狗奴国か 東之宮古墳再掘調査
本日、読売新聞朝刊にて犬山市の東之宮古墳に関する記事が掲載されていた。
東海地方を代表する古墳時代初期、3世紀後葉~4世紀初頭に築造された前方後方墳です。1973年に発掘され200点に及ぶ遺物は重要文化財の指定を受け、現在、京都国立博物館で保管されている。今回、39年振りに再発掘調査がされた訳です。
現地説明会 動画ビデオ(投稿された人に感謝)
参考 東之宮古墳紹介(犬山市)
動画ビデオを観て頂ければ、竪穴式石室の様子が良く判ると思います。全長72㍍、後方墳頂上に長さ4.8㍍、幅0.96㍍の竪穴式石室があり、7枚の天井石は愛知や岐阜では産出しない石だそうです。推定1枚、約1トンの天井石を何処から運んだのでしょうね。
ビデオで拝見すると、石室の床には粘土が敷かれその上に、現存しないが割竹式木棺が置かれていたと思われます。石室は朱で覆われていたようですね。まさに、大王級の墳墓だと思います。
遺物は、京都国立博物館のホームページを参照し、収蔵品を索引して下さい。
国宝・重要文化財の高精細画像を検索して貰うと、東之宮古墳出土の重要文化財の説明と高精細画像を学ぶ事が出来ます。(考古をクリックして下さい、9番目に出て来ます)
この古墳の規模と副葬品、古墳の丁寧な建造方法からヤマト王権に匹敵する権力者がこの3世紀後葉~4世紀初めに存在した事を考古遺構と遺物は物語っている。
読売新聞では白石太一郎氏(近つ飛鳥博物館長と赤塚次郎氏(愛知県埋蔵文化財センター副センター長)の二人の説を紹介している。
白石説
大きな天井石を敷き詰め遺体を封じ込める方法は畿内的であり、墳形や一部の副葬品を除けば畿内の古墳システムを取り入れている。初期ヤマト政権は中枢部では前方後円墳を、後に政権に組み込まれた地域の有力者には前方後方墳を建造させた。前方後方墳が多くみられる東海を中心とした東日本は、後にヤマトに従った『狗奴国連合』地域と観る。
赤塚説
今回の発掘で3世紀中頃と思われる土器が出土し、竪穴式石室がヤマトと同時期に建造がはじまり、ヤマトの真似ではないと主張。前方後方墳は東海発祥の古墳であり、ヤマトで前方後円墳が建造されると同時期に前方後方墳が築造されたと考える。
どうも、最近は40年ぶりに再掘調査が行われるケースが散見される。桜井(外山)茶臼山古墳もそうだし、今回の東之宮古墳もそうですね。再掘調査の本当の目的は何なんでしょうね。近年特に科学的な年代測定方法が進化しており、弥生時代や古墳時代の始まりの年代が大幅に古い時代にシフトする説が歴博からも提示されており、最新の科学技術で石室を調査しようという事かも知れない。
最近、邪馬台国と戦争をした狗奴国は東海・濃尾平野の国だと仮説を述べる研究者が多いのではないでしょうか。白石さんもその一人ですよね。当時の大陸の人々は日本列島は九州を一番北の位置とし、近畿、東海、東北と南の方角に連なる列島だと考えていたようですから、魏志倭人伝に言う邪馬台国の南に位置する狗奴国という表現に合う事になりますね。
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