『ルート66』を訪ねてみた。アメリカが憧れの時代に育ち、憧れの番組だった『ルート66』は団塊の世代には懐かしい。アメリカ在住時代に色々とご指導を頂いた鵜飼先輩が66歳になれば、是非、思い出の『ルート66』をレンタカーをして走れとアドバイスを頂いていた。彼は、本まで出版したようですが、私は車の運転を随分昔に放棄し、運転はラジコン飛行機のみですので、簡単にピンポイントだけを訪問した。

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 グランドキャニオンでの朝日が昇る瞬間です、現地の中国人のガイドさんに撮影して貰いました。もう朝日が昇る瞬間の映像よりも、夕陽が似合う爺婆の二人になりました。

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今年を振り返る その1 海外旅行で何を学んだか

 この数日、関西から横浜に帰ってから寒い日が継続している。早朝の鶴見川の散策で、堤防の芝生の斜面は霜が降りて真っ白で降るのが危険だ。今日も愛用のカメラをぶら下げて背丈の倍はあろうかという蘆の林の小路を歩いて来た。凍てつくような夜、小鳥達はどのように過ごしているんでしょうね。

 ・今年一年を振り返る

1.海外旅行

 ・スペイン・ポルトガル3200㌔の旅は13日もかけての大きな旅でした。この旅で、何故、ポルトガル・スペインが大航海時代を切り開き世界に君臨したのか、その謎が少しは理解出来た旅でした。中世の欧州はイスラムの世界から見れば科学技術が遅れた暗黒の時代だったというのが私の結論でした。スペインに最先端の科学技術のセンターがイスラムにより構築されていたんですね。

 ・もう一つ、ポルトガルが戦国末期の日本に与えた影響は、新しい『武士道』の指針ではないでしょうか、『テンプル騎士団』の修道士兼騎士のありようは、堺の商人や宣教師を通じて信長・秀吉・家康に伝授されたのではないだろうか、という仮説でした。当時の裏切りが当たり前の戦国の世、新しい安定した統治の概念として『武士道』が必要であったような気がします。

 ・家康は信長・秀吉の統治方法を継続した政治家でした、彼のイメージは鎖国をした人というのは間違いで、ガンガンと朱印船貿易を奨励し徳川幕府の財政を豊かにした政治家でした。鎖国は、3代めの家光ですね。家康は貿易の利を十分知る改革開放の継続者でした。その頃、私の父の先祖は茶屋四郎の配下で有明海を本拠港として東アジア朱印船貿易船でベトナム中部と行き来をしていたんだと思います。

 ・数年振りに、アメリカを訪問しグランドサークルという大自然を満喫した。ザイオン国立公園、アンテロープキャニオンや、西部劇の舞台、モニュメントバレー、グランドキャニオンと砂漠を周遊し、最後にアメリカが誇るショーの本場、ラスベガスを久しぶりに再訪した。現役時代はコンピュータ関連のイベントが多く開催されていたので、何回も訪問した経験がありました。

 ・この旅で、改めて、ジョンフォード監督や西部劇を撮影した役者やスタッフ達の根性に感動を覚えました。砂塵が吹きつける何も無い砂漠、ホテルも何も無い場所で彼らは過酷な撮影をしていたのです。勿論、現在でもテレビコマーシャルや映画も撮影されていますが、アメリカ人の頑強さに感嘆するばかりです。

こんな環境で女性の役者は大変だろうな~と思いましたが、そういえば、西部劇ではあまり女性が登場しませんね、多分、撮影環境が過酷なのが原因だったのかも知れない。

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メキシコ紀行(2011年秋) 目次編

 2011年秋にメキシコシテイとオアハカを訪問しました、その時の記録です。

 ・メキシコ紀行(2011年秋)(1) メキシコシテイ篇(1) アステカの王都

 ・メキシコ紀行(2011年秋)(2) メキシコシテイ篇(2) ソカロ広場とカテドラル

 ・メキシコ紀行(2011年秋)(3) メキシコシテイ篇(3) 奇跡のマント、グアダルーペ教会

 ・メキシコ紀行(2011年秋)(4) メキシコシテイ篇(4) テオティワカン 序論

 ・メキシコ紀行(2011年秋)(5) メキシコシテイ篇(5) テオティワカン 月のピラミッド

 ・メキシコ紀行(2011年秋)(6) メキシコシテイ篇(6) テオティワカン 死者の大通り

・メキシコ紀行(2011年秋)(7) メキシコシテイ篇(7) テオティワカン 太陽のピラミッド

 ・メキシコ紀行(2011年秋)(8) メキシコシテイ篇(8) テオティワカン 太陽のピラミッド続編

  ・メキシコ紀行(2011年秋)(9)  メキシコシテイ篇(9) テオティワカン ジャガーの神殿

  ・メキシコ紀行(2011年秋)(10) メキシコシテイ篇(10) テオティワカン 食事その他

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メキシコ遺跡 カカシュトラ(Cacaxtla)

