古市古墳群を歩く
2012年7月28日(金曜日)京都のMuBlogのMuの旦那と古市古墳群、磯長陵、近つ飛鳥博物館、奈良ホテルとMu旦那の車で案内を受けた。今回は、古市古墳群の白鳥陵(古市前山古墳、軽里大塚古墳)及び応神天皇陵と考えられる誉田御廟山古墳(誉田山古墳)の御紹介です。
マイフォト 古市古墳群探訪写真集
朝8時に近鉄南大阪線古市駅で待ち合わせ、徒歩で白鳥陵に向かった。景行天皇の皇子であるヤマトタケルは伊勢の能褒野(のぼの)で亡くなります。
参考 グーグルアース(能褒野神社)
ヤマトタケルの魂は白鳥となり大和の琴引原に飛んで行きます。そして、最後は古市に飛び、埴生の丘から羽根を曳くが如くに飛び去ったという説話があります。(羽曳野の語源)
この大和の琴弾原は何処でしょうか、以前に記事を書きました。
参考 葛城南部の遺跡を歩く
ロマンに満ちたヤマトタケル伝説は世界に誇る素晴らしい日本の叙事詩ではないでしょうか。ヤマトタケルと自分で言った名前では有りません、確か九州の熊襲や出雲のタケルを滅ぼした時に彼らから称賛の言葉として呼ばれたヤマトの勇者という一般名詞だったと思います。
古市の白鳥陵は宮内庁が言っている名前で、考古学の世界では古市前山古墳、軽里大塚古墳と呼んでいます。出土土器や古墳の形状から6世紀の時代の古墳だと考えられており、ヤマトタケル時代からは乖離していますね。
次に、応神天皇の陵と考えられる誉田御廟山古墳(誉田山古墳)を訪れました。古市古墳群は最北端に津堂城山古墳という古市古墳群では一番古い時代の巨大な古墳があります。4世紀末頃の巨大古墳と考えられています。そして、誉田山古墳という大仙古墳に次ぐ巨大な古墳が古市に出現したのです。まさに、河内王朝創始者の墓として相応しいと考えます。
宮内庁が管轄していますから、考古学者が立ち入り科学的な調査が出来ないのが残念ですね。従い、確実に応神天皇の陵墓であるとは考古学では確定出来ていないと思います。
しかし、この容積では大仙古墳(伝 仁徳天皇陵)を凌ぐ世界に誇る巨大古墳は世界に誇る文化遺産ではないでしょうか。
同行二人 MuBlog 古市の白鳥陵 記事
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- エゾライチョウとクマゲラを見る旅 総括編(2018.07.09)
- 2018年春の渡りの飛島 総括編(2018.07.09)
- 南ゴビ砂漠探鳥紀行(2018年6月15日~20日) 総括(2018.07.06)
- 2017年 春の渡りの飛島記録(2018.05.15)
- 豪州鳥見紀行 ケアンズ・エアーズロック・シドニー チエックリスト(2018.02.21)
Comments