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北イタリア紀行 その8 ドロミテ街道をゆく

 承前 北イタリア紀行 その7 ドロミテ カレッツァ湖とラテマール山

 さて、カレッツァ湖をあとにして、一路ドロミテ街道を走りポルドイ峠を目指します。峠を越えれば有名なコルティナ・ダンベッツォに到着です。それでは、ポルドイ峠までのドロミテ街道の車窓を楽しみましょう。

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 イタリアアルプスの美しい景色が堪能出来るドロミテ街道。学生時代から憧れていた場所です。

 詳細はマイフォトの写真集を参照下さい。

 マイフォト ドロミテ街道をゆく(カレッツァ湖→ポルドイ峠)車窓写真集

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四天王寺参詣 聖徳太子さんを偲んで

 承前 聖徳太子御廟・叡福寺を参拝する(2012年7月31日)

 大阪歴史博物館を見学したあと、急に京都のMuの旦那が四天王寺を参拝に行こうと申され、車を南の方角に向けて走り出した。

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 参考 MuBlog 小説木幡記 四天王寺

 最近、谷川健一さんの『四天王寺の鷹 謎の秦氏と物部氏を追って』(河出書房新社2006年5月初版)を読んだので、谷川さんが語られた内容の一部を御紹介します。

 ・白鷹の舞う空

 伝説では、滅亡させられた物部守屋の怨霊が数千万羽の啄木鳥(キツツキ)となり襲撃し堂塔を破壊する事態が発生した。そこで、聖徳太子は白い鷹となり悪鳥達を追い払ったという伝説があるそうです。謎は、何故に白い鷹であるのかが面白い。

 ・物部守屋の祠

 四天王寺には物部守屋の祠があり大事に祀られているらしい。四天王寺の三つの謎の中の一つだそうです。敵の首領の祠を祭るとはどういう事か。参詣者がこの祠を憎み石つぶてを投げ破壊しようとするので、寺僧はこの祠の看板を熊野権現と書き記したという。祀られているのは、物部大連・弓削小連・中臣勝海連の三座だそうです。

 物部守屋が滅亡した時に大連の奴婢たちは四天王寺の奴婢として移籍させられたそうだ。日本書紀の崇峻天皇即位前紀に『乱をしづめて後に、摂津国にして、四天王寺を造る。大連(物部守屋おおむらじの事)の奴(やっこ)の半(なかば)と宅(いへ)とを分けて、大寺の奴・田荘(たどころ)とす。』と記録されています。

 マイフォト 四天王寺写真集

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難波宮跡・大阪歴史博物館紀行 その2 博物館編

 承前 難波宮跡・大阪歴史博物館紀行 その1 難波宮跡編

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 難波宮跡の遺跡内に大阪歴史博物館が建造されています、地下は遺跡をそのまま保存しているようです。今回は常設展示場10階→9階→8階→7階と見学です。10階は奈良時代の大極殿を再現しています。女性が手に持っているのは翳(さしば)と呼ぶ団扇のようなもので天皇の顔を隠すものです。

 奉翳女孺(はとりのにょじゅ)と呼ばれる、めのわらわ、が高御座(たかみくら)の左右に9名づつ並んでいます。この翳(さしば)は高貴な人や高僧の顔を隠す時に使用されています。高御座の傍には、高級官女の威儀命婦(いぎのみょうぶ)と呼ばれる女性も控えています。

 参考 大阪歴史博物館 常設展示場

 詳しくはマイフォト、大阪歴史博物館写真集を参照して下さい。

 マイフォト 大阪歴史博物館 写真集

 参考 国立博物館 埴輪の『さしば』

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難波宮跡・大阪歴史博物館紀行 その1 難波宮跡編

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 写真は上町台地の一番高い場所に建設されていた難波宮の大極殿基壇と奥の低い位置に建つ大阪城の風景です。この場所は堺の方面から細長く半島が突き出るような場所で瀬戸内海と河内湖を分断する先端位置です。古来、この半島の先端部分では瀬戸内海と河内湖が狭い水路で繋がり潮の流れが急でした。だから、難波と呼ばれるのです。

