« February 2012 | Main | April 2012 »

ベトナム縦断1800㌔の旅(30) ホーチミン 街歩き

 承前 ベトナム縦断1800㌔の旅(29) ホーチミン メコンクルーズ

 ベトナムで一番豊かなのはメコンの恵みを受けるベトナム南部地域、とりわけメコン川流域であるホーチミン(昔のサイゴン)であります。人種的にも北部のハノイの人々は越人ですが、この辺りはアンコール王朝と同じ系統の民族がベースであると理解しています。

Dsc_0151

 フランス統治時代に建造された中央郵便局の建物で、パリにいるような気分になります。

Dsc_0156

 まるでオルセー美術館に入ったような気分ですが、正面に今はホーおじさんの肖像画が掲げてあります。ホーおじさんも若い頃は船乗りでしたから、パリを訪問していたでしょうね。

Dsc_0158

 

Dsc_0145

 聖母マリア教会が中央郵便局のそばにあり、まさにパリの雰囲気がでています。

Dsc_0134

Continue reading "ベトナム縦断1800㌔の旅(30) ホーチミン 街歩き"

| | Comments (0)

三星堆文明と古代の日本の共通点(その2)

 承前 三星堆文明と古代の日本の共通点(その1)

 3.鵜飼の風習が共通

 ・三番目の王は魚鳬(ぎょふ)と呼ばれる人でした。この漢字を分析すると、魚と鳬とは鴨などの水鳥を指しています。魚と鳥が鍵となる王でした。三星堆から出土した『黄金の杖』には魚と鳥が描かれており、両者は棒状の模様で結ばれており、且つ、その線は水鳥を貫いて魚の口の中に入り込んで消えている彫刻がされていました。この線は一体何だろうか謎である。又、人の顔も描かれており髪の毛は太陽の輝きのように四方八方に飛び散っている。太陽の顔を持つ人は魚鳬(ぎょふ)そのものである。この『黄金の杖』は王権のシンボルと考えられ、一方、黄河文明では杖は老人の代表であり、決して王権を代表する権威の象徴には成り得ないものだそうだ。 

 ・エジプトや西洋文明では王が王権のシンボルとして杖を持つのはポピュラーですが、黄河文明には存在しないので、三星堆文明は明らかに黄河文明とは異なるものである事が判る。三星堆からは此れ以外にも、金の虎や金璋、金の仮面など沢山の金製品が出土しており三千年前の遺跡としては驚愕の事実であった。

 ・金の仮面であるが、2号坑から二体の青銅の人頭像の顔に被せられており、1号坑から出土の金の仮面も多分青銅の人頭像に被せられていたと考えられ、魚鳬王もこのような金の仮面を被っていたと想定される。

 ・蜀の鵜飼漁では日本のように鵜の首に紐を巻き付けて行うものではない、鵜が自ら人間に協力して漁をして魚を指し出すのだそうだ。NHKの取材班は楽山と峨眉山の途中にある村を見つけ現在でも古代蜀と同じ鵜飼漁をしている村落を見つけ取材に成功している。その時に漁師は棒を使い鵜との会話をおこなっているらしい。取材班は魚鳬王の一族は鵜飼漁を自在に行える能力を持ち鵜飼漁に使用する棒が王権のシンボルとして『黄金の杖』になったと解釈した。

 ・日本でも杖を王権のシンボルとする遺物が古墳から出土している。前期古墳であるが桜井茶臼山古墳からも玉杖が出土しており、三星堆と繋がる事が判ります。参考 橿原考古学研究所 王権のシンボル

  参考 桜井茶臼山古墳と纏向遺跡紀行(目次編)

 ・鵜飼といえば宇治川でも有名でした。ひょっとすると宇治は鵜治が元来の意味だった可能性がありますね。神功皇后の息子の応神天皇の王朝では三輪王朝から河内王朝に王朝が代わったという説もありますが、応神天皇の後を継いだのは宇治天皇と呼ばれるウジワケイラッコという息子でしたが、仁徳天皇に皇位を譲りました。近江や山城という場所は古来、渡来系の人々が多く居住する場所でした。秦氏の故郷である宇佐も鵜サである可能性が有りますね。参考 秦氏に関すメモ(目次)

 ・私は昔、BBC放送が作成した長江での鵜飼に関するドキュメンタリー映像を観た記憶が有りますが、鵜が生まれる時からすりこみで人間を親だと思わせるのですね。そして、寝起きも鵜と一緒に行いともに漁をするのです。犬と人間と同じような関係が、川鵜との間で行われてる事をその時に知りました。やはり、日本と三星堆文明とは深い関係がある事が判ります。

Continue reading "三星堆文明と古代の日本の共通点(その2)"

| | Comments (0)

三星堆文明と古代の日本の共通点(その1)

 久しぶりに、昔の『謎の古代王国』(三星堆遺跡は何を物語るか) 徐朝龍さん、NHK取材班 NHK出版(1993年2月)を再読していたら、日本の古代と古代の蜀(三星堆遺跡)との共通点を幾つか気になり出したので、メモを認めておきます。

 先ず、長江文明についての基礎知識が必要です、以前に何回かメモを残していますので、参考にして下さい。

 参考 長江・漁労水稲文明 (2010年10月5日記事)

 参考 良渚文明(2007年12月18日記事)

 参考 稲作起源で新しい仮説(2009年4月23日記事)

 参考 日本神話と長江文明(2008年1月16日記事)

 参考 長江文明の謎(2004年7月1日記事)

 参考 龍の文明。太陽の文明(2005年1月4日記事)

 参考 鳥居について(2005年6月22日記事)

1.養蚕に優れた国だった

 ・四川盆地は温暖湿潤であり桑の育成と蚕の生育には最適な環境であった。伝説の古代蜀の最初の王は蚕叢(さんそう)と呼ばれる養蚕の技術を伝えた王と考えられる。絹織物特に蜀錦と呼ばれ、国の財政を支えた。

