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近江(淡海)の伊勢遺跡

 承前 明日から京都です(近江の伊勢遺跡プロローグ)

Photo

 遂に、近江(淡海)の野洲川流域&霊山、三上山(近江富士)の麓に栄えた古代の都の一つである伊勢遺跡を訪問する事が出来ました。

参考 守山市 国史 伊勢遺跡解説(守山市教育委員会)

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 この遺跡は守山市伊勢町・阿村町・栗東市野尻にかけて東西約700㍍、南北約450㍍の楕円形に広がる弥生時代後期の遺跡である。集落は縄文時代から始まり、室町時代まで営まれた集落だが、紀元後1世紀から2世紀の弥生時代後期に最も栄えたと考えられています。

 最大の特徴は遺跡の中央に重要な大きな建物群が存在し、その廻りを円周形で18㍍間隔で約30棟の伊勢神宮本殿のような建物が存在した事である。即ち、梁行1間×桁行5間(4.5㍍×9㍍)の建物で独立棟持柱(どくりつもなもちばしら)を持つ伊勢神宮と同じ構造である。独立棟持柱とは建て物壁の外数㍍に屋根の棟柱を支える柱の事ですが、同時に、屋内の中心にも心柱が存在しています。

 参考 円周状配置の大型建物群(守山市教育委員会)

 サークル状に伊勢神宮の本殿のような建物が30個並び、中心に又、大型の祭祀用の建物群が存在する事は今迄、私も吉野ヶ里遺跡や唐子・鍵遺跡では見る事が出来なかった30の国々の代表が此処に終結し共同で誰かを推戴し祭祀をしていた遺跡ではないかと思いたくなりました。

 守山市教育委員会の伊勢遺跡に関する公開資料を是非参考にして下さい。

 ・弥生時代後期の巨大集落

 ・次々と発見される大型建物群

 ・弥生の国の中心部を考える遺跡

 ・東西日本の結節点

 ・多種多様な大型建物

 ・五角形建物

 ・大型建物の柱穴の掘り方

 ・旧河道と琵琶湖

 ・国の成り立ちを探る遺跡群

 100次以上の発掘調査により明らかになったこの遺跡の重大さはまさに、吉野ヶ里や唐子・鍵遺跡に匹敵する重要な遺跡である事が判ります。この伊勢遺跡だけでなく、野洲川流域には沢山の重要な遺跡が集中しています、もう既に土地開発がされてしまい、今はもう手遅れの遺跡が多くあるようです。本当に残念ですね。

 参考マイフォト 近江(淡海) 伊勢遺跡写真集

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 今回は伊勢遺跡だけの見学でしたが、今後、三上山(近江富士)の巖座や御上神社や、銅鐸博物館、野洲川河口の埋蔵文化財センター、兵主神社、服部遺跡、草津の穴村町の三大神社、等々を歩いてみたいと考えています。

 私の今回の印象は近江富士が奈良盆地纏向の三輪山と同じ、磐余の鳥見山と同じ、太陽が昇る聖なる山と祭祀した聖なる場所と感じた。又、土地は東から西に傾き、同時に南から北に傾いているので、野洲川の巨大な伏流水を取り込み縦横に清流の流れを持つ水の都である事が、纏向や明日香ともおなじである事を理解した。

 西の太陽が沈む彼方には日枝山(日吉山、比叡山)が位置していました、まるで奈良の三輪山に対する二上山のようでした。守山市南部は物部郷が存在した場所だそうですし、このあたりは息長氏の本拠が存在した場所でもあります。そして、多くの渡来系の主にアメノヒボコ(ツヌガアラシト)系統の伽耶系の渡来人が拠点を構えた場所でもあります。

 幸い、伊勢町には私の義理の妹家族が住んでおりますので、今後はもっと詳細な調査が出来ると思います。

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