 この河内湖の水を抜くために仁徳天皇は上町台地をぶち抜き、運河を掘削し河内湖の水を瀬戸内海に抜いたのです。そして、潟から平野になり巨大な稲作農地が開墾出来、多くの米を獲得出来たので、民は豊になり、人々はオオササギ大王を仁徳天皇と後の世に呼ぶようになりました。

 過去記事 難波宮(なにわのみや)2008年12月23日記事

 過去記事 副都論 2009年1月17日記事

 この遺跡を語る時に大阪市立大学教授であった山根徳太郎さん(1889年~1973年)を抜きに語る事は出来ない。彼は、退官後も難波宮跡の発掘に情熱を燃やし、遂に1961年(昭和36年)に後期難波宮の大極殿を発見したのだ。彼の狂人的な行動力は当時大阪市の職員であった私の身内の人の証言で私は彼を知りました。こんな人が居ないと遺跡は守れないのですね、吉野ヶ里遺跡の高島父子を思い出します。

 そうそう、同行させて貰ったMuBlogの旦那さんも記事を書かれています。

 参考記事 MuBlog  難波宮からの二上山

 詳しくは、写真集を参考にして下さい。

 マイフォト 難波宮跡・大阪歴史博物館 写真集

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第16回『G4の会』 西吾妻山&白布温泉の旅 その2

 承前 第16回『G4の会』 西吾妻山&白布温泉の旅 その1

 

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 帰路は大凹からかもしか展望台ではなく、人形石経由でリフト乗り場を目指した。

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 人形岩あたりで、急に雲が怪しくなり雨がふりそうなので急いで、つがもりリフトを目指して下山した。

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 白布温泉の白布大滝です、翌朝、散歩がてらに見学です。

 参考 第16回『G4の会』 西吾妻山&白布温泉紀行 写真集

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第16回『G4の会』 西吾妻山&白布温泉の旅 その1

 承前 日本百名山 西吾妻山から無事帰還しました

 2012年10月17日第16回『G4の会』西吾妻山登山と白布(しらぶ)温泉の旅が一泊旅行として敢行されました。私は朝4時起床で5時6分の大倉山から横浜への始発電車に乗り、東京駅発6時12分発、山形新幹線『つばさ121号』に乗り込み一路、米沢に向かいました。G4メンバーとは東京駅発の『つばさ121号』で待ち合わせとなる。遊びとなると、皆さん、朝早くから遅れずに全員集合でした。

 ・概略スケジュール

  米沢駅8時25分着 私を除く皆さん、米沢牛弁当を購入(1100円)

  タクシー(約七千円少し)で白布温泉『山の季』経由、天元台ロープウエイ湯元駅9時半頃到着

  『山の季』でロープウエイとリフトの割引券を頂戴し、余分な荷物は旅館で預かって貰う。

  10時前にはロープウエイの終着駅天元台高原駅に到着し、リフト3本を乗り継ぎ、標高1820㍍の北望台に到着する。

 ・登山

  北望台から歩き始め、かもしか展望台(標高1940㍍)を経由し、一度山を少し下り湿地帯である大凹(おおくぼ)経由で梵天山(標高2005㍍)を目指し、天狗岩・吾妻神社(標高2005㍍)を経由して、吾妻連峰の盟主である最高峰、西吾妻山(標高2035㍍)を登り、少し山を下り西吾妻小屋近くで昼食という段取りで、帰路は天狗岩、梵天岩、大凹、人形石経由で北望台のリフト乗り場に戻るルート選択でした。

 

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 写真は写真集として収録しましたのでそちらを参照下さい。

 マイフォト 日本百名山 西吾妻山&白布温泉 写真集

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 左は大日岳、右は飯豊山です。この日は秋晴れ、見事な眺望が開けていました。

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日本百名山 西吾妻山から無事帰還しました

 第16回『G4の会』西吾妻山登山と白布(しらぶ)温泉の旅から無事帰還しました。

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 快晴に恵まれた山歩きと温泉の旅となりました。

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 梵天岩(2005㍍)、天狗岩(2005㍍)、西吾妻山(2035㍍)を無事に踏破できました。

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関西から帰還しました

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 本日、無事関西から横浜に帰還しました。今回は義父の第二弾の手術を控え、大阪の病院に付き添う事が主目的、ついでに長尾にある父母・兄の墓参でした。写真は義父が大好きなノラ猫のお母さんで、4匹も子供を産みました。

