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古墳時代前期の古墳 新潟県胎内市の『城(じょう)の山古墳』

 本日、読売新聞朝刊にて、大きな見出しで、「大和政権 新潟まで影響 4世紀の古墳に副葬品」という記事です。記事の概要は以下の通りです。

 『新潟県北部、胎内市にある古墳時代前期(4世紀前半)の「城の山古墳」から、銅鏡や勾玉など、近畿地方で見られる副葬品が揃って出土した。この地域への大和政権の影響が、日本書紀の記述より300年も前に及んでいた事を示す、貴重な発見だ。市は国史跡の指定を目指す。』とあります。

 新潟県胎内市発表資料 『城の山古墳第6次調査現地説明会資料』(2012年9月8日)

 ネットには動画で現地説明会の模様がアップされていました、参考にどうぞ。

 You Tube  動画『城の山古墳 第6次調査現地説明会』

 参考までに、他のメデイアの報道は以下の通り。

 毎日新聞 『城の山古墳 現地説明会』

 産経新聞 『ヤマト政権の勢力 まざまざ』

 この産経新聞の記事はロマンに満ちていますね、崇神天皇の時代に四道将軍派遣の記事に注目し大彦命(おおひこみこと)が阿賀野川を遡り、会津で太平洋側から遠征してきた将軍の武渟川別(たけぬなかわわけ)と出合ったと記録されている。現在の会津地名の起源譚である。会津の会津大塚山古墳はまさに、古墳時代前期の古墳である。

 日本書紀の記録より300年遡るとは

 日本書紀では蝦夷対策として、阿賀野川河口の渟足(ぬたり)の柵が647年、磐船柵が648年に建設とされ、ヤマト王権の支配時期と考えられていた事による。

 近江の影響とは

 出土品の中で矢を入れる靫(ゆき)と呼ばれる箱に塗られた漆は、菱形の模様が確認出来、滋賀県東近江市の雪野山古墳から出土した靫(ゆき)と似ており、熊本大の杉井健准教授の意見である「ヤマト政権が、各地の有力者とつながりを持とうとして配ったものだろう」という意見を読売新聞は報じています。

 私の感想ですが、何故突然にヤマト王権の話が登場するのか不思議ですね。森浩一さんが話をするとすれば、単に『越』の国の痕跡が阿賀野川河口より少し北で見つかっただけで、森さんは確か『越』は秋田県にまで及ぶと考えておられると記憶しています。

 ヤマト王権と言うより、近江の勢力との関係を重視した方がいいと思いますね。靫(ゆき)というのは、古代の王権の正当性を証明する大事な神器なんですね。確か、イワレヒコが奈良盆地に侵攻した時に長脛彦が天孫族であるなら靫(ゆき)を見せろと言いますね、そして、それがニギハヤヒの『天璽瑞寶十種(あまの しるしの みずたから とくさ)』には含まれないけども、靫(ゆき)が天孫族と同じであったので、イワレヒコも驚いたという話が残っています。

 日本海沿岸は古代は大陸に対して表日本です、出雲や丹後半島、若狭湾、能登半島、姫川の翡翠コンビナート、新潟、秋田と日本海をハイウエイとして繋がっていたのでしょうね。今回出土した翡翠の勾玉もそれを証明していると思います。

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