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 メキシコ在住の娘から遺跡レポートが届きました。メキシコシテイの東にカカシュトラ遺跡があるそうです。グーグルアースで検索するとメキシコ湾との間にありました。北にはこの前訪問したテオテイワカンが位置しています。この遺跡は紀元前900年~紀元700年の期間栄えたメキシコ湾からの影響を受けたオルメカの末裔ではないかと推測されているそうです。紀元700年以降、トルテイカに滅ぼされたようです。

 参考 カカシュトラ遺跡

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 青の壁画と呼ばれているそうです。壁画には4名の立像の戦士が描かれていますね、左手に小さな丸い盾を持っています。左端の戦士はうずくまる像に対して右手の剣で胸を突いています。その右となりの戦士(中央)は右手に長い槍を持ちうずくまる像をにらんでいますね。その右隣の立像は左を向き右手を掲げています。

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 この青の壁画には4名の立像が描かれていますね。眺めてみましょう、左端の立像は戦士ではなさそうです、右手を掲げ『たけしのような被り物』をしています、神官でしょうか。中央の二人と右端の立像は戦士ですね。中央の二人は向かい合い左手に盾を持っています。二人の戦士の下には殺される敵と思われる戦士が倒れようとしています。右端の戦士も右手に長い槍を持ち敵を殺そうとしています。

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関西から帰還しました

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 ワンゲルの同窓会、『八幸』で12月22日(土曜日)に開催されました。今回は5人の参加でした。来年は大阪の連中が東京に来て東京でやろうという事だそうです。なるだけ、関東エリアのメンバーも参加した忘年会をしましょうと言う事になりました。

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 宴会の帰り、京阪淀屋橋駅まであるいていると、中央公会堂や道頓堀界隈で、凄い数の人々が夜中の10時過ぎにウロウロしていました。イルミネーションが派手に輝いていました。

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第17回 『G4の会』 鎌倉を歩く

 第17回 『G4の会』として鎌倉を歩き、美味しい蕎麦屋で宴会をして今年を締めくくりました。

 マイフォト 第17回『G4の会』鎌倉散策 葛原岡・大仏ハイキングコース写真集

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 東慶寺(縁切り寺)を最初に訪問し、源氏山を登りました。天気に恵まれ最高のハイキングとなりました。写真は源氏山での撮影です。

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 源氏山の源頼朝像の前で記念写真を撮りお昼を摂りました。そして、長谷寺を訪問し銭洗い弁天を訪問した。

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 昨年12月にも鎌倉を歩きました。

 参考 2011年12月20日 『G4の会』鎌倉古刹と天園コース散策

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週末は関西です

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 本日夕方の鶴見川で一斉に夕陽に向かい飛び立つ河鵜の群れです。美しい鶴見川の風景です。

 さて、週末は関西で過ごす事になります。義父の今年の二度目の手術も無事に終わり、お祝いと激励があります。恒例の大学時代のワンゲルの忘年会も恒例の『八幸』であります、そして、高校時代からの親友の樋口さんの病院見舞いもあります。

という訳で、あまり自由に気楽に関西の古代史を巡る旅は出来そうに有りません。

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お陰さまで240万アクセスです

 承前 お陰さまで230万アクセスです(2012年9月26日)

 お陰さまでJoBlogの累積アクセスが240万アクセスとなりました。

 累計アクセス数: 2400095 (2012年12月20日)

 ・過去4カ月人気ページアクセス

解析対象期間: 2012年9月1日(土) ~ 2012年12月19日(水)

