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新横浜、大倉山周辺の古代地形

 新横浜、大倉山付近の古代の地形や歴史について詳しいホームページが有りました。感心して眺めていました。少し、御紹介します。

 参考 新横浜周辺の歴史 縄文時代の海岸線

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 北側は都筑半島が突出し先端が亀甲岬となっています。現在も亀甲橋が国際サッカー場に向かい架かっています。大倉山梅園や大倉山精神文化研究所、大倉山駅は末吉半島に位置し北側に突き出した部分が太尾岬でした。この半島というか岬を削り出来たのが大倉山駅なのです。

 綱島を見下ろす高台、末吉半島には師岡熊野神社や縄文時代の貝塚遺跡が山の上にあります。

 参考 師岡熊野神社と貝塚遺跡(2011年10月)

 貝塚遺跡からは眼下に鶴見川を見下ろせ、対岸に綱島が見えます。昔は本当に島だったのですね。そして、綱島の北には日吉半島が南に突き出しています。其処にも5世紀末頃の古墳が存在しています。

 参考 東急東横線古墳散歩 綱島古墳(2011年4月)

 鶴見川は北から南に突き出した都筑半島と南から北に突き出した末吉半島の間を流れている事になります。

 鶴見川を挟んで小机城と亀甲岬に陣を引いた太田道灌との『小机の合戦』があったそうです。

 参考 『小机の合戦』

 亀甲岬には古墳が存在していると思います。

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イタリア北部紀行

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 今回のイタリア北部紀行で訪れる予定の場所です。数年前にツエルマットに滞在し、マッターホルンを北部から楽しみましたが、今回はイタリア側から楽しんで参ります。

 参考過去記事 スイス紀行(山の品格)

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3次元地図その後 

 承前 橿考研 箸墓古墳・西殿塚古墳3D解析

  承前 古墳を3D空撮測量

 先日、橿考研の箸墓古墳・西殿塚古墳に関する3次元地図に関する報道がありました。天理大学でも日本最大の前方後方墳である西山古墳の3次元測量の結果を報告されていました。

 参考 天理大学 西山古墳に関する3次元超精密測量地図

 天理大学の資料を眺めていると、不思議な墳形である事が判りますね。後方部は下段は方形であるが、その上に円形墳が築造されています。その円形部と前方部を箸墓や西殿塚古墳や桜井茶臼山古墳等々と比較すると、そっくりと重なるのですね。

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 杣之内古墳群の最古の古墳である西山古墳、大和(オオヤマト)古墳群、柳本古墳群、纏向古墳群、そして最南部のイワレ(トビ)の桜井茶臼山古墳の前期巨大古墳はヤマト王権の大王を順番に送りだした地域の代表であり、大王墓である確度は高いでしょうね。

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愉快な仲間達 ライブ イン ケンタ&アトム ハウス

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 昨日、上野のケンタ&アトム パパ・ママのお家でライブがありました。アーテイストは村瀬由衣(ボーカル)、佐藤克彦(ag)、ロケット・マツ(piano)さん達でした。ボーカルの村瀬さんはケンタ&アトム パパの8年後輩の大学の音楽サークル仲間だそうです。

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 忙しく走り回るパパを見上げるケンタ&アトムです。どんぶりにはワンちゃんの食事では無く、私が一晩冷蔵庫で下味をつけ当日の朝に奮闘して揚げた「唐揚げ」なんです。好評でした。

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明日は日帰り尾瀬ガ原紀行

 2008年6月中旬に尾瀬に出かけましたが、久しぶりの尾瀬紀行です。

 承前 夏の思い出 尾瀬ガ原紀行(2008年6月)

 実は1カ月前に出かける予定でしたが、左足を捻挫し、断念しました。今回は大丈夫です、久しぶりに尾瀬ガ原の散策を楽しんで来ます。早朝にでかけ、夜には帰還する予定です。

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スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(43) サンテイアゴ・デ・コンポステーラ 散策

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(42) サンテイアゴ・デ・コンポステーラ 歓喜の丘

 遂に巡礼の終点であるサンテイアゴ・デ・コンポステーラの街に到着です。

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 キリスト教の三大聖地だそうですが、何故こんなヨーロッパ大陸の西の端の鄙びた場所に聖地を持って来たんでしょうか。エルサレムやバチカンは判りますが、何故、この欧州の辺境の地に聖地があるのか、昔から疑問です。

 キリストの弟子の聖ヤコブの墓が此処にあるという設定が何故必要だったのか、不思議なんです。彼はエルサレムで断首され、殉教する訳ですが延々と地中海を航海しジブラルタル海峡を抜け北上しこんな鄙びた地に遺骸を運搬するのは少し無理があるような気がしています。

