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縄文時代の関東 目次編

  私が早稲田で高橋先生から学んだ『縄文文化研究の最前線』の中から、メモをまとめた資料です。

 ・縄文時代の関東 その1 

 ・縄文時代の関東 その2 貝塚遺跡

 ・縄文時代の関東 その3 漁労関係

 ・縄文時代の関東 その4 漁労の続編

 ・縄文時代の関東 その5 植物との関わり

 ・縄文時代の関東 その6 西のドングリ・ピットと東の水場あく抜き施設

 ・縄文時代の関東 その7 ミトコンドリアDNA分析

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アメリカ大自然 グランドサークル紀行(13) グランドキャニオンへの道

 承前 アメリカ大自然 グランドサークル紀行(12) モニュメントバレーを去る

Photo  モニュメントバレーの次は今回の最大のハイライト、グランドキャニオンを目指します。西南にバスで約2時間程度走るとコロラド河が浸食した巨大な峡谷の東の端に到着します。グランドキャニオンは東西に446㌔、南北峡谷の幅29㌔、峡谷の深さ1600㍍という世界最大のキャニオンを指しており、世界遺産に登録されています。

 今回の旅は峡谷の南側、即ちサウス・リムを観光する事になります。モニュメントバレーからアプローチすると先ずは峡谷の東の端、即ちイースト・リムの景色景勝地であるデザート・ビューを目指す事になります。途中の、砂漠の旅の風景をご紹介です。

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名残惜しいモニュメント・バレーともお別れです、雲が美しい。

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 まさにモニュメントが聳えるバレーでした。

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 東にはロッキー山脈が南北に走っています。山には残雪が残っています。

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 コロラド河が流れていますが、未だ峡谷では有りません。

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 モニュメント・バレーやグランドキャニオンの道路はバイクが似会いますね。最近、電話会社のコマーシャルでもハーレーで運転する光景と自転車のコマーシャルが有りました。

 マイフォト モニュメント・バレーからグランドキャニオンへの道 写真集

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ベトナム縦断1800㌔の旅 目次編

 ベトナムのハノイに一度、家内と一緒に暮らしていた事がある。しかし、その頃はベトナムを観光旅行する機会も無く、月日が過ぎた。今回は、思い出のベトナムを北から南に1800㌔即ち、ハノイからホーチミン(昔のサイゴン)まで旅をする事になりました。その時の記録の目次を編集しました。

 ・ベトナム縦断の旅企画 1800㌔の旅(2011年6月23日)

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅から無事帰還しました

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(1) 4年振りのハノイ

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(2) ハノイ バッチャン焼きの里

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(3) 三度の海戦(バクダン江)

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(4) 世界遺産 ハロン湾その1 乗船

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(5) 世界遺産 ハロン湾その2 鍾乳洞の島に渡る

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(6) 世界遺産 ハロン湾その3 ティエンクン鍾乳洞

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(7) 世界遺産 ハロン湾その4 水墨画の世界

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(8) ハノイ 文廟再訪

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(9) ハノイ 一柱寺とホーチミン

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(10) 中部編ダナンからフエへその1

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(11) 中部編ダナンからフエへその2

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(12) 中部編ダナンからフエへその3

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(13) 中部編ダナンからフエへその4

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(14) 中部編 フエ グエン朝王宮跡(1)

 ・ベトナム縦断1800㌔の旅(15) 中部編 フエ グエン朝王宮跡(2)

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今年の北海道は暑かったようです

 昨夕、千歳から羽田に帰還しました。急に、二日前頃から北広島は冬の季節が訪れたような気候になり、夏からいきなり冬の訪れという奇妙な雰囲気でした。大雪山の層雲峡から黒岳ロープウエイを登ってきましたが、全く紅葉は見られない状況でした。今年の紅葉は遅れているようですが、急に冬の気候が訪れたので、急転直下、紅葉が進むと思います。

 2カ月ぶりに、孫達とも会う事が出来ました。2カ月見ないと、子供は急に成長する事も実感しました。

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 1歳の孫、鼻の頭をこけて怪我しています。怪獣です。

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お陰さまで230万アクセスです

 承前 累計220万アクセスとなりました

 北海道に旅行中に230万アクセスを達成していました。220万アクセス達成が7月ですから、約2カ月で10万アクセスのペースのようです。しかし、このブログもほぼ10ギガを越えそうなので、今後は今迄の古い記事を削除し、スペースを確保して記事を継続するか、それとも何処かの無料のブログに移行するか、考えなければなりません。

 累計アクセス数: 2301000 (2012年9月26日午前9時半現在)

過去4カ月間のページ別アクセス解析

 アクセス数:150,261 訪問者数:104,622

 1.トップページ 4733     2.高句麗文明 935

 3.バックナンバー 420    4.蓼科山登山記録 420

 5.蓼科山登山 山頂360度 パノラマ  291

 6.橿考研 箸墓古墳・西殿塚古墳 3D解析  274

 7.オルセー美術館 (Musée d'Orsay): ドガ 青い踊り子たち 245

 8.オルセー美術館 (Musée d'Orsay): ルノワール ピアノを弾く少女たち 237

 9.オルセー美術館 (Musée d'Orsay): モネ 睡蓮  235

 10.ベルギー・ビールと美味しい料理 銀座・Antworp Six 223

 11.大英博物館: パルテノン神殿彩色時復元  220

 12.済州島 城邑民俗村: 五味子茶(オミジャ) 214

 13.スリランカ紀行(9) 世界遺産シギリアロック キャサパ王の夢 198

 14.日本の家族制度について  197

 15.日本古来の信仰 『高庭』(禁足地)  189

 過去4カ月間の検索ワード解析

  1.蓼科山 402     2.コグリョ  384

  3.スリランカ 274    4.モネ  253

  5.登山  245      6.韓国  225

  7.地図  188      8.睡蓮 185

  9.オルセー美術館 177  10.スペイン 165

 11.シギリアロック 163   12.古墳    161

 13.サグラダファミリア 158 14.世界遺産 155

 15.遺跡  154      15.済州島  154 

 アクセス地域分析

 1.東京  4303(約3割)   2.大阪 1289

 3.神奈川 932   4.愛知  928

 5.長野  840   6.埼玉  571

 7.兵庫  521   8.千葉  490

 9.京都  447   10.静岡 383

  愛知と長野の人々が意外にアクセスして頂いているのが不思議です。特に親類縁者がいる訳では有りません。

 

