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インド紀行 その6 デリー地区遺跡(4) 世界遺産クトゥブ・ミナール

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 インドのイスラム政権はムガール帝国が代表的ですが、その前に12世紀初頭に中央アジアの遊牧民の侵入により建国されていた、所謂、『奴隷王朝』と呼ばれる王朝が存在していた。マムルーク(奴隷軍人)としてゴール朝に仕えていたクトゥブッディーン・アイバクという奴隷出身の軍人が建国したので、そう呼ばれているそうです。

彼はヒンドゥー教やジャイナ教の寺院を破壊しその建材を再利用してイスラム寺院を建立しました、それがクトゥブ遺跡と呼ばれています。

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 この寺院で一番有名なのがこのイスラム寺院ではお馴染みの尖塔(ミナール)で、クトゥブ・ミナールと呼ばれています。初代『奴隷王朝』創始者の名前です。建材や建築技術者達の多くはヒンドゥー教の信者でしたので、建築様式はイスラムとヒンドゥー折衷のような独特のものになりました。

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 本来は高さ100㍍程度あったそうですが、今は72.5㍍、基底部直径14.3㍍、先端部直径2.75㍍、378段の階段で登れるそうですが、今は、登る事が出来ません。世界最高の高さを誇るミナレット(イスラム尖塔)だそうです。

 参照 マイフォト デリー地区遺跡 世界遺産クトゥブ・ミナール写真集

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 インドは資源が豊富に存在し同時に年に4回も収穫出来る自然が豊かな国で、日本の10倍もの国土を持ち豊かなインダス河、ガンジス河と恵まれ砂漠の遊牧民からみれば垂涎の対象だったのでしょうね。これが、過酷なインドの宿命の歴史の始まりでした。

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