アクセス数: 130,888

 1.JoBlog: トップページ 5201

 2.高句麗(コグリョ) 文明 823

 3.オルセー美術館 (Musée d'Orsay): ドガ 291

 4.スリランカ キャンディー街歩き: 風俗はインドと同じですね 256

 5.北海道 道南の旅(7) 江差追分 218

 6.蓼科山登山  山頂360度の大パノラマ 205

 7.オリエントエクスプレス イスタンブール駅: オリエント急行路線図 191

 8.済州島 城邑民俗村: 五味子茶(オミジャ) 181

 9.オルセー美術館 (Musée d'Orsay): モネ 睡蓮 174

 9.オルセー美術館 (Musée d'Orsay): ルノワール ピアノを弾く少女たち 174

 ・過去4カ月検索ワード

 1.コグリョ 338 2.スリランカ 313 3.地図 221

 4.サグラダファミリア 187 5.モネ 181

 6.蓼科山 173  7.オルセー美術館 171

 8.韓国 164   9.遺跡 145  10.こぐりょ 138

 11.風俗 136  12.済州島 135 13.ルノワール 132

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インド紀行 その8 ジャィプール地区遺跡(1) 風の宮殿

 承前 インド紀行 その7 デリー地区遺跡(5)デリーの鉄柱

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 デリーから西南方向に260㌔、インドでも基幹のムンバイに向けて首都デリーから走る国道、これが至るところが工事だらけで、突然に道が無くなったり、危険極まりない高速道路だった。殆どがトラックの走行であり、恐怖のバス移動だった。9時間程度かかったでしょうね。

 さて、このジャィプールという街には山の上にアンベール城という遺跡と周囲10㌔を赤い城壁で囲まれた古い都があります。赤い壁で囲まれているので、『ピンクシテイ』とも呼ばれています。世界遺産に登録された古代の天文台設備もあり観光客に人気だそうです。先ずは、『風の宮殿』の御紹介です。

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  18世紀の終わりの頃に建造された『ハワー・マハル(Hawa Mahal)』と呼ばれる宮殿です。此処は東北10㌔離れた山の上に築かれた都、『アンベール城』から此処に都を移し築かれた王城である『シテイ・パレス』の一部を構成している宮殿です。地上5階建て窓が953個もあり、『風の宮殿』と呼ばれるそうです。

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 大きな通りに面していてこの道路で昔から大きなお祭が行われるそうです。お姫様を始め王族はこの建物の窓から眺めるのに便利なように建築されたそうです。

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北イタリア紀行 その16 欧州一の保養地 コモ湖散策

 承前 北イタリア紀行 その15 ガルダ湖の半島シルミオーネ

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 シルミオーネから車で170㌔、世界中の金持ちが別荘を持つという欧州一の保養地、コモ湖で宿泊です。コモ湖散策をご紹介、特にコモ大聖堂(Como Cathedral)が注目です。そして、金持ちが集まる場所ですから、たまたま広場でクラシックカーのオーナーが集まりクラブの祭典がありました。

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 コモ大聖堂です、内部のステンドグラスが素晴らしいです。

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 マイフォト コモ湖散策 コモ大聖堂ほか写真集

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アメリカ大自然 グランドサークル紀行(16) グランドキャニオンの朝日

 承前 アメリカ大自然 グランドサークル紀行(15) グランド・ビュウ

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 グランドキャニオンの朝日を拝みに行きました。現地のガイドさんの話では朝日を拝みに来るのは日本人だけだそうです。日本人以外ではそのような風習は存在しないそうです。

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 やはり、日本人ばかりでした。太陽神のエジプトの人は今やイスラム教徒だから、アマテラス信仰の日本人とマヤ人の生き残りとケルト人の末裔ぐらいでしょうか。(笑)

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 朝日がグランドキャニオンに昇ります、素晴らしい、深さ1500メートルの渓谷に光が差し込む瞬間です。

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インド紀行 その7 デリー地区遺跡(5) デリーの鉄柱

 承前 インド紀行 その6 デリー地区遺跡(4) 世界遺産クトゥブ・ミナール

 クトゥブ・ミナールが存在するイスラム寺院址には不思議な鉄柱が存在する。建立は415年だそうですから、1500年間経過するのに全く錆びない鉄の柱で、『デリーの柱』とも、『チャンドラ・ブァルマンの柱』とも呼ばれている世界不思議です。

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 ガイドさんの話では、99.72%という高純度な鉄で出来ており、表面にサンスクリット語の碑文が記録され、直径44㌢、高さ7㍍、地下2㍍、重さ10トン、紀元415年に建造されたと考えられている。5世紀初頭と言えば、日本は古墳時代である。

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 何故錆びないのか、未だ解明されていないが、リンが不純物として加えられているからだという説もあるそうです。錆びないと言えば、兵馬俑坑から出土した青銅の剣も全く錆びていない状態で出土し、秦の時代にクロムメッキが発明されていたという、驚愕の事実もありましたね。