 

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明日から北海道です

 マイルがたまりましたので、明日から無料の航空券で北海道に出かけます。

 今回は、ついでに、北広島駅発の旭岳のツアーがありましたので、学生時代以来の、旭岳を登ってこようと思います。今年の紅葉は遅いでしょうかね、行ってみないと判りませんね。大学4年生の夏休みに高校時代の親友の樋口さんと二人で登った記憶があります。当時はまだ、ケーブルカーとかリフトとかは存在していなかったと思います。

 先ほど、偶然に彼から電話があり旭岳の事を告げると、山の上でいい温泉に入ったと言ってました。無料だったようですが、果たして何処の温泉だったのでしょうね。我々は、テントを担いで登ってました。

  参考 旭岳の紅葉関連

気温は16度程度で、雨が続いていたようですね。明日以降は天気が良くなると思います。

 孫×3も元気に過ごしているようです。東京土産はヒヨコ菓子を買いました。

 

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スペイン・ポルトガル3200㌔の旅 目次編

 2012年1月~2月の期間、スペイン・ポルトガル3200㌔の旅をして来ました。この記事はその記録です。

 この旅で、多くの事を学びました。300年以上イスラムに支配されたイベリア半島のスペインとポルトガル。中世のヨーロッパが如何にキリスト教に支配された科学の発展が停止した時代であったか。その中で、科学を発展させていたのはイスラムの世界だった。

イスラムがイベリア半島を支配していた時代は奇しくも欧州ではスペイン・ポルトガルが科学技術では最先端を走っていた事を学んだ。これが、私の長年の謎であった大航海時代のパイオニアが何故、ポルトガル・スペインだったかの回答であった。

 日本は戦国時代末期にポルトガル人との接触により多くの事を学んだ、その一番の理解者は信長ではないだろうか。そして、秀吉、家康は海外の国々との交易が如何に大事であるかを理解していた。信長は堺の商人経由及び、ポルトガルの商人・修道士・騎士と会話する事で重商主義を学んだのではないだろうか。

 信長が日本では初めて開始した多くの事業や制度改革、茶の湯や武士道の創設、経済の仕組みのヒントは彼らポルトガルやスペイン人からヒントを受けたのではないかと考えると、今まで以上に信長を理解出来るようになりました。

 ポルトガルの海外展開はテンプル騎士団という修道士であり騎士である清廉潔白な騎士が戦国末期の信長の気質とマッチしたと考えると日本の歴史の解釈も新たな面から眺める事が出来ると、今回の旅で感じた。茶の湯の精神の背景には千利休の役割が大きい、彼の精神はポルトガルのテンプル騎士団の修道士の精神の影響を受けていたと考えると今までと異なる面が観えるようになりました。

 現在でも日本語にポルトガル語は200以上も残っているそうです、是非、一度は戦国末期の日本の先輩諸氏が遭遇した旅、スペイン・ポルトガル紀行をお勧めします。

8か月に渡るスペイン・ポルトガル紀行はやっと終わる事が出来ました。如何に、今回の旅が面白かったを物語っています。

 紀行記

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅 無事帰国しました

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(1) 行程概要

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(2) カタルーニアを語る

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(3) モデルニスモ建築様式

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(4) バルセロナ市内のガウディ

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(5) グエル公園

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(6) サグラダ・ファミリア(聖家族贖罪教会)

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(7) カタルーニアを西進する

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(8) カタルーニアの古都 タラゴナ

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(9) ラ・マンチャ ドン・キホーテの国

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(10) アルハンブラ宮殿 夏の離宮篇

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(11) アルハンブラ宮殿 アラヤネスのパティオ

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(12) アルハンブラ宮殿 ライオンのパティオ

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(13) アルハンブラ宮殿 二姉妹の間

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(14) アルハンブラ宮殿 カルロス5世宮殿

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(15) アルハンブラ宮殿 メスアール宮殿

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(16) アルハンブラ宮殿 バルタル庭園へ

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(17) アルハンブラ宮殿 夏の離宮への道

 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(18) アルハンブラ宮殿 夏の離宮

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天香久山

 今回は、天香久山(あまのかぐやま)について今迄記録して来た事をまとめたいと思います。

  天香語山命と天香久山

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 天香久山は畝傍山、耳成山とセットで語れるヤマト三山として有名ですね。私が未だ解けない謎は神武天皇がヤマトに入る前に天孫族としてヤマトを支配していたニギハヤヒさんの息子の天香語山命(アマノカゴヤマノミコト)と天香久山の関係です。

 天香語山命さんはニギハヤヒさんが天孫降臨する時に同行して降臨しました。即ち、降臨前に天道日女命(アマノミチ ヒメノミコト)さんを母とし、父はニギハヤヒさんでした。降臨後の名前は手栗彦命(タクリヒコ)とも高倉下命(タカクラジ)と呼ばれていたようです。そして、尾張氏の祖となり、異母兄弟のウマシマジは物部氏の祖となりました。