今回の帰省では、何時もの御近所のMuBlogの旦那にお世話になり難波宮跡・歴史博物館・四天王寺と現場を見学させて貰いました。

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インドのVISA取得で疲労困憊

 今時、こんなにVISAを貰うのに苦労するのは初めてである。もう、インドに旅行をする気持ちが失せてしまった。インドの人に対して日本も同じような苦痛を与えているんだろうか、それに対する報復なんだろうか。就労ビザの取得という場合は困難で苦労する事もあるだろうが、単に観光するだけなのに何でこんなに苦労させられるのか、憤慨です。

 申請時

 ホームページを検索し申請用紙をダウンロードする。書き方については例もしめしてあり、簡単である。しかし、何で父親の名前が必要なのか理由が判らない。イスラム教徒と関係があるのだろうか。女性の場合、結婚前の名前も必要だし、父親の名前も必要である。

 インド ビザ 申請センター

 私は両面印刷する事は滅多に無いので、あやうく、申請用紙が二枚で持ってゆく事になりそうでした。家内の分も記入し、写真を用意し裏にサインをして申請センターに行こうと考えたが、申請センターのホームページでは住所は判るが、地図が無い。本当は何処かにあるのかも知れないが、私は見つける事が出来ない。グーグルで検索しやっと茗荷谷の駅からの地図に辿り着いた。この時に既に何処か不信感に襲われていた。

 朝9時から申請受付だというので、9時過ぎ頃に到着すると6畳二間程度の小さな部屋は100名を超すような混雑である。受付はどうすれば良いか判らない、窓口で忙しそうにしてる人に訊くと、部屋の片隅にある受付番号発行の機械で引きぬくらしい。私は35番の番号でしたが、何故か100人程度人々が部屋には居られる。

 窓口で番号や名前を呼んでいるが、聞こえない。しかも、全員がインド人なので、発音が日本人と異なり聞きとりにくい。結局、私が呼ばれたのは、12時を遥か過ぎた頃でした。やっと受付で書類を出すと、写真を貼っていないからカウンターに行き、糊で貼るように指示される。その間、又、受付順番が後ろになってしまった。ホームページでは張らずに、写真の裏にサインをしなさいと書いてあるではないか。と、文句もいう元気もなく、従うが、今度は一人分は2135円×2=4270円をその場できっちりお釣りがないように支払う必要があります。

 私はあせったが、幸い、財布には希有だがその金額がきっちり存在したので、この場面はしのぐ事が出来た。くるのは数日後の午後5時から5時半の時間に来いと領収書に日にちと時間が記入された。

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徐福伝説とiPS細胞

 山中教授が自宅で洗濯機を修理している時にノーベル財団から電話があり、ノーベル賞受賞の連絡を受けたらしい。奥さんは冬支度で布団カバーをかけている時で、医大生の娘はソファーでくつろいでいたという。何処の家庭でもある、のどかな風景が一本の電話で激変したのだ。振り込めサギの電話でなく良かった。

 山中教授は私の同期で大学時代ラグビー部で一緒に会社に入ったAさんの大学のクラブの後輩にあたる人物となります。高校は大阪では有名な天王寺高校出身で私のように、田舎のN高校とは異なる。彼は柔道やラグビーなど運動で何回も骨折したらしい、医者になるきっかけだと言う。

 このiPS細胞の話を聞いていると、素人の考えとしては、将来、不老不死の世界が実現してしまうのではないかと空想してしまいます。予め、自分の皮膚細胞から心臓や肝臓や肺や睾丸(?)などのスペアーパーツを作成しておき、臓器バンクに保管しておく。自分の臓器に問題が生まれれば、スペアーパーツに置きかえるのだ。

 しかし、脳細胞はどうなるんだろうか。所謂、記憶装置も代替可能なのだろうか。予め、USBメモリーや外部ハードデイスクにダウンロードするように、新しい脳細胞にコピー可能なのだろうか。やはり、再生医療と言えど対象臓器には制限が生まれるのだろうか。

 私の身近な先輩の親族でも父が息子に肝臓の一部を移植したという深刻な話を聞いており、今回のiPS細胞を使用する再生医療に一刻も早い実現が世界中から待ち望まれているんでしょうね。凄い偉業をなそうとしている、大事な山中教授に休みの日に洗濯機の修理をさせていていいのだろうか。

