明日から京都です
連日猛暑が連続しています、暫くこの暑さも続くようですね。明日から、用事が有り京都に帰省いたします。
暇があれば、最近研究している野洲川流域、三上山(近江富士)の古代史を現地で調べてみようと考えています。
野洲川流域には弥生時代の吉野ヶ里遺跡や唐子・鍵遺跡に匹敵する環濠集落遺跡が沢山存在し、邪馬台国近江説まで登場する場所であります。特に守山市の伊勢遺跡は注目されています、直径200㍍の円周上に30箇所、建物が存在していた遺跡が注目されています。しかも、伊勢神宮の建築様式に先行する建て物として注目されています。
詳しくは、何れ記事を書く積りですが野洲川流域に聖山である綺麗なピラミッド形のまるで、三輪山のような三上山(近江富士)が存在する事です。この地域からは日本最大の銅鐸が出土した事でも有名ですし、古代、野洲川はエジプトが「ナイルの賜物」と呼ばれたように、「野洲川の賜物」として日本最大の穀倉地帯としての地位でありました。
しかも、琵琶湖の水運により日本海経由で大陸との交易路が開け、陸路では北陸・東山・東海に陸路は連なり、木津川経由で奈良盆地へ、淀川経由で瀬戸内海への水運がひらけていました。また、渡来系の人々が弥生時代から入植していた可能性が高く、且つ、製鉄に従事する人々も琵琶湖西岸の高島地域や東部北部に拠点を構え、継体天皇出現の背景となった事や、その前の歴史ではオキナガタラシヒメの父親である息長氏の拠点は草津だと考えられています。アメノヒボコ伝説も残る場所です。
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Comments
JOさん、いろいろ世話になりました。
さて、琵琶湖行は、一度で完全走破せずじっくりとお願いします。
「む」もこのところ多少行事が多く、今回のJO翁帰京には参内できませぬが、またいずれ。
しかし、三上山はJO翁が、なんど登ってもよいとおもいますよ。
ともあれ、邪馬台国前史が琵琶湖全周域に広がる予感はずっといたしております。これだけの美しく巨大な水瓶を当時も今も、放っておくのは信じられない愚行です。
アステカの都テノチテトランがテスココ湖上にあったように、梁山泊が湖上の城だったように、邪馬台国前史は琵琶湖上あるいはその周辺に痕跡を止めているはずです(お笑い古代予言史)。
Posted by: む | 2012.08.27 08:11 AM
む の旦那さん
先ほど、京都から帰還しました。一人で、三上山(近江富士)の麓の伊勢遺跡を灼熱の中、歩いてきました。
両腕は真っ黒に日焼けしてしまいましたよ。真東の目の前に美しい三角錐の近江富士が聳え、東から西へ傾斜した土地で、同時に南から北方向に傾斜し、縦横に清らかな水が轟々と流れる水の都でした。
その中洲のような微高地に伊勢遺跡は存在していました。幸い、遺跡を保全する人々が草刈りをされており、若い考古学徒と話をする事が出来ました。
もう、全て埋め戻され、田圃や小学校の庭になっていますが、まさに、三輪山山麓の太田微高地の纏向から多神社にかけての地形と似ていましたね。そして、水の都である、明日香とも同じ地形でしたね。
野洲川流域、近江富士山麓、琵琶湖水系、北陸道・東山道・東海道の中継地そして、木津川から奈良へ、淀川経由で難波への道が開け弥生時代末期、確実に此処には都が存在したと確信しましたね。
Posted by: jo | 2012.08.29 12:30 PM