 天香久山の名前はこのニギハヤヒの息子の天香語山命に由来するのではないかと推測しています。彼は父とともにヤマトに入植するが、地元豪族の長脛彦の娘との間に生まれた異母兄弟のウマシマジ(物部氏の祖)が父の死後、母の兄である長脛彦と組んで三輪山山麓を中心に、ヤマトを統治しており、天香語山命は息子の天村雲命とともに、長脛彦と対峙していた葛城氏を監督していたらしい。

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 当時の葛城氏の本拠地は金剛山の中腹、高天の台地付近と考えられている。海抜450㍍程度の高台であり、記紀神話の『高天原』を想起させるような場所です。現在、高天彦神社が近くにあります。一方、尾張氏の本拠地は葛城氏の本拠地の北の位置、金剛山の麓である現在の長柄神社付近と考えられ高尾張邑(たかをはりむら)とよばれており、そこに天香語山命は拠点を置いたそうだ。葛城氏は本来は土着の豪族だったが、天香語山命の子孫や尾張氏と婚姻関係を結び家格をあげてゆき、遂に天皇家と婚姻関係を結ぶレベルに成長した。

 葛城氏と言えば、鳥越憲三郎さんの『葛城王朝』論を思い出します。鳥越さんは、神武天皇から欠史八代と言われる天皇は存在したという立場であり、崇神王朝以前に葛城地方を拠点にした王朝であったが、崇神さんに滅ぼされたか又は、王朝が並立したという仮説である。しかし、その後、河内王朝を樹立させた神功皇后・応神天皇からの河内王朝はこの葛城王朝の末裔と結託し瀬戸内海航路の制海権を握りヤマトを制圧したと考えられています。

事実、河内王朝の皇后は殆ど全てが葛城氏出身であります。(神功皇后も母は葛城氏でしたね、父は息長氏)。

 参考 葛城 一言主神社 その1(鳥越憲三郎さんの葛城王朝論)

 このように考えると、天香語山命の子孫は葛城氏、尾張氏として存続し、崇神王朝に代わり河内王朝を樹立した大事な氏族であった事になります。河内王朝の頃からは、多くの渡来系氏族を集め最先端の文化・文明を育んだ。河内王朝のあと、継体天皇が新しい王朝を開基しましたが、彼も息長氏の系統ですから葛城・尾張と同族に近い関係だと思いますので、體を継いだ大王と言う意味で継体という名前を奈良時代に命名されたのでしょうね。

 天香久山はヤマトそのもの

 天香久山はどうも、ヤマトを代表する土地であるという信仰が存在したようです。例えば、崇神天皇の時に山背のタケハニヤスと古代最大の戦争ではないかと、森浩一さんは言っていますが、崇神とタケハニヤスとの戦争が起こりました。その時に、タケハニヤスの奥さんのアタヒメ(阿多隼人の媛)も戦闘を指揮します、その時に彼女は天香久山の土を採り、ヒレ(スカーフ)に包み呪いをかける場面が記録されています。

 天香久山の土はヤマトそのものの地霊であると考えていたようです。この話は以前、記事にしました。

 参考 地霊信仰(2010年8月28日記事)

 その他、天香久山の金を使用し矛を作成したという記事も存在しているようです。天香久山は耳成山や畝傍山と異なり火山の山の裾野に位置していますね。火山性の山のようです。製鉄に関わったニギハヤヒの息子である天香語山命はまさに、鉱山に関わる金属加工のテクノクラートであった筈です。彼らが、最初にヤマトに入植した時に天香久山が鉱山として重要な山である事を見つけたのでしょうね。だから、彼の名前を山の名前にした可能性はないでしょうか。

 注: 天香久山の香久=カグ は古代では鉱山を意味する言葉であったとされています。ちなみに、かぐや姫伝説の場所は、私の故郷の近くの大住隼人の隼人荘が舞台だそうです。

 参考 秦氏に関するメモその2 香春岳と天香山(2010年6月26日)

 この山が特に注目され始めるのは天武・持統天皇が藤原宮を大和三山に囲まれる真中に建設した時から顕著です。天武さんは、当時の東アジア情勢を見極め、中国の中央集権国家の出現をあらゆる意味で参考にしたんでしょうね。都は聖なる三山で囲まれるという思想も、元はと言えば中国ですね。

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北イタリア紀行 その5 パルマ

 承前 北イタリア紀行 その4 チンクェ・テッレ 愛の小路篇

Photo  チンクェ・テッレから東北にバスで125㌔走るとパルマに到着です。生ハムやパルメザンチーズで日本でも有名ですし、サッカーの中田英寿選手がセリアAで、数年間所属していたチームの拠点でもありました。

今回は、旧市街見学で大聖堂(ドゥオモ)と洗礼堂を訪問しました。

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 12世紀にロマネスク様式で建造された大聖堂で『Duomo』と呼ばれています。この教会で一番人気は1526年~30年にコレッジョがフレスコ画として天井に描いた『聖母被昇天』の迫力あるらせん状に天国に召される聖母の絵です。

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 また、ベネデット・アンテーラミの『キリストの十字架降下』も有名です。

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 詳しくは、写真集に記録してありますので、そちらを参照して下さい。

 マイフォト イタリア パルマ 大聖堂(ドゥオモ)&洗礼堂 写真集

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二カ所に鳥見山が存在

 私が馴染の鳥見山は桜井の外山(トビ)で桜井(外山)茶臼山古墳が丘尾に存在する鳥見山です。しかし、もうひとつ、宇陀に鳥見山が存在しています。

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 鳥見山は最近思うに三輪山よりも古代史を考える上で重要な山ではないかと考えるようになりました。その理由は、色々ありますが、先ず、以下の2点が重要事件だったと考えるからです。

