古代の南武蔵 等々力渓谷篇
承前 古代の南武蔵(1) 多摩川・鶴見川下流域の古墳群 白山古墳編
承前 古代の南武蔵(2) 多摩川・鶴見川下流域の古墳群 観音松古墳
承前 古代の南武蔵(3) 多摩川・鶴見川下流域の古墳群 神庭(かにわ)邑
多摩川・鶴見川下流域の古代を調べているのですが、今回は多摩川下流域の支流である谷沢川流域、所謂、等々力渓谷付近の古墳群についてメモを残します。
先ず最初の写真は等々力渓谷付近の古墳群概要です。グーグルアースを使用しています。二枚目は本流である多摩川の荏原台古墳群との関係が判るように掲載しました。
この写真は更に大局的に鶴見川・多摩川下流域の古代の遺跡を示しています。これ等の古墳群や遺跡については既に上記過去記事にて記録をしていますので、関心が深い方は参考にして下さい。
それでは、今回は多摩川支流の谷沢川(等々力渓谷)付近の古墳群について記録します。
① 等々力渓谷横穴群
・東急の等々力駅を下車し少し歩くと直ぐに等々力渓谷に下る道があります、谷底を歩く感じですが、暫く歩くと左側に横穴群が存在しています。
・1973年に公園造成中に三基の横穴が発見されされた。7世紀末から8世紀に築造されたと考えられている。
・そのうち、3号横穴が完全な形で保存されている。凝灰岩の切り石で出来た羨道を持つ。羨道と玄室の区別は難しいらしいが、奥に行くほど広い空間となる。玄室は長さ4.9㍍、奥壁の幅2.2㍍、天井はアーチ形で高さ1.9㍍である。成人二体と小児一体の人骨及び、耳環(じかん イヤリング)、須惠器 などが出土した。
・人肉を食す風習
問題は、成人の手足の筋肉がついていた場所の骨に無数の切り傷が存在し、戦争や決闘で受けた傷とは考えられず、この成人の葬送儀礼に於いて彼のパワーを貰う為に人肉を食す風習が存在していたのではないかと考えられているそうだ。そういえば、昨年メキシコのテオティワカンを訪問した時に生贄の人肉を取引するマーケットが存在したという話を聴きましたね。
② 野毛大塚古墳
・等々力渓谷横穴群の西方の台地上に存在する帆立貝式前方後円墳である。5世紀前半の築造と考えられてる。従い、少し南の荏原台に存在する宝莱山古墳(ほうらいざん 4世紀前半築造)や亀甲古墳(かめのこ 4世紀後半築造)よりは新しい時代の古墳である。
・周濠が廻り、全長104㍍、主体部全長82㍍、後円部直径68㍍、高さ10㍍、長さ10㍍の前方部が存在する。
・墳丘は三段築造であり、多摩川の河原石で葺かれていたという。野焼の円筒埴輪が墳丘に使用されていた。墳頂ブには4基の埋葬施設が存在し、1989年~92年にかけて発掘調査がなされた。甲冑、刀剣、銅鏡、玉類などの多くの埋葬品が発掘された。現在は玉川野毛町公園となっている。
③ 御岳(みたけ)山古墳
・等々力渓谷左岸の台地上に存在する、古墳時代中期(5世紀後半)築造の円墳であるが、帆立貝式前方後円墳であったという説も存在するらしい。
・現状は直径42㍍、高さ5㍍あまり、墳頂に蔵王権現を祭る御岳社があるので、この名前になっている。主体部は粘土で固められた長方形の埋葬施設と考えられているが、詳細は不明。1917年と1950年に発掘調査が行われ、七鈴鏡、直刀、短甲などが出土。墳丘面からは円筒埴輪や須惠器がみつかっている。
・等々力渓谷を挟んで向かいには野毛大塚古墳が存在する。
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