 マイフォト デリー地区遺跡 デリーの鉄柱ほか 写真集

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インド紀行 その6 デリー地区遺跡(4) 世界遺産クトゥブ・ミナール

 承前 インド紀行 その5 デリー地区遺跡(3) インド門

 インドのイスラム政権はムガール帝国が代表的ですが、その前に12世紀初頭に中央アジアの遊牧民の侵入により建国されていた、所謂、『奴隷王朝』と呼ばれる王朝が存在していた。マムルーク(奴隷軍人)としてゴール朝に仕えていたクトゥブッディーン・アイバクという奴隷出身の軍人が建国したので、そう呼ばれているそうです。

彼はヒンドゥー教やジャイナ教の寺院を破壊しその建材を再利用してイスラム寺院を建立しました、それがクトゥブ遺跡と呼ばれています。

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 この寺院で一番有名なのがこのイスラム寺院ではお馴染みの尖塔(ミナール)で、クトゥブ・ミナールと呼ばれています。初代『奴隷王朝』創始者の名前です。建材や建築技術者達の多くはヒンドゥー教の信者でしたので、建築様式はイスラムとヒンドゥー折衷のような独特のものになりました。

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 本来は高さ100㍍程度あったそうですが、今は72.5㍍、基底部直径14.3㍍、先端部直径2.75㍍、378段の階段で登れるそうですが、今は、登る事が出来ません。世界最高の高さを誇るミナレット(イスラム尖塔)だそうです。

 参照 マイフォト デリー地区遺跡 世界遺産クトゥブ・ミナール写真集

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インド紀行 その5 デリー地区遺跡(3) インド門

 承前 インド紀行 その4 デリー地区遺跡(2) 世界遺産レッドフォート

 第一次世界大戦の時に英国の植民地であったインドは100万人の兵隊を西部戦線に派遣した、英印軍(Indian Army)と呼ばれている、そして8万5千人が犠牲となりました。この兵隊を慰霊する記念碑がインド門(Indian Gate)と呼ばれている。

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 英国はインドに対して第一次大戦に派兵すれば自治を認めると約束したが、その約束を守らなかった。そして、独立運動の波がその後大きくなり、ガンジーが登場する事となります。

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 この記念碑はフランスの凱旋門をモデルとして建造され、犠牲者の8万5千人の名前が門の壁に刻まれている。

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インド紀行 その4 デリー地区遺跡(2) 世界遺産レッドフォート(赤い城)

 承前 インド紀行 その3 謎のインダス文明と日本人の祖先

 デリー地区の遺跡巡りの継続です。あの、タージ・マハールを建造したムガール帝国の第5代皇帝であるシャー・ジャハーンが自分の城として建造したレッドフォート(Red Fort Complex)の紹介です。

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 この城は9年の歳月をかけ1648年に完成しており、赤色砂岩の石で建造されています。彼は御存知、妃の為に1632年から1653年の21年の歳月をかけタージ・マハールを建設していました。如何に強大な国力と権力を掌握していたか判ります。

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 この城は近世になり英国がインドを植民地化した時の軍隊の大本営として接収され、長く英国人が支配していたそうです。

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 デリー城とも呼ばれる正門のラホール門を撮影しています。

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インド紀行 その3 謎のインダス文明と日本人の祖先

 承前 インド紀行 その2 デリー地区遺跡(1) 世界遺産フマユーン廟

 今回の話は夢のような空想ですから、適当に聞き流して貰いたいです。話は、世界四大文明の一つである、インダス文明は我々日本人の祖先が携わっていたというトンデモナイ仮説です。多分、今の所は私だけの仮説でしょうね。

 ・インダス文明概要(宮崎市定さんの『アジア史概説』より)

 モヘンジョダロ遺跡及び上流の五河地方の位置にあるハラッパ遺跡の発掘により、今から5千年以前を中心に前後約5百年に渡り展開した金石併用時代の都市の遺跡がインダス文明と呼ばれている。完備した浴場を持ち、道路は舗装され下水も敷設されていた。武器、玩具その他の器物の状態からそうとう高度な文明を所有していたらしい。

 夥しい数の印章が発掘され、そこに文字が刻まれておりインダス文字と呼ばれているが、未だ解読されていません。シバ神の原型のような像が発見され、印章に牝牛が彫られているので、現代のヒンドゥー教の原型が存在していたと想像される。