 ① 日本書紀の記述で神武天皇紀4年春2月の条

  乃(ち)立(たてる)霊畤(まつりのにわ)於鳥見山中。其地号曰上小野(かみつおの)榛原(はいはら)。下小野(しもつおの)榛原(はいはら)。用(もて)祭(まつる)祖(みおやの)天神(あまつかみ)焉。

  神武天皇は長脛彦を滅ぼし、奈良盆地を制圧し安定すると鳥見山の榛原に皇祖天神を祭られたと記録されています。霊畤(まつりのにわ)は奈良県宇陀郡榛原萩原であると考えられています。現在、鳥見山公園に鳥見山中霊畤跡として、東西70㍍、南北40㍍の楕円形の場所から多数の祭器の破片が出土しているそうです。

 ②先代旧事本紀によれば、饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)が降臨した場所

 巻第5 天孫本紀(あめみまのもとつふみ)によれば、『天の磐船に乗りて天降りて、河内国の河上の哮ケ峰(いかるがのみね)に坐す。則(すなわ)ち、遷(うつ)りて大倭(やまと)国、鳥見(とみ)の白庭山(しらにわのやま)に坐(いま)す。

 と記録されております、最初は淀川支流の天の川の上流の交野の現在の磐船神社があるあたりに降臨(私の解釈は船で着いたという意味)され、そのあと、大倭国(やまとのくに)の鳥見の白庭山に遷坐されたようです。

 神武天皇は長脛彦を殺し、神武天皇より先に天孫族としての先輩である饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)が現地の長脛彦の妹と結婚し子供(宇摩志麻遅命)まで作り、国を治めていた場所に侵入者として入植した訳です。そして、神武さんは大王として君臨しようとしたが、先輩のニギハヤヒさん(既に亡くなっていました)や息子のウマシマジを疎遠に扱う事が出来ずに側近の重要な立場に着かせたと思います。

 私はどちらの鳥見山でもいいですが、やはり丘尾を切断して巨大な前方後円墳である桜井茶臼山古墳や西南に同じく巨大な前方後円墳であるメスリ山古墳が存在する桜井の外山(トビ)に愛着があります。此の地は磐余(イワレ)という場所も近く、神武天皇がイワレヒコと呼ばれる事からも外山の鳥見山を重要視します。 

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第14回 『G4の会』 寸又峡温泉と大井川鐡道蒸気の旅 目次編

  2012年4月に、第14回 『G4の会』温泉と山歩きを楽しむ会の合宿が開催されました。今回は寸又峡温泉と蒸気機関車で有名な大井川鐡道の蒸気の旅を楽しみました。

 まさに、桜満開の大井川堤防に沿って走る蒸気機関車の旅は至福の時間でしたね。子供の頃の蒸気機関車の時代を思い出しながら、爺さん4人で酒盛の旅となりました。

 第14回 『G4の会』無事開催されました

 第14回 『G4の会』温泉と山歩き(1) 寸又峡温泉 外森山遊歩道

 第14回 『G4の会』温泉と山歩き(2) 寸又峡温泉 夢の吊り橋散策

 第14回 『G4の会』温泉と山歩き(3) 大井川鐡道蒸気の旅 金谷→奥泉篇

 第14回 『G4の会』温泉と山歩き(4) 大井川鐡道蒸気の旅(続篇)

 

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スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(52) マドリッドその2 ソフィア王妃芸術センター

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(51) マドリッドその1 王宮ほか

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 (プラド美術館 ゴヤの像)

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 マドリッドと言えば、プラド美術館です。半日以上、この美術館で過ごす事が出来ました。

 プラド美術館ホームページ(英語版)

 コレクションの基礎はフェリペ2世とフェリペ4世が築いたそうです。ベラスケス、ゴヤ及び、フランドルやイタリアの絵画も豊富に収蔵されている。ルーベンスもそうですね。

 この美術館は撮影禁止ですので、写真を掲載する事が出来ません。この美術館を観賞すると歩いて行ける距離にピカソの『ゲルニカ』を始め、ダリやミロといった近代美術品を収蔵したソフィア王妃芸術センターがあります、此処も必見ですね。此処は、『ゲルニカ』以外は撮影可能でしたので、写真集にダリとミロの絵画を収録しましたので、参照して下さい。

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 (サルバドール・ダリ 『偉大なる手淫者』)

 マイフォト ソフィア王妃芸術センターとプラド美術館 写真集

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 (サルバドール・ダリ 『窓際の女性』)

そういえば、昔パリのモンマルトルの丘の上にダリ美術館があり、息子達と家族で訪問した事がありました。

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最近思う事あれこれ・・・・

 毎日の洗濯干し

 私の分担は息子や我が家の食事の用意と洗濯物を干す仕事です。洗濯は家内が洗濯屋さんで十数年以上プロとして働いているので、私が担当出来ない。私の役目は干す仕事です。夏の期間は女性にとりベランダやバルコニーに出て、太陽を身体に受けるのはお肌に良くないですよね。という訳で、爺さんが担当する訳です。帽子を被り、手ぬぐいを首にかけて直射日光を避ける工夫が必要です。

 たった三人しか生息していない我が家ですが、毎日何故か多量の洗濯物があるのが不思議なんです。私が毎日、4回程度はシャワーを浴びるので、手ぬぐいや下着の洗濯ものがでるのも原因だそうです。私も家内もエアコンがあまり好きでないので、我が家では殆ど日中も使用しません。マンションの三方向から風が入るので、それで我慢しています。

 来週木曜日から又、北海道の孫に会いに行きます。という訳で、家内が新横浜のサッカー場の蚤の市で買い集めた孫達の古着を洗濯しています。毎回、山ほど孫の古着を持参するのですが、娘はファッションに煩く、なかなか気に入る服しか着せないのです。何せ、男前の孫×2ですからね。着る物が無かった戦後間もない世代としては、孫に少しでも着る物を持って行きたいと願う婆心少しは理解出来ますね。