 私は半年前頃から、皮膚科の医者に二度ほどお世話になっています。高血圧の薬の副作用により手足の皮膚に炎症が起こる病気です。血管を広げると末端ではあまり運動をしていない部分では血がうっ血し色々な症状が発生するらしい。私のかかりの皮膚科のお医者さんは、山中教授の奥さんのように女医さんで、何時も踊りながら病気の説明をして下さる、面白いお医者さんです。何故、踊りながら説目されるのか、未だに謎である。

 徐福伝説

 私は今回のiPS細胞の話を2千年前の秦始皇帝が聴いたらどう思うだろうかと考えています。不老不死の仙薬を求めて東方海上に浮かぶ蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛洲(えいしゅう)という三神山を求めて徐福と男女、子供達、3千人が大船団を組み移民するのに十分な物を積みこみ船出したと史記にあり、日本では徐福伝説だが、中国では史実とみなされている。

この東方海上に浮かぶ仙人が棲む島が日本でないかと古来推測されて来た。その仙薬が何と、始皇帝の没後2200年を経過して彼の予測通り日本で生まれようとしている。中国メデイアが山中先生のiPS細胞の件で大騒ぎをする背景にはこんな歴史的背景があるのかも知れない。

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北イタリア紀行 その7 ドロミテ カレッツァ湖とラテマール山

 承前 北イタリア紀行 その6 パルマ→ボルツァーノ(ドロミテ)街道をゆく

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 標高2842㍍のラテマール山とカレッツァ湖です。神高地の明神池と穂高のような光景です。黄龍・九寨溝の光景にも似ています。

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 マイフォト ドロミテ(Dolomiti)カレッツァ湖(Carezza) 写真集

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北イタリア紀行 その6 パルマ→ボルツァーノ(ドロミテ)街道をゆく

 承前 北イタリア紀行 その5 パルマ

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 パルマから北北東に280㌔走ります。いよいよ、学生時代から一度は訪問したいと考えていた山男の憧れの地、ドロミテに向かいます。先ずは、ボルツァーノというドロミテの町を目指します。

ドロミテは世界中の山を愛する人々ならば、一度は訪れる場所ではないでしょうか。

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 車窓です、イタリア北部の田舎の田園と村落の様子です。城があり、教会があります。ヨーロッパの田舎は何処もこんな按配ですね。

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 山の斜面に砦や教会が建っています。古来、常に戦争にさらされていた事を物語っています。日本は戦国時代や弥生末期の有る時期を除けば平和な列島でした。

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 いよいよ、北イタリアのアルプスを源流とする渓谷に入りました。ドロミテ街道が始まります。いよいよ、アルプスです。

 マイフォト パルマからボルツァーノ(ドロミテ)への街道 写真集

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太安万侶(おおのやすまろ)墓誌に墨書が・・・・

 昨日、読売新聞では古事記を編纂した太安万侶の墓と偶然に発見されたあの墓誌に墨書が残っていたという報道です。橿原考古学研究所が三次元レーザで発見したそうです。古事記編纂1300年記念の年に相応しい出来ごとです。

 毎日新聞 太安万侶墓誌に謎 毛筆で銘文と同文字

 朝日新聞 太安万侶墓誌に毛筆の痕跡(橿考研三次元計測で発見)

私は和田萃(あつむ)さんの仮説に心が引かれます。

 太安万侶と言えば、過去に幾つかの記事を書きました。

 過去記事 太安万侶・稗田阿礼 拠点集落(2009年12月15日)

 過去記事 纏向遺跡 大型建物跡と三輪山信仰(2009年12月13日)

 過去記事 笠縫邑を歩く(多神社・秦庄・笠縫神社・秦楽寺)(2010年1月4日)

 ところで、皆さん古事記1300記念の記念切手を買われましたか、私は買ってあります。

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アマツバメの集団が飛来するの巻

 本日朝、9時頃、何時もの鶴見川の上空にはツバメに似ていますが、大型でやたらとはばたき、高速で飛翔する鳥の群れが飛来しました。散歩の時間、約1時間半、私の上空や身体の傍を時速200㌔程度の高速でまるでラジコン飛行機のパイロン機のように、飛び廻っていました。これは、噂のアマツバメではないでしょうか。

