古墳出現期前夜の東海人の相模川流域への集団移動
昨日は、神奈川県埋蔵文化財センターと綾瀬市教育委員会の主催の第6回考古学講座に出席してきた。綾瀬市の市役所が会場であり、横浜から昔通い慣れた相模鉄道の急行に乗り海老名駅を目指した。私は新婚の頃に小田急厚木駅前のマンションに住んでおり、毎日、相模鉄道で海老名駅から横浜経由、蒲田まで通勤していました。
綾瀬市は初めての訪問であり、海老名駅からバスに乗り30分程度乗ると終点が綾瀬市役所だった。まるで、日本のチベットみたいに交通の便が無い場所だ。人口は8万人と何と少ない市だろうか、確か10万人以上でないと市になれないという話を何処かで聞いたような気がするが・・・、それに厚木基地が綾瀬市にあるんですね、始めて知りました。
関東に長く住んでいて、直ぐ近くの厚木にも住んでいた事があるのに、何と無知なんでしょうね。ところで、本題のセミナーでした。
・講演Ⅰ 『弥生時代の神奈川 やってきた人・物・文化』
神奈川教育委員会 文化遺産課 丸吉繁一さん
・講演Ⅱ 『東海からの集団移動 国史跡神埼遺跡を事例として』
綾瀬市教育委員会 生涯学習課 井上洋一さん
今回の綾瀬市の神埼遺跡に関しては、承前で掲げましたように、昨年の夏の三輪山セミナーで考古学の大御所、大塚さんが関連講演しており頭の隅にはありました。再度、大塚さんの講演を復習してみましょう、古墳時代が始まる前夜の日本列島のダイナミックな状況が判ると思います。
弥生時代中期には日本全国で弥生文化が定着し水田稲作が行われ、各地に大規模な拠点集落が生まれ、青銅器の祭りが行われていた。しかし、弥用時代後期に入ると日本列島では社会の変動期に入り鉄の普及、祭りのシンボル(銅鐸・銅矛・特殊器台・墳丘墓)が大型化が始まり、鉄や先進文化を求めて遠隔地との交流が始まり、特定個人や特定集団への権威の集中が始まった。
弥生時代後期の関東の状況は4種のグループに分かれていた。
① 横浜・川崎
北関東・中部地方の土器が中心
② 三浦半島周辺
東京湾岸の土器中心
③ 相模川流域
東海西部的(天竜川西岸地方)
④ 金目川流域
東海東部的(天竜川東岸地方)
列島全土での弥生時代後期後半の各地の祭りのシンボルは
・北九州から四国西部→広形銅矛・銅戈が分布
・吉備地方→特殊器台・壺が分布
・四国東部・近畿・東海・伊豆地方→近畿式銅鐸分布
・若狭・近江・東海・中部地方→三遠式銅鐸分布
・出雲・福井地方→四隅突出形方丘墓の分布
綾瀬市神埼遺跡の衛星写真です、今は既に埋め戻されています。
今後、遺跡公園として保存整備が進められる筈です。
神埼遺跡は昨年2月に国指定遺跡に指定されたそうです。小さな環濠集落ですが、丸ごと残存しており50年とか100年程度で集落は放棄されたので、集団移動の頃の痕跡が良く残ったという事だそうです。本当に珍しい遺跡が見つかったようです。
東海土器と言えば、奈良の纏向遺跡でも沢山出土しています、古墳時代萌芽期ですが、ヤマト王権出現の謎もこのような地味な遺跡の発掘で少しずつ、判ってくるかも知れません。
閑話休題
綾瀬市のコミュニテイバスは『かわせみ』と呼ばれ、車体に可愛い、市の鳥である『かわせみ』が描かれている。相模川支流の目久尻川流域、神埼遺跡の近くの流域でも沢山生息しているそうです。遺跡もいいが、カワセミ君を探しに今度は目久尻川流域の散策をしてみようと思いました。
参考 動画 神埼遺跡説明
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