 と、無駄な孫用の洗濯ものを毎日干しています。

 え~男性に洗濯物を干させるとロクな事は無いと思いの女性諸君、私は、女性諸君には負けないチャンとした干し方をしていますよ。

 男の引き際

 朝ドラで大好きな、頑固な親爺さん、昨日、3年間米国留学を終えて帰国した医者の成果発表のあとの黒板を一人眺め物想いにふけるシーンがあり、感動を受けていました。このドラマの作者は意外と、現役を引退した人間の深層心理を何故判るのか?そのあと、の番組ではこのシーンに対してコメントする若者は存在しなかった。今日、親爺さんは名誉教授の職を受けない、若者の活躍の場を与えたいという、男らしい、本田宗一郎のような引け際に感動していた。

 男と言えば、高倉健、最近テレビでは彼の最近の映画やNHKではキワドイインタビューで迫る番組が多く観られた。彼は男として、何処か、親爺の姿と重なる部分が多く、九州男児の面影が残る所が大好きです。大昔、職場に高卒の若い部下が配転して来ました。彼は高倉健の大ファンでした。心底、惚れている感じでした。私のような関西人には高倉健のような九州男児の真似は出来ないが、私の父親の血は九州佐賀の海賊の血が流れている、私も世界を股にかけた海賊の子孫だと、常に意識して今迄生のびて来ました。

 政治家の引き際はどうなんでしょうか。

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スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(51) マドリッドその1 王宮ほか

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(50) 世界遺産 セゴビア旧市街(2)

 世界遺産の街、セゴビアから車で100㌔、遂に今回の旅の最後の地であるスペインの首都マドリッドに到着しました。まさに、七つの海を支配したスペインは新大陸からもたらせる富により栄えました。今回は市内観光と、王宮の御紹介です。

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 インデペンデンシア広場にあるアルカラ門です。カルロス3世の凱旋を記念して建造された凱旋門です。

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 女神シベーレス噴水と背景は旧中央郵便局の建物です。現在はマドリッド市庁舎となっています。

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 王宮です。衛兵交代儀式を観る事が出来ました。

 詳しくは、写真集を参照して下さい。

 マイフォト マドリッド王宮その他写真集

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饒速日(ニギハヤヒ)伝承

承前 太陽神と斉王の制度

 最近、『物部氏の伝承』(畑井 弘)三一書房1998年7月初版 を読んでいるのですが、難しくて何度読んでも、ボンクラな頭では理解できないでいる。ただ、ニギハヤヒとその息子のウマシマジノミコトに関して、及び、桜井茶臼山古墳の存在する鳥見・鵄・外山に関する考察が面白くてメモを残すことにした。

 ニギハヤヒノ息子ウマシマジノミコト

 一般に、ニギハヤヒが長脛彦の娘であるトミヤスビメ(登美夜須毘売)との間にウマシマジノミコトが授かった事は誰でも御存知ですね。物部氏の祖はニギハヤヒという説と、このウマシマジノミコトという説がある事も有名な話です。問題は、畑井さんは『古事記』の記述である、可美真手命(今まで一般的には書紀の宇摩志麻遅命の記述や先代旧事本紀での宇摩志麻治命の記述から可美=ウマシと読んでいた)の読み方に異論を唱えています。

 可美とはカミで朝鮮語で剣の事を指すそうであり、カルも同じ朝鮮語では剣や刀を指す言葉だそうです。そういえば、以前に記録した秦氏の故郷である宇佐地方での鹿春や香春神社・香春岳と採銅所の新羅系の鍛冶神について、渡来系の人々が鍛冶神をカルと呼んでいた事を思い出しました。ヤマトでも軽(カル)という宮都名が残っていますね。

 参考 秦氏に関するメモ(目次編)

畑井さんの仮説によれば、日本語における「神カミ」は朝鮮語の「剣」を神霊ととする鍛冶王的な首長によって持ち込まれたものであり、軍事的に征服戦争を繰り広げたヤマト大王権の発展過程で生み出され作りあげられていった古語であると述べる。即ち、神秘的な光を放つ剣の金属呪力を信仰した古代人の「韴霊(フツノミタマ)」信仰を示す古語であるとする。このような観点から、「可美」「甘美」は、その聖なる神威からやがて、美称的な「ウマシ」と訓みかえられるようになったと考える。

 まとめると、本来は「韴霊(フツノミタマ)」と同義の「カミ、剣」の表音表記であると結論する。

 真手・麻遅・麻治・真治は槌である

 それでは、ニギハヤヒの息子のウマシマジノミコトの正体は何でしょうか。名前の真手・麻遅・麻治・真治に決めてがあるようです。マジ・マデ・マテを朝鮮語で置換すると槌、とんかち、大きなハンマーという意味だそうです。とすれば、可美真手命とは鍛冶道具の槌に象徴された鍛冶神の事であり、鍛冶氏族の祖霊「剣」となる。従い、可美真手命という名前は一般名詞であり全ての鍛冶技術者集団の守護神であった事を意味しています。

 登美毗古(トミヒコ)とは誰だ

 書紀ではウマシマジノミコトのお母さんは長脛彦の妹と記述されているが、古事記では登美毗古(トミヒコ)の妹である登美夜毗売(トミヤヒメ)と記録されています。畑井さんの仮説では、長脛彦は蛇と銅鐸を崇める一族であり、新しい鍛冶集団ではないと述べる。彼の根拠は、長=Na Ga ナーガ 蛇神を意味し、脛=朝鮮語ではスネは鐘+邑=銅鐸作りの村という意味だそうです。蛇神を崇敬し銅鐸を製造する集団という事になります。そういえば、三輪の神は蛇神でしたね。ナーガというのは私もカンボジア紀行をした時に頭が幾つもある蛇神=ナーガと出合いました。