 今日は朝からどんよりと曇り、予報では午後から雨が降ると言う予想です。数日前から鶴見川の土手では小さな虫が多量に発生し散歩するのが嫌になる程でした。ツバメ君達がいれば、餌が豊富に存在するのに勿体ないな~と、独り言をいいながら歩いていました。

 約10羽から20羽程度の群れが複数存在し鶴見川の上を旋回しながら捕虫しています、そして、時折、大集団、多分40羽から50羽程度が群れになり飛んで行きます。こんな光景は初めて観ました。明らかに大倉山で育ったスズメ目のツバメでは有りません、アマツバメ目のアマツバメだと考えます。

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 大型で腰のあたりが白いのが特徴です。そして、おおきな鎌がブーメランのように飛んでるようで、迫力があります。速度もツバメよりも高速だと思います。

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アメリカ大自然 グランドサークル紀行(15) グランド・ビュウ

 承前 アメリカ大自然 グランドサークル紀行(14) デザート・ビュウ

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グランド・ビューからのグランドキャニオンの光景です。

 グランドキャニオンの地質に興味がある人は以下の山形大学の巡検(珍しい言葉ですが、現地を実地に検査するという意味だと思います)のWebがありましたので、参考にして下さい。

 参考 コロラド高原地質巡検

  参考 グランドキャニオンの地質

 地質の専門家や地球物理学に興味のある人はこの崖を観ただけで、武者震いするんでしょうね。私のような門外漢には単なる崖にしか見えません。

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 しかし、日本では見た事も無い光景が眼前にあります。幾度かの大地の隆起や断層の発生とそこにコロラド川が流れ込み浸食を繰り返す、途方も無い時間軸での自然の営みを感じます。

 マイフォト グランドキャニオン サウス・リム グランド・ビュー写真集

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駿河の前方後方墳 高尾山古墳

 本日も昨日に引き続き読売新聞朝刊では古墳の話を大きく取り上げていた。今日は、沼津市の高尾山古墳についての話題です。

 参考 静岡県沼津市駿河台自治会 高尾山・辻畑古墳説明会

     発掘調査見学会資料が上記記事に含まれています、ダウンロードして詳細な発掘資料を読んで下さい。

 参考 平成24年度 静岡県考古学会東部地区例会 『高尾山古墳遺物見学会資料』

 沼津市教育委員会、沼津市文化財センターが作成した資料『スルガの王 大いに塚を作る』が素人にも判り易く230年代と250年代両方の説を取り上げ面白く作成されています。

 読売新聞記事によれば、高尾山古墳(辻畑古墳名を変更)は全長62㍍、2008年~9年沼津市教育委員会により発掘が行われ、最古級の前方後方墳である事が判明したという。後方部中央から埋葬施設が見つかり、木棺の跡や多量の朱が見つかり、中国製の銅鏡や鉄鏃、鉄槍、ヤリガンナなどの副葬品が見つかった。

 土器は地元の他、東海西部、北陸、近江、関東など外来系のものも見つかっており、他地域との交流がうかがえる。この古墳を巡り、箸墓古墳よりも古い年代である230年代に築造されたとする仮説と箸墓とほぼ同じの250年代に築造されたという仮説の二つが論争を巻き起こしているそうだ。

 ・230年代説

 愛知県埋蔵文化財センター副センター長の赤塚次郎さんが提唱。彼は魏志倭人伝に登場する『狗奴国』は伊勢湾沿岸に存在したとする仮説を提唱しており、高尾山古墳の被葬者は200年前後のこの地域の英雄で狗奴国の仲間の一人だったのではないかと推測。東海地方に多い前方後方墳は東海系文化が根づいた地域に築かれたという論である。

 高尾山古墳の墳丘や周溝で出土する土器には東海西部系のものが多数含まれ、脚付きの土器・高坏(たかつき)は230年頃の製作と考えられると言う。

 東日本では、長野・弘法山古墳や栃木・那須八幡塚古墳といった前方後方墳が見つかっており、高尾山古墳はそれらの古墳群とともに、東海系文化の広がりを示す『最古級前方後方墳』であると述べる。

