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四天王寺参詣 聖徳太子さんを偲んで

 承前 聖徳太子御廟・叡福寺を参拝する(2012年7月31日)

 大阪歴史博物館を見学したあと、急に京都のMuの旦那が四天王寺を参拝に行こうと申され、車を南の方角に向けて走り出した。

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 参考 MuBlog 小説木幡記 四天王寺

 最近、谷川健一さんの『四天王寺の鷹 謎の秦氏と物部氏を追って』(河出書房新社2006年5月初版)を読んだので、谷川さんが語られた内容の一部を御紹介します。

 ・白鷹の舞う空

 伝説では、滅亡させられた物部守屋の怨霊が数千万羽の啄木鳥(キツツキ)となり襲撃し堂塔を破壊する事態が発生した。そこで、聖徳太子は白い鷹となり悪鳥達を追い払ったという伝説があるそうです。謎は、何故に白い鷹であるのかが面白い。

 ・物部守屋の祠

 四天王寺には物部守屋の祠があり大事に祀られているらしい。四天王寺の三つの謎の中の一つだそうです。敵の首領の祠を祭るとはどういう事か。参詣者がこの祠を憎み石つぶてを投げ破壊しようとするので、寺僧はこの祠の看板を熊野権現と書き記したという。祀られているのは、物部大連・弓削小連・中臣勝海連の三座だそうです。

 物部守屋が滅亡した時に大連の奴婢たちは四天王寺の奴婢として移籍させられたそうだ。日本書紀の崇峻天皇即位前紀に『乱をしづめて後に、摂津国にして、四天王寺を造る。大連(物部守屋おおむらじの事)の奴(やっこ)の半(なかば)と宅(いへ)とを分けて、大寺の奴・田荘(たどころ)とす。』と記録されています。

 マイフォト 四天王寺写真集

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 秦氏と聖徳太子との関係については今迄、多くの書物を読み調べてきました。今回読んだ『四天王寺の鷹』も面白い本の一冊でした。

 参考 秦氏に関するメモ(2010年12月29日) 

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