  参考 アンコール ワット・トム遺跡の旅(2007年) 目次編

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太陽神と斉王の制度

 承前 ヤマトタケルに関するメモ

 前回の記事ではヤマトタケルに関するメモを残しました。ヤマトタケルに『叢雲剣(むらくものつるぎ)』を渡したのは伊勢神宮の斉王の初代と考えられる倭姫命(やまとひめのみこと)です。実はこの行為そのものが、卑弥呼さんの時代から綿々と継続していた巫女女王と政治を行う男弟(だんてい)王の形態を示していると考えています。

 魏志倭人伝で述べる倭国の国の体制は頂点に巫女女王が君臨し男弟王が巫女女王のお告げで政治を行う形態でした。此れは、長江流域の南方系の政治形態であり、近世まで例えば沖縄では聞得大君(きこえのおおきみ)と男弟王の関係がまさに、古代の倭国の国のかたちでした。それは、母系社会であり、刺青をする風習を持ち、南方でしか取れないゴホウラの貝輪を腕につけ、巫女さんも刺青をする風習でした。

 弥生時代から古墳時代がはじまる頃までは古墳に埋納される神器は鏡であり貝輪であり、呪術的なものが中心でした。多分、長江流域から東シナ海から朝鮮半島南部の、馬韓・弁韓・辰韓も九州の人々も全て同じような文化を共有する倭人だったと思います。倭国では南九州の薩摩半島あたりにこれ等の文化・文明は到着し、隼人や安曇族・宗像族・和邇族という海人(あまのひとびと)が中核となり、北九州から日本海を北上して文化・文明を伝えた。又、瀬戸内海を東に伝播させた海人達がおりました。

 しかし、4世紀の頃に朝鮮半島でも北方遊牧民特に扶余族が南下を始め、海洋民族の馬韓・弁韓・辰韓を北方から攻める事になりました。これが、後の百済・高句麗・(新羅)と呼ばれる遊牧民です。元来、南朝鮮半島に住んでいた人々は九州と同じく甕棺墓を特徴とした人々なんですね。そして、日本列島にもこれら北方遊牧民の文化が押し寄せる事となりました。

 『記紀神話』の基盤になるものは南方の長江流域の文化・文明ですが、しかし、その上に有る時期から北方系の天孫降臨のような文化・文明がかぶさるよになりました。天照大神は長江流域の海洋文化の神ですが、高皇産霊神(たかみむすびのかみ)は北方遊牧民の神であります。

 『記紀』が述べる、崇神天皇の時に実は、この南方系の太陽神である、アマテラスが放逐され、北方遊牧民の神が採用されたのではないかと考えるようになりました。時代が、崇神さんの頃かどうか判らないが、南方系のアマテラス太陽神は豊鍬入姫命に託し笠縫邑に皇居から追い出した。そして、アマテラスの御霊は二十年以上流浪の旅を行い、ヤマトタケルに神宝剣を授けた倭姫命により伊勢神宮に落ち着く事になったのです。

 考古学から言えば、前方後円墳に埋納される神器が突然に武器に変化した頃がこのアマテラスが放逐された時期ではないかと考えています。巫女女王が国を支配する時代ではなく武力により国を統治する北方系の男社会になった時であると考えます。倭姫命は卑弥呼の時代のアマテラスが神として崇敬されていた時代の巫女女王のカタチを斉王という形で残したのではないでしょうか。

 ヤマトタケルを次世代の王として指名し、『天叢雲剣』を授けたのは古代の卑弥呼の時代に戻そうとする戦いだったと思います。ヤマトタケルはそれを受領した事が、景行天皇の逆鱗に触れたのでしょうね、義経が頼朝に無断で天皇から官位を受けたのと同じではないでしょうか。父である景行天皇の逆鱗を知り、ヤマトタケルは神宝剣を倭姫命に返却し畿内に入ろうとしたが、義経が鎌倉に入れなかったと同じではないだろうか。

 倭姫命にも具体的には勝算が存在していたと思います。彼女の経済・武力の背景はヤマト王権や近江王権に匹敵するタニハ王権(昔の丹波・丹後の国 独立国だったと想定されます)が背景にありました。元伊勢の籠神社(このじんじゃ)には国宝の『海部氏系図』が残されている事でも如何にこの丹後半島・丹波の地が製鉄でも海外貿易でも栄えた国だったかが偲ばれます。

 

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お伊勢さん参拝記 目次編

  伊勢神宮は皇祖神である天照大神をお祭する重要な神社で有ります。しかし、この神社は謎の多い神社として歴史家・考古学者には知られています。私も小学6年生の修学旅行で訪問した聖地である訳ですが、65歳になっても新鮮な神社であると思います。

 ・お伊勢さん参拝記(1) 伊勢神宮の謎

 ・お伊勢さん参拝記(2) 豊受大神宮(外宮)