 この文明を担った民族は不明だが、中央アジアの原野で放浪していたアーリア人が紀元前1500年頃に侵入し先住民族を追い散らし又、混血し現代のインド人を形成したと考えられる。先住民としては、現在もインド南部に在住するドラヴィダ族である可能性が高い。

 ・ドラヴィダ族

 インダス文字を研究する学者で、インダス文字は現在のインド南部及びスリランカ北部を中心に存在するドラヴィダ言語族ではないかと仮説がでている。彼らは古モンゴロイドと考えられている。約2億人の人口を抱えるらしいが、又、多くの語族に細分される。問題はその中にタミル語が存在する事です。

 タミル語を話す民族はタミル人と呼ばれインド最南部東地区と、英国が紅茶を栽培する労働力としてタミル人をスリランカ北部のプランテーションに移住させた。

 ・タミル語は日本語のルーツ説

 御存知、タミル語は日本語の起源であると仮説を述べるのが大野晋さんですね。

彼は『日本語の起源』(岩波新書)にてタミル語が日本語の起源であると比較言語学から仮説をの述べています。

 日本語の起源』 新版 大野 晋 岩波新書 ISBN4-00-430340-0 700円 1994年6月 第一刷発行

(扉)

日本語とはどこに起源を持つ言葉なのか。 旧版(1957年刊)では答え得られなかったこの問いに、数多くの単語、係り結びや五七五七七の短歌の形、お米や墓などの考古学的検証、さらにカミ、アハレ、サビなど日本人の精神を形作る言葉の面から古代タミル語との見事な対応関係を立証して答え、言語と文明の系統論上に決定的な提起を行う。

(目次)

第一章 同系語の存在
1. 探索のはじまり
2. 探索の方法
3. 南インドのタミル語を選択する
4. 単語の対応ーー 語根の比較
5. 文法の比較
6. 五七五七七の韻律

第二章 対応語と物の世界
1. 稲作のはじまり
2. 墓と墓地
3. グラフィテイと記号文
4. 金属の使用
5. 機織のはじまり

第三章 対応語と精神の世界
1. 生活の慣習
2. 精神の世界の支点
3. 精神生活の根幹

第四章 南インドの言語・文明と日本・朝鮮
1. 日本語とタミル語の同系
2. 私の説に対する質疑

この本は梅安さんに勧められて、購入した。NHKでも番組が企画されたと聞いています。インドの南端東部とスリランカ北部の地域の人々が日本語と同系統の言語を持つ。
人の移動無くては実現不可であり、遥か太古において海のシルクロードを通じ交流があったと考えざるを得ません。
古代インドにアーリア人の侵入が起こり、海のシルクロードに活路を開いたと著者は語る。縄文晩期に彼等は日本に辿り着いたとみる。それにしても、雄大なロマンである。

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インド紀行 その2 デリー地区遺跡(1) 世界遺産フマユーン廟

 承前 インド紀行 その1 驚愕の国

 今回はデリー市内に存在する世界遺産、フマユーン(フマーユーン)廟の御紹介です。ムガール帝国第二代皇帝フマユーン(Humayun)の死後、彼の妃ベーガムが夫の為に建造した廟です。この廟がモデルとなりその後、タージ・マハールが建造されたのです。

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 建造は1565年から7年かけて王妃の故郷であるペルシャの建築家達がペルシャ風の霊廟を建造しました。建物のメインは赤色砂岩を使用し、霊廟の中央ドームは大理石で建造されています。

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 霊廟内のムガール帝国第二代皇帝フマユーンの模棺(本当の棺桶は地下にあり、これは模棺と呼ばれています。タージ・マハールでも同じです)。大理石に囲まれ、美しい象嵌の幾何学模様が素晴らしい。

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 霊廟のドーム天井の素晴らしい象嵌の幾何学模様です。

 マイフォト インド紀行 デリー地区遺跡(1) 世界遺産フマユーン廟

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インド紀行 その1 驚愕の国

 承前 インド紀行から無事帰還しました

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 今回のインド紀行は僅か三カ所を見学しただけです、従いこれでインドの全てを語る事は的を得ないと思いますが、しかし、強烈な印象は消え去る事は出来ない。インドは世界四大文明発祥の地と呼ばれる、所謂、インダス文明であり、モヘンジョダロやハラッパー遺跡は有名で誰もが認める文明発祥の地です。

