北イタリア紀行 その1 海洋王国ジェノヴァ訪問
承前 イタリア北部紀行計画
ジェノヴァはイタリア半島の北部西側北部の地中海に面する良港に恵まれた場所にあり、紀元前のケルトの時代から地中海貿易の拠点として繁栄した場所である。特に有名なのは第一次十字軍遠征の11世紀初頭から十字軍の拠点港からジェノヴァ共和国として18世紀末のナポレオンの時代までキリスト教文化圏の経済・軍事の要として繁栄した。東のベネチアと競合する海洋国家というか経済国家だった。
(コロンブスの生家)
一番有名なのは、アメリカ大陸を発見したコロンブスが生まれ育った場所がジェノヴァである事でしょう。彼は、織物職人の家に生まれたそうですが、船に乗り貿易商人として道を切り開いた。スペイン・ポルトガル紀行を今年の初めに行い紀行文で触れましたが、コロンブスは最初ポルトガルに西回りインド航路開拓を提案しました。しかし、ポルトガルは既に喜望峰を廻る航路でインド・東南アジア・東アジアとの交易で忙しく、コロンブスの提案を受けなかった訳です。
そして、スペインのイザベル1世のスポンサーを得てアメリカ大陸を発見した事になっていますが、事実は、その金を出したのはジェノヴァの銀行、即ち、サン・ジョルジョ銀行ではないかという説が存在するそうです。その理由は、当時の欧州のフランスにしても、スペインにしてもジェノヴァの『サン・ジョルジョ銀行』が財政を牛耳っていたからだと言われています。
実は、今年の初めに紀行したスペイン・ポルトガル紀行に於いて、11世紀の第一次十字軍遠征から始まったエルサレム奪還戦争でテンプル騎士団が活躍し、ジェノヴァ港から地中海経由エルサレムへの拠点を確保し、海洋技術と経済技術をイスラム人から学び、発展させ遂に巨大な株式会社のようなテンプル騎士団組織ができた事を記録しました。そして、フランス王家の謀略によりこのテンプル騎士団は壊滅され、それをポルトガルが受け皿となりテンプル騎士団の財力と、経済学の知識と、海洋の地図や、航海技術を受け継ぎ大航海時代の先駆者となりました。
(サン・ジョルジョ銀行)
しかし、その背後にはジェノヴァや東のベネチアの巨大な株式会社のようなものが存在していたんです。ジェノヴァは大航海時代にはサン・ジョルジョ銀行が共和国を支配し欧州の各国々の金融経済を支配していた訳です。今で言う、ベンチャーキャピタルのような存在だった訳ですね。
私は今回のスペイン・ポルトガル紀行、そして、北イタリア紀行を通じて戦国時代を終わらせた織田信長は実にこの大航海時代の西洋の変革、即ち金融経済を握る会社と実行する国という組織を理解した男ではなかったかと思うようになりました。即ち、ジェノヴァに相当するのが堺衆です、特に千利休はリーダーだったと思います。
国内戦争をして恩賞に与える国土に替えて新しい価値を創造する、それが、茶器だとするのは近代経済学であり、私は宣教師や堺の商人を経由して信長は新しい経済立国を予見したと考えます。何故、信長は部下に茶の湯を勧めたのか、その背景に新しい国家のイメージを欧州から先取りしたからと考えます。国の代わりに、利休が価値を創造した山城一国に相当する茶器を与えるという方法です。
そして、前回も触れましたが、裏切りが当たり前の当時の日本の武士団の世界に騎士道を導入したのは、ポルトガルのテンプル騎士団の考えを利休経由で日本の武士団に宣教したののかも知れない。これが、裏切りの無い武士団の世界のモラルのヒントを信長は利休経由でポルトガルのテンプル騎士団の考えを継承する人々から受け継いだ可能性を考えたいと思います。そして、それを受け継いだのが秀吉であり、家康ではないでしょうか。
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