 ・お伊勢さん参拝記(3) 皇祖神二柱の謎 

 ・お伊勢さん参拝記(4) 皇祖神二柱の謎 続編

 ・お伊勢さん参拝記(5) 皇大神宮(内宮)参拝

 ・お伊勢さん参拝記(6) 猿田彦神社と佐瑠女(さるめ)神社

 ・お伊勢さん参拝記(7) 二見ヶ浦の神々

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タニハ(丹波)は独自の王国だったか 目次編

 丹後(丹波)王国論で有名な門脇禎二さんの説の御紹介と、森浩一さんとの会話をご紹介します。大陸との日本海航路では丹後半島が重要な役割をしました。

・タニハ(丹波)は独自の王国だったか(1) 出雲と越に挟まれて 

・タニハ(丹波)は独自の王国だったか(2) 紀年銘銅鏡の出土

・タニハ(丹波)は独自の王国だったか(3) 竹野潟湖復元と遺跡群

・タニハ(丹波)は独自の王国だったか(4) タニハの都の変遷

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日本百名山 吾妻山登山を計画する

 昨夕は、久しぶりに『G4 温泉と山歩きを楽しむ会』の宴会が神楽坂で開催された。

宴会場所は、神楽坂の『梵』でした。生憎、宴会の始まる6時前頃から雨が降り始めた。

 『日本百名山 吾妻山登山を計画する』

 以前、『G4』では安達太良山を縦走する合宿を挙行しました。今回は、磐梯山か吾妻山という事になりましたが、取りあえず、西吾妻山を登山する計画を詳細化する事になりました。時期は10月中旬を計画中。

 ・東北新幹線 東京駅 午前7時12分発『つばさ123号』

  米沢駅着 9時28分着

 ・米沢駅 タクシー 

    米沢駅→白布峠口 (45分タクシー) 10時15分 白布峠口到着

    タクシー関連情報

 ・登山開始

   白布峠→(1時間15分)馬場谷地→(2時間)西大嶺(1981㍍)→(1時間)西吾妻山(2,035㍍)→梵天岩→大凹の水場→中大嶺(1963㍍)→北望台→(登山リフト)→天元台高原→リフト→湯元駅

     白布峠→西吾妻山 約4時間半程度か午後3時までには西吾妻山到着予定

   北望台→天元台高原リフト情報

   ロープウエイ・夏山リフトの営業は10月21日迄だそうで、ぎりぎり大丈夫

   北望台最終は午後4時です遅れないように 少し厳しい行程かも

 ・登山地図

    吾妻連峰概念図

    西吾妻山概念図

 ・登山参考記録

    ヤマレコ

    もう一人

  どうもこのルートは藪こぎが多く、好まれない登山ルートである可能性がありますね。

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ヤマトタケルに関するメモ

 今年の夏に古市古墳群にある白鳥陵を参拝したり、先日は息長氏の故郷である近江(淡海)の伊勢遺跡を歩いて来た。本日、畏友の京都のMuBlogの爺さんがヤマトタケルの能褒野墓に関する参拝記事があり、私も何かメモを残そうと考えた。

 MuBlog 景行天皇皇子・日本武尊・ 能褒野墓

 参考 ヤマトの崇神王朝と近江の王朝は並立していた(2011/4/23日記事)

 参考 古代史・民俗学関連読書メモ(宮崎市定さんの古代大和朝廷)2010/9/21記事

 ヤマトタケル物語は日本が世界に誇る文化遺産、大叙事詩だと思います。何処か、義経の歴史と重なる所が有り、日本人が愛してやまない所があります。父である景行天皇から命令され、九州の熊襲タケルを女装して謀略殺害し、出雲タケルもだまし討ちで殺害し出雲を平定する。そして、今度は東国の蝦夷を平定にでかけ困難な戦いにも何とか成功し、やっと故郷のヤマトや河内に帰れるところで、鈴鹿の山の神に殺され、無念にも魂は白鳥となり、葛城の琴弾原に舞い降り、又、飛び立ち河内の古市で舞い降り(白鳥陵)、そして、何処かに飛び去ったという悲劇の皇子として語られている。

 この物語には大変重要な歴史の真実が隠されている可能性があるのではないかと、子供の頃から考えています。今だ、解明されていないのですが、何か昔から疑問が多く存在していました。

 ・皇室の三種の神器の二つが皇居に存在しない

 草薙(くさなぎの)剣=天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は熱田神宮に、八咫鏡は伊勢神宮に保管されている。皇居には八尺瓊の曲玉が保管されている。古来、何故、三種の神器が皇居に存在しないのかが謎であります。同時に、皇祖神である天照大神を何故皇居で祭らずに遥か離れた、皇室とは縁もゆかりもなかった伊勢神宮で祭られているのか。

 ヤマトタケルはこの神剣を授けられ、神宝の名前が彼が具体的に戦闘を行った行為になぞらえて、『草薙剣』と命名された。この皇室の神宝に具体的な成果をもたらせたのはヤマトタケルであった。元来は、スサノオが出雲でヤマタノオロチを退治した時に尻尾から出現した剣であり、オロチの天空には何時も叢雲が湧いていたので、叢雲剣と呼ばれていたという。

 ・神宝の剣を授かる事は天皇であった事ではないか

 ヤマトタケルが熱田神宮より神宝剣を授かったという事は、天皇の位についた事を意味しているのではないだろうか。『常陸国風土記』では倭建命(ヤマトタケルのミコト)と記録され、『阿波国風土記』でも倭建天皇と記録されている。

 ・何故、魂は白鳥となり葛城・古市へ飛翔したのか

 5世紀の古墳には水鳥の埴輪が出現してきます。

 参考 近つ飛鳥博物館(水鳥埴輪)

 ヤマトタケルの心は何が何でも葛城の琴弾原と河内の古市に帰還したかった理由はなんだろうか。彼の母は確か播磨国の人だったと思います、古市のあとは、播磨に飛んで行ったのだろうか。しかし、ヤマトタケルを支持する人々が葛城と河内に存在した事は確実なんでしょうね。

 

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北イタリア紀行 その4 チンクェ・テッレ 愛の小路篇

 承前 北イタリア紀行 その3 チンクェ・テッレ ヴェルナッツア篇

 ヴェルナッツア駅から再度電車に乗り南に、チンクェ・テッレの4番目の村、マルナーラ駅を目指します。マルナーラ駅と5番目の村、リオマッジョーレ駅を結ぶ断崖の海岸線の道は『愛の小路』「Via dell'Amore」と呼ばれています。

