方格規矩四神(四獣)鏡と卑弥呼
最近、又、米村多加史(たかし)さんの『キトラ古墳は語る』を読んでいて、昔の私の記事を思い出した。そして、2007年には考える事が出来なかった事も気になり始めた。
方格規矩四獣(四神)鏡は古い中国特に長江流域の紀元前3千年頃の世界観を示していると考えられる。王は方形の区画に八尺の垂直の柱を建て、太陽の一番長い影が出来る時を冬至と決める儀式をしていたという。圭表と呼ばれる観測機に触れるが、圭とは地面に置く物差しであり、表とは垂直に立てる柱(八尺)の指す。太陽の影の長さを計るのに物差しは必要であり、太陽の影を作るのが柱である。
柱を垂直に建てる為に八方から綱で柱を引っ張りアンカーボルトで固定する。丁度、テントの柱を建てる時の要領である。此れを八紘一宇と呼んでいる。戦前なら天皇の威光は八方に広がり、その光が行き届く世界は一つの家であるという考えが常識でした。実はこの考えは遥か古代の中国に求める事が出来ます。
この柱を垂直に建てる為とメンテナンスの為に8本の綱のアンカーボルト付近に8個の壺を柱を中心に円形に置き、水を満々と満たした。水面は水平面を示しそこに曲尺(かねじゃく)L字形の90度で折れ曲がる物差しを水面に垂直に建てる。そして、中央の柱が左右どちらに傾いているかを計測し柱に繋がる綱とアンカーボルトの長さを調節した。
この作業を8カ所の綱のアンカーボルトの場所で行うとほぼ完ぺきに垂直に柱を建てる事が可能であり王が天の意を聴く祭祀は無事に遂行できるのである。方格規矩四獣(四神)鏡は実にこの王の天に意見を聴く祭祀を描写した鏡であるという。中央の乳は八尺の柱を示し、方格はその柱の基壇を示し、四方にT字形定規が垂直に建てられており、柱の頭から引かれたハ方向の綱のアンカーボルトに八個の乳が存在する。
そして、アンカーボルトの乳の傍には水を満たした壺に建てられた曲尺が描かれている。そして、その曲尺を作る時に使用されたコンパス(V字で示される)も描かれてると思います。
(ここからが本題)
皆さんは伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)について御存知でしょうか。紀元前三千年頃には中国で考えられていたこの世を創生した兄と妹の夫婦です。特に長江流域ではこの二人が人類の祖先と信ずる人々が多いのです。人面で身体は蛇なんです、そして、二人は下半身を巻きあい(交合)手には兄の伏羲は右手に曲尺を持ち、妹は左手にコンパスを持っています。
この蛇信仰と兄と妹と方格規矩四獣(神)鏡の事で邪馬台国の卑弥呼と弟王を思い出しませんか。箸墓古墳には伝説で蛇神様である三輪山の大物主さんの奥さんになったヤマトトトビモモソヒメ(倭拾×拾=百襲姫)の伝説があります。
卑弥呼が愛した鏡はまさに、方格規矩神獣鏡が示すようなこの世の世界観を示す奥が深いものであったのではないでしょうか。特に、長江流域からもたらされた世界観に影響を受けていたと考えてはどうでしょうか。前方後円墳の墳形も宇宙を壺に観る当時の中国の、考えが今は考古学会では主流であると聞いています。
私は、最近、三星堆にも興味が魅かれているのですが、前回、記事にしました。三星堆から出土している壺が纏向から出土している土器や前方後円墳の形状に似ているのが気になっています。邪馬台国は朝鮮半島よりも、長江流域の文化の影響の方が大きいと最近考えるようになっています。
卑弥呼の時代の世界観として、この世の創生主は伏羲(ふくぎ)と女媧(じょか)であるという考えが新鮮な最新の考え方として倭国に伝播していたのではないだろうか。卑弥呼が鏡を執拗に欲しがる背景に、中国に存在した方格規矩神獣鏡の世界観が国を統治する重要なイデオロギーだった。
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