 現在の考古学ではハラッパー遺跡は紀元前2600年ですから、今から4600年前の時代に文明の華を咲かせた場所である。その文明を担った人種は不明ですが、多分、現在インド南部に居住するドラヴィダ人ではないかと推測されている。しかし、BC13世紀の頃にアーリア人が侵入し原住民と混血し、現在のインド人の原型が出来たと推測されている。

 アーリア人が侵入する前からインドではヴェーダの神話と神々が存在していたが、彼らは砂漠の地とは異なる偉大なるインドの自然に触れ、自然を神と崇めるようになりヴェーダ神話に砂漠の遊牧民の神も加わり、『マハーバーラタ』、『ラーマーヤナ』が生まれたと考えられています。即ち、ヒンドゥー教が生まれました。

 インドはヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、シーク教を生んだ国です。シーク教だけは15世紀に生まれた比較的新しい宗教ですが、しかし凄いと思います。ヴェーダの神話からは旧約聖書のノアの箱舟の神話の元となる洪水神話も存在し、世界の宗教の根源であるかも知れません。

そんな国が写真のような惨状です。

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北イタリア紀行 その15 ガルダ湖の半島シルミオーネ

 承前 北イタリア紀行 その14 コルティナ・ダンベッツォ山歩き

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 コルティナ・ダンベッツォから車で南下し約290㌔、ミラノとベネチアの中間地点にガルダ湖があります。シルミオーネと呼ばれローマ時代の遺跡も残る風光明媚な保養地です。今回はこの場所にある、13世紀建造の『スカラ家の城(Castello Scaligero)』と半島の先端にあるローマ時代の遺跡、紀元前1世紀の頃の『グロッテ・デイ・カトゥツロ(Grotte di Catullo)』と呼ばれる遺跡の紹介です。

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  湖上の砦です、ガルダ湖に突き出した細長い砂州のような地形の先端近くにあります。13世紀に建造された城だそうです。

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 マイフォト 北イタリア シルミオーネ(Sirumione) 写真集

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機内の映画観賞

 今回のインド紀行ではANAの成田デリー間の直行便でした。嬉しかったのは、往きは高倉健さんの『あなたへ』、復路は吉永小百合さんの『北のカナリアたち』を観る事が出来た事が嬉しかったです。

 昨夜のテレビのニュース番組で『あなたへ』の撮影現場となった兵庫県の和田山の竹田城址に連日人々が押し寄せ、問題を起こしているという報道がありました。早朝の雲海が素晴らしい景観となり、それを観る為に早朝から人々が押し寄せ、環境問題を起こしているそうです。確かに、映画では健さんの奥さんが歌を止める最後の場面として登場し印象深い場面でした。

 参考 高倉健さん 『あなたへ』公式ホームページ

 富山から長崎平戸までの健さんの散骨の旅路、途中で出会う人々との交流、そして、妻の故郷で知る事実、素晴らしい映画でした。

 一方、吉永小百合さんの『北のカナリアたち』は北海道版、『二十四の瞳』のような印象を受けました。冬の利尻富士の姿が美しく、映像として素晴らしい感動ものでした。

 参考 吉永小百合さん 『北のカナリアたち』公式ホームページ

 偶然にも、日本を代表する俳優さんの、最新の映画を飛行機で観るという偶然にとても感動を受けました。ANAは素晴らしい、これからもやはり日本の飛行機に乗りたいと思います。

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インド紀行から無事帰還しました

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 世界一美しい建造物、『タージ・マハール』を観てきました。芸術作品とは狂心(たぶれごころ)がなければ出来ない、一切の妥協を許さない心で造られたものだ。そんな感想です。国家財政が破たんする程、金も人材もかけて出来たイスラム建築の粋ではないでしょうか。来て良かった、結局、この建造物を作った王は息子に幽閉されるのだが、その幽閉された城の窓からは、川の傍の『タージ・マハール』が水墨画の世界に浮かぶ真白き幻想的な姿を観る事が出来た。

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 この廟はムガール帝国第二代王の為に王妃が建造した『フマユーン廟』です。『タージ・マハール』のモデルとなった廟だと考えられています。こちらは、王妃が王の為に建造した廟で勿論、世界遺産に登録されています。

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 クトゥブ・ミナール(Qutub Minar)と呼ばれるイスラム寺院の塔です。1200年頃にヒンドゥー教の寺院を破壊して建造された世界遺産です。インドは資源が豊かな国、何度も遊牧民の異民族に支配されました。

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