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 伝説では9世紀に羊飼いが此の地で聖ヤコブの墓を発見した事になっています。私の今回の紀行を終えて辿りついた結論はイスラムとの戦いに原因があるように思いました。8世紀初頭の頃からジブラルタル海峡を越えてイスラム勢力ウマイヤ朝がイベリア半島に侵攻しイベリア半島はイスラムの勢力下に置かれ300年近く支配されたのです。

 私はどうしてもキリスト教文化圏にとりレコンキスタは悲願だったと考えます。イベリア半島の西の端にキリスト教の聖地を置く事でイスラムのイベリア半島支配に楔を打ち込む戦略だったのではないでしょうか。事実、失地回復運動のレコンキスタは8世紀から15世紀にかけて行われ、1492年のグラナダ陥落で終結したのです。

 マイフォト サンテイアゴ・デ・コンポステーラ 写真集

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橿考研 箸墓古墳・西殿塚古墳3D解析

 本日の朝刊によれば橿原考古学研究所と航空測量会社『アジア航測』は箸墓古墳及び箸墓古墳の次に建造された大王墓古墳と考えられる西殿塚古墳の上空500㍍からレーザー光線を使い精密な3次元測量を行い三次元地図を作製したと発表したそうだ。

 参考 中日新聞 『卑弥呼の墓』を3次元測量

 参考 日経新聞 『箸墓古墳』をヘリで3D測量

 参考 産経ニュース 天理の西殿塚古墳 通路中央部に窪み

 参考 『橿原考古学研究所』

 参考 NHKニュース 箸墓古墳最新技術で再現 

 参考 アジア航測 3D展

 参考(過去記事) 古墳を3D空撮測量

 箸墓古墳はここ数年の最新の考古学研究の成果により3世紀中葉、卑弥呼の崩御年に近い時代に建造されたという仮説が歴博やその他、研究機関により提唱され始め話題である。しかし、依然として箸墓古墳は宮内庁の管轄であり、考古学者の立ち入り調査は出来ない状況が継続している。今まで、周濠部の調査は出来ているが、やはり科学的な調査が出来ない状況です。

 今回の橿原考古学研究所とアジア航測によるヘリによる3D測量は考古学で言う基本的な古墳形状を正確に捉える試みであり、宮内庁の許可が必要であったかどうか、真相を知りたいですね。著作権の一般論では私有地の上空は土地の地主の著作権が及ぶ範囲ですから、許可が必要です。しかし、公有地からの撮影ならば著作権に触れないと思うのですが、今回の撮影は宮内庁の管轄する土地の上空から撮影したのであれば、予め橿原考古学研究所に宮内庁は許可をだしたと考えるのが順当ではないだろうか。

 しかし、現代の3D技術を使えば宮内庁の管轄する土地の上空を外して他の土地の私有地及び公道の上空からだけからでも3D測量は可能だと思います。ヤマハのラジコンヘリを使用してでも測量は可能ではないでしょうか。予めヘリが飛行するルートをコンピュータに入力しヘリのGPS機能により決められた、飛行ルートを飛ぶ事は可能です。

 今回、西殿塚古墳も測量したようですが、この古墳は宮内庁では継体天皇の皇后である手白香皇女陵即ち『衾(ふすま)田陵』として管轄していますので、立ち入りは宮内庁の許可が必要です。考古学の世界では誰も手白香皇女の陵墓とは考えていません、時代が違いすぎるのですね。箸墓古墳の次の古さで建造された古墳時代前期の古墳である事が判明しています。

 考古学者の中には卑弥呼の次に邪馬台国の女王となった『台与(トヨ)』ではないかとか、崇神天皇ではないか仮説を述べる人がおられます。いずれにせよ、大和(オオヤマト)古墳群、柳本古墳群、纏向古墳群、桜井茶臼山古墳に建造された古墳時代前期の大王墓・女王墓と考えられる巨大古墳が存在する場所です。

 今までの研究から箸墓古墳の後円部には埋葬施設が一つ存在すると考えられ、墳頂に祭壇が存在すると考えられていました。今回も円形の壇が存在する事が判明したようですね。一方、次の時代の西殿塚古墳では前方部頂上及び後円部頂上に四角い壇が存在し埋葬施設が前方部も後円部にも存在すると考えられていました。そうです、『ヒコ・ヒメ統治 巫女姉と男弟が二人で統治する世界』ではないかと仮説を述べる考古学者がいます。

