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スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(38) トマール キリスト教修道院

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(37) テンプル騎士団と武士道

 トマールの山の頂上にテンプル騎士団が築いた修道院&要塞があります。正式にはキリスト教修道院と呼ぶそうですが、Templar Castle(テンプル騎士団の城)ともCastelo de Tomar(トマールの城)とも呼ばれています。

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 ポルトガル王はフランス王フィリップ4世とバチカンが追放したテンプル騎士団を保護しイベリア半島からイスラム勢力の駆逐とその後、テンプル騎士団が蓄えた海外航海術、国際金融、世界情勢・地図、海軍力、等々のテンプル騎士団の知識を受け継ぎ大航海時代の歴史を開いたのです。

 まさに、ポルトガルとテンプル騎士団を語るにはこのトマールのキリスト教修道院を抜きには語る事が出来ないと言われています。

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 円堂内の八角形の中央祭壇は元来、撮影禁止だったようですが、今回は撮影が許可され写真を収録出来ました。大航海時代の富の中核である金をふんだんに使用して建造された中央祭壇は見事なものでした。

 詳しくは、写真集に収録しましたので是非そちらを参照して下さい。テンプル騎士団やポルトガルの大航海時代を知る貴重な写真が収録されていますので、是非ご覧ください。

 マイフォト トマール キリスト教修道院(テンプル騎士団の城) 写真集

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 テンプル騎士団の軍服です。無敵の騎士団と恐れられていました。生活は修道士の清貧な生活を送り断固としてキリスト教を守る神兵と呼ばれていました。この騎士団が大航海時代にポルトガルの中心となり大航海を展開したのです。

 日本は信長の時代頃からポルトガルと堺の商人を中心に接触が始まり、このテンプル騎士団の精神を知る事になるのです。千利休の茶道はポルトガルのこの騎士団から影響を大いに受けたと考えられますし、その後、家康が独占し茶屋四郎などに朱印船貿易をやらせ大いにポルトガルとの接触から騎士道精神を学んだと考えられます。

 昨年、ベトナムの中部ホイアンを訪れた時に関ヶ原の時代に日本人の貿易関係者が二千人も現地に住んでいた事実を知り、如何に戦国時代末期は文明開化の時代であり、日本人の目は世界に向けられていたかを知りました。家康自身、大いに朱印船貿易を奨励し欧州、特にポルトガルの文化・文明を収集していたか判りました。

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