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 この美しいマナローラの断崖の町、リグリア海に面し輝く海に囲まれています。人々は、大昔から断崖の岩を砕き、猫の額のような土地を開拓しブドウを植えて生きてきたそうです。壮絶な生活だったという、陸路は無く船が交通手段だったという。

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 マナローラとリオマッジョーレを結ぶ断崖の道、『愛の小路』は写真集を参照して下さい。

 マイフォト 世界遺産 チンクェ・テッレ 『愛の小路』「Via dell'Amore」写真集

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北イタリア紀行 その3 チンクェ・テッレ ヴェルナッツア篇

 承前 北イタリア紀行 その2 金融王国 ジェノヴァ

Photo  ジェノバから海岸線を南に80㌔バスで走るとレバントの駅に到着します。此処から世界遺産チンクェ・テッレ(5つの土地という意味)を見学に行きました。5つの町は海岸に沿って、西からモンテロッソ・アル・マーレ、次が一番有名な美しい岬があるヴェルナッツア、三番目がコルニリア、四番目がマナローラ、この駅から断崖に沿って愛の小路をリオマッジョーレまで歩きます。

 鉄道ファンにも人気のある美しい地中海に面する村が人気です。岩盤の断崖を切り開き、ブドウ畑を作り人々は必死で生きて来た歴史を垣間見る事が出来ます。今回は、先ず第二番目の駅にあるヴェルナッツアをご紹介します。此処が一番人気が有ると思います。

 その前に、私と同じような年齢の人ならば、チンクェ・テッレという言葉を聞けば、青春時代の思い出の歌と歌手を思い出しますね。そうです、イタリアのロメオとジュリエットで有名な土地で生まれたジリオラ・チンクェッテイです。私が18歳で彼女は16歳の時に歌った『Non ho l'età』、ユーチューブに有りました。

 ジリオラ・チンクェッテイ Non ho l'età』 YouTube

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マルコーニ広場の岬です、最近、イタリアの世界遺産でも人気がある場所だそうです。

 詳しくは、写真集を参照して下さい。

 マイフォト 世界遺産 チンクェ・テッレ ヴェルナッツア写真集

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ニギハヤヒ(饒速日命)に関してメモ

 今日は早朝から昼過ぎまで私のブログはアクセスが出来ない状況が連続していました、私の責任ではないですが大変申し訳ありませんでした。

さて、今回は、日頃気になっている事について、特に、ニギハヤヒという神は物部氏の祖の神だと考えていますが、少し、ニギハヤヒの神話を整理してみたいと思います。

 ・『日本書紀』の記述

  神武東征より昔の時代にニギハヤヒは天照大神から十種の神宝を授かり、天磐船に乗り私の故郷の交野(肩野物部氏の故郷)の現在の磐船神社の地に降臨し、その後、大和の磐余(イワレ)の鳥見山の白庭に移られた。(桜井のトビの桜井茶臼山古墳か)

 ニニギの天孫降臨とは別系統の神話と考えられ、ニギハヤヒは物部氏の祖であると『書紀』は記録している。

 ・『古事記』の記述

 神武東征神話において大和地方の豪族である長脛彦が奉じる神としてニギハヤヒは登場する。長脛彦は神武と戦い敗戦し殺される。ニギハヤヒは長脛彦の娘であるトミヤスビメ(登美=鳥見、夜須毘売)を妻として息子であるウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)を授かる、この息子が物部連、穂積臣、采女臣の祖であると記録している。

 ・『先代旧事本紀』の記述

 物部氏の歴史書と呼ばれる本j資料では、ニギハヤヒはニニギのお兄さんである、天火明命(アメノホアカリ)と同じ人物であると説明している。

 天火明命を祖とする氏族には海族と呼ばれる海洋民族が全てその祖を天火明命としているのが特徴で、有名な元伊勢の国宝の『海部氏系図』の籠神社の社家である海部氏や尾張氏や住吉神を奉じる津守氏や安曇氏も天火明命を祖としている。

 どうも、皇祖神としては天武天皇の頃まではアマテラスは皇祖神としては認めて貰っていないのではないかという研究者が多い。第10代崇神さんの頃からアマテラスさんは日本中を流浪し、天皇のお膝元には戻れずに皇室とは縁もゆかりも無い伊勢に落ち着いている。雄略さんの頃からではないでしょうか、皇祖神と認められたのは壬申の乱で勝利した、海族の名前を持つ、オオアマノオウジ(天武天皇)からである。

 不思議なのは、皇祖には二系統が存在している、即ち北方遊牧民系の垂直降臨神話系統のタカミムスビ(高皇産霊神)と水平神話系統即ち海の彼方から神が到来する神話系統の天照大神、即ち太陽信仰である。結論から言うと、元来は太陽神の水平系神話を皇室は保持していたが、記紀が記述される時代に水平から垂直に書き直されたのではないかととも考えられる。

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スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(50) 世界遺産 セゴビア旧市街(2)

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(49) 世界遺産 セゴビア旧市街(1)

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 16世紀建立のセゴビア大聖堂です、スペインの大聖堂の中の貴婦人と呼ばれる程美しく上品な建物だと呼ばれています。

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 塔の中の貴婦人と呼ばれるサン・エステーバン教会です、6層の鐘楼が美しいです。

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 ベラクルース(聖十字架)礼拝堂です。2世紀(108年)にテンプル騎士団により建立され、秘密の儀式が行われていたようです。

 マイフォト 世界遺産セゴビアの聖堂とアルカサール(城) 写真集

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