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44年前の山小屋建設 鹿島槍『翔羊(しょうよう)山荘』

 承前 鹿島槍ヶ岳山荘『翔羊(しょうよう)山荘』ワーク記録「2011年9月」

 承前 鹿島槍ヶ岳山荘『翔羊山荘』から帰還(2011年9月25日)

 今年も鹿島槍ヶ岳山麓の『翔羊山荘』の補修工事が五月の連休に行われた。残念ながら私は参加出来ませんでした。昨年の9月の補修工事には参加する事が出来た。今年も無事に工事は終わったようでした。関西から駆け付けたメンバーはほぼ昨年と同じメンバーに新規のメンバーが加わるような様子だったようです。

 所で、昨晩、私の次の世代の主将を担当し『翔羊山荘』建設に尽力した宮崎悦伯(えつのり)さんが44年前の写真をメールで送付してくれた。私が写っている写真を撰んで送ってくれたようだ。本当に懐かしい思いが駆け巡った。

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 1968年『翔羊山荘』基礎工事の模様です。私は左端で鉢巻をして、当時55キロ程度の痩せた山男時代の姿です。工事を行っているのは私の次の世代の宮崎悦伯君が主将をしてる世代のメンバー達です。

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 右の鉢巻姿の短パン姿で口を尖がらせているのが私です。中央で網シャツのかがみこむ姿は同期のマネージャの阿知羅英夫さんです。(現:ヒガシトゥエンティワン社長)

中央手前横向姿が当時の主将の宮崎悦伯君ですね。

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 鉢巻姿で墨壺を持っているのが私です。当時は1968年と言えば21歳の頃ですね。大学4年になる頃です。

Pict0024

 基礎工事完了の『翔羊山荘』です。手前が玄関になります。この山小屋の床を昨年、中川先輩の指揮で剥がし張り替えたが床下の空気は44年前の姿だった訳ですね。それが、この姿です。建て物は地元の建設会社の野口建設さんにお願いしましたが、基礎工事は宮崎君の世代の人々が頑張ってやりました。

山小屋建設資金は主にOB/OG諸氏の寄付金と現役メンバーのアルバイト収入、事業収入(スキー講習会開催、ダンスパーティ開催、大学祭園遊会、等々)で賄い完成後は大学に寄贈した。

本当に懐かしい写真を送付して頂き有難う御座いました。

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