 ・250年代説

 奈良県桜井市纏向学研究センター所長の寺沢薫さんが論陣を張る。副葬品の鏡や鉄製品は3世紀半ば以降と考えられ、周溝などにはたまたま古い土器が紛れこんでいたと考える。墳形がヤマトに築かれた初期の前方後円墳の規格と共通する点があると述べる。前方後方墳は政治的に対峙する形で造られたのではなく、前方後円墳の影響で生まれたとする。高尾山古墳は東海系の影響も大きいが、背後にヤマトの影響が見え隠れすると述べる。

 明治大学名誉教授の大塚初重さんは、高尾山古墳は、東日本など各地の古墳出現論に大きな影響を及ぼすと評価。両説どちらでも、この古墳の重要性に変わりは無いと述べる。

 上記、年代論の詳細と根拠については、上記掲載の資料『スルガ王 大いに塚をつくる』で丁寧に解説されていますので、興味のある方は是非、一読下さい。

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古墳時代前期の古墳 新潟県胎内市の『城(じょう)の山古墳』

 本日、読売新聞朝刊にて、大きな見出しで、「大和政権 新潟まで影響 4世紀の古墳に副葬品」という記事です。記事の概要は以下の通りです。

 『新潟県北部、胎内市にある古墳時代前期(4世紀前半)の「城の山古墳」から、銅鏡や勾玉など、近畿地方で見られる副葬品が揃って出土した。この地域への大和政権の影響が、日本書紀の記述より300年も前に及んでいた事を示す、貴重な発見だ。市は国史跡の指定を目指す。』とあります。

 新潟県胎内市発表資料 『城の山古墳第6次調査現地説明会資料』(2012年9月8日)

 ネットには動画で現地説明会の模様がアップされていました、参考にどうぞ。

 You Tube  動画『城の山古墳 第6次調査現地説明会』

 参考までに、他のメデイアの報道は以下の通り。

 毎日新聞 『城の山古墳 現地説明会』

 産経新聞 『ヤマト政権の勢力 まざまざ』

 この産経新聞の記事はロマンに満ちていますね、崇神天皇の時代に四道将軍派遣の記事に注目し大彦命(おおひこみこと)が阿賀野川を遡り、会津で太平洋側から遠征してきた将軍の武渟川別(たけぬなかわわけ)と出合ったと記録されている。現在の会津地名の起源譚である。会津の会津大塚山古墳はまさに、古墳時代前期の古墳である。

 日本書紀の記録より300年遡るとは

 日本書紀では蝦夷対策として、阿賀野川河口の渟足(ぬたり)の柵が647年、磐船柵が648年に建設とされ、ヤマト王権の支配時期と考えられていた事による。

 近江の影響とは

 出土品の中で矢を入れる靫(ゆき)と呼ばれる箱に塗られた漆は、菱形の模様が確認出来、滋賀県東近江市の雪野山古墳から出土した靫(ゆき)と似ており、熊本大の杉井健准教授の意見である「ヤマト政権が、各地の有力者とつながりを持とうとして配ったものだろう」という意見を読売新聞は報じています。

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アメリカ大自然 グランドサークル紀行(14) デザート・ビュウ

 承前 アメリカ大自然 グランドサークル紀行(13) グランドキャニオンへの道

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 モニュメント・バレーから車で2時間少し、グランドキャニオンの東の端の南側(サウス・リム)デザート・ビュウに到着です。写真の砦のようなものはホピ族が峡谷の北側から攻めてくるのを見張る『見張りの塔』をモチーフに観光客がバレーを楽しんで眺める事が出来る施設として建設されたものです。

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 デザート・ビュウから眺めるグランドキャニオンの峡谷です。眼下のコロラド河まで1600㍍もの深さがあります。台地は標高2千㍍程度ですから、コロラド河は標高4百㍍程度でしょうか。台地が亜寒帯だとすると底は亜熱帯だそうです。そして、むき出しの断崖は地球の歴史を教えてくれる標本のようなものだと言う。

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 アメリカの背骨を構成するロッキー山脈は太平洋プレートがアメリカ北米プレートに衝突して造山運動となり、巨大な山脈を南北に形成している。火山国なんですね。東西400㌔以上の断層帯に東からコロラド河が流れ込み、浸食してこのような日本では見た事が無い地形を形成した。

 マイフォト グランドキャニオン サウス・リム デザート・ビュウ写真集

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