秦氏と仏教
最近、四天王寺を訪問したが日本で最初に建立された寺であり、塔・金堂・講堂が直線で並ぶ四天王寺方式の伽藍です。聖徳太子さんは、物部守屋を倒す事が出来れば四天王寺を建立すると祈願されて、出来たお寺であると伝えられている。
この四天王寺を調べると、秦氏との関係が極めて深い事を段々と知る事となりました。聖徳太子のパートナーは勿論、秦河勝でしたので、秦氏がこの寺を建造した可能性があります。推古天皇18年7月に新羅から使者の竹世士(ちくせいし)が来た時、10月にも新羅から使者が到来、6年後の推古天皇24年にも新羅は竹世士を遣わせ、仏像を献上している。その時の案内役は秦河勝です。更に5年後の29年2月に聖徳太子が斑鳩の宮で身罷るが、直ぐに、新羅は推古天皇31年7月に大使、奈末智洗爾(なまちせんに)を派遣し仏像は葛野の秦寺に納め、舎利・金塔・観頂幡等々は四天王寺に納めるとある。
私は高校生の頃から日本に仏教が伝えられたのは百済の聖明王が欽明天皇に献上した金銅製の釈迦如来像及び経典・仏具類の時期、即ち日本書紀でいう552年、もしくわ元興寺縁起でいう538年だと教えられて来た。しかし、此れは百済経由で長江中流域の南京の仏教伝来の話であり、高句麗・新羅経由の仏教伝来ではない。
元来、朝鮮半島では高句麗が最大の国であり、文化レベルも中国に近接している関係から半島の国々では一番レベルが高く、仏教も黄河流域の仏教が3世紀頃には高句麗に伝播していたという。従い、仏教伝来を語るならばこの黄河流域の仏教伝来ルートである、高句麗・新羅経由と長江流域仏教伝来ルートの百済経由の二つを語らねばならない。
実はスリランカやカンボジア、タイ、ベトナム中部等々の仏教遺跡を訪問して感じた事は、第3の仏教伝来ルートである南海ルートでの仏教の伝播も日本列島に仏教を伝播していたのではないかと、考えるようになっています。ともかく、聖徳太子さんのブレーンは高句麗の僧、恵慈と秦氏でした。秦氏は新羅系渡来氏族ですが、彼らが信仰する仏教は高句麗・新羅経由の黄河系仏教だったようです。特に弥勒菩薩を信仰する弥勒信仰だったようです。
聖徳太子さんと秦氏に関係が深い京都の広隆寺(蜂岡寺)の国宝第1号の弥勒半跏思惟像、そして中宮寺の弥勒半跏思惟像。この中宮寺の仏像は京都・太秦の新羅で製造されたと推測される赤松一本造りをモデルに日本でクスノキの寄木造だそうです。これは、推古29年頃であり、広隆寺の宝冠弥勒半跏思惟像は推古11年に新羅から太子に献上された像であると考えられています。
中宮寺は太子の第3妃である尾治(おわり)王女子位奈部(いなべ)橘王の私邸です。尾治王とは敏達天皇と推古女帝の間に生まれた尾張皇子の事であり、橘王は推古さんの孫にあたります。彼女は太子が身罷ると天寿国曼荼羅繍帳を作成した事で誰にでも知られていますね。実はこの、天寿国曼荼羅繍帳を製造したのは、椋部(くらべ)秦久麻であったと銘文に記されている。
第3妃の橘王が位奈部(いなべ)=猪名部とも書くようですが、彼女は皇族であり太子の妃になって後、秦氏の同族である猪名部氏が彼女の財政を賄っていたと考えられるそうです。法隆寺の北に今でも猪名部の地名が残っているそうです。さて、この天寿国とは弥勒浄土の事ではないかと谷川健一さんは『四天王寺の鷹』で述べておられます。その理由は繍帳には兔と桂の木のある月が描かれ、天を示しているところから弥勒浄土説が唱えられている。
さて、物部氏と蘇我氏が戦った時に秦氏は同じ渡来系の蘇我氏にゴウリキしたのでしょうね。聖徳太子の活躍は即ち、秦氏の活躍だったのではないだろうか。秦氏は何時頃渡来したか不明ですが、ホンガンは豊前の国、宇佐地方を拠点にした銅・金など鉱物資源を扱う鍛冶の集団です。香春(かわら)岳を中心に宇佐神宮の元を築いた列島最大の渡来系技術集団でした。
秦氏は高句麗経由の新羅仏教を信仰していたと考えられ、弥勒信仰でした。一方、蘇我氏は百済との接近を図り長江流域の南京付近の仏教を受け入れたと考えられています。飛鳥寺はまさに、百済から瓦博士や露盤博士、等々の技術者集団が駆けつけて百済のお寺を建造した翌年あたりに駆けつけて来てくれています。
聖徳太子さんが晩年に飛鳥を離れ斑鳩に拠点を置かれたのは、蘇我氏・百済の仏教と距離を置く考えだったのかも知れないと思います。中宮寺や広隆寺を中心に新羅系仏教を日本で広める考えではなかっかと推測出来ます。聖徳太子と蘇我氏とは決定的に仏教面でも大陸政策でも(親百済一辺倒か高句麗・新羅とも付き合う外交姿勢)衝突し、太子の突然死や山背大兄皇子の悲惨な結果に繋がったとも考えられます。
事実、山背大兄皇子滅亡時に秦河勝は播磨の国に亡命しています。
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- エゾライチョウとクマゲラを見る旅 総括編(2018.07.09)
- 2018年春の渡りの飛島 総括編(2018.07.09)
- 南ゴビ砂漠探鳥紀行(2018年6月15日~20日) 総括(2018.07.06)
- 2017年 春の渡りの飛島記録(2018.05.15)
- 豪州鳥見紀行 ケアンズ・エアーズロック・シドニー チエックリスト(2018.02.21)
Comments