 三輪王朝の時代には琉球王朝のような男王と女巫女(聞得大君キコエオオキミ)のような統治体制であり巫女が王よりも権威・権力を持っていたと考える政治体制を指します。仲間由紀恵さんが出演した『テンペスト』で、有る女優さんが演じた聞得大君を考えればいいと思います。

河内王朝の時代になれば政治・権力体制がガラリと変化したと思います、前方後円墳には馬具や冑が埋納され、武力の時代に変貌したと考えられています。

 参考 三輪山周辺を歩く

 参考 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡紀行

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アメリカ大自然 グランドサークル紀行(12) モニュメントバレーを去る

 承前 アメリカ大自然 グランドサークル紀行(11) モニュメントバレー見どころ2

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 映画の撮影現場の光景です。ナバホサンドが舞う中で撮影がされているようです。過酷な現場ですね、アメリカ人は意外とワイルドなので、大丈夫で気にしないのでしょうね。

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 此処でも撮影しています、沢山の馬を連れて来ているようです。このルートは本日撮影の為に通行禁止です。

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 砂が鼻や口に入り大変でした、よくこんな場所で生活が出来ると思います。ナバホの人々には感心します。

 ナバホ族に関する西洋人(スペイン人)との接触から現代に至る悲しい歴史に関して簡単なビデオが有りましたので、参考までに掲載します。

 YouTube  『The Navajos』

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スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(42) サンテイアゴ・デ・コンポステーラ 歓喜の丘

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(41) 世界遺産ポルト歴史地区(3)

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 遂に今回の旅の最大の目的地、サンテイアゴ・デ・コンポステーラに向かいます。ポルトの街から北に232㌔走行するとスペインのキリスト教三大聖地の一つサンテイアゴ・デ・コンポステーラに到着します。聖ヤコブの遺体が存在すると考えられています。

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 年間10万人の巡礼者はフランス国境のピレネーから800㌔、約1カ月をかけて巡礼路を歩き聖ヤコブの聖地に到着します。数年前にフランスのブルゴーニュに娘が住んでいた頃にヴェズレーを訪問した時にこのサンテイアゴ・デ・コンポステーラ巡礼を知りました。

参考 ブルゴーニュのサンテイアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路基点 ヴェズレーのマドレーヌ教会(2008年8月)

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 此処はMonte do Gozo『モンテ・デル・ゴソ』 歓喜の丘と呼ばれる場所です。1カ月800㌔のピレネーからの巡礼者達はこのあと聖地まで3㌔と迫ったこの場所に無事辿り着いた事を喜び眼下に見えるサンテイアゴ・デ・コンポステーラの教会を眺め歓喜する場所だそうです。

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 眼下に教会の塔が見えますね、この付近には宿泊施設やキャンプ場その他、巡礼者の為の施設が整っています。日本でも、江戸時代では江戸や京都に近くなると近くの宿場で身なりを整え潔斎して目的地に入りました、同じ気持ちではないでしょうか。

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 私は巡礼路を歩いた訳では有りませんが、バスで3200㌔も旅をし、まるで巡礼者のような気持ちでした。

 参考 世界遺産 サンテイアゴ・デ・コンポステーラ 歓喜の丘『モンテ・デル・ゴソ』

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スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(41) 世界遺産ポルト歴史地区(3)

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(40) 世界遺産ポルト歴史地区(2)

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 ポルトでの最後はサン・ベント(Sao Bento)駅の御紹介です。駅のコンコースの壁は全てアズレージョ(青いタイル)に描かれたポルトの歴史絵巻で囲まれた素晴らしい場所となっています。

ポルトガルの武勇名高いジョアン1世のポルト入城や即位の場面や息子のエンリケ航海王子がジブラルタルを渡りアフリカ北岸のイスラムのイベリア半島攻略拠点であったセウタを攻略した歴史絵巻など観る事が出来ます。

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セウタは地中海の覇権を握る時に重要な場所だそうです、紀元前のフェニキア時代から重要視され、ローマ・ギリシャ時代も地中海航路の拠点として有名な場所であったようです。 エンリケ航海王子は1415年に攻略しイスラム勢力から奪還しイベリア半島をイスラムの脅威から脱却した事で知られています。

 その後はスペイン王がポルトガル王を兼務する歴史となり現在はスペイン領土となっています。今でもアフリカ大陸にスペイン領土があるのはイスラムからの攻撃を恐れるからなのかも知れない。

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 マイフォト 世界遺産ポルト歴史地区 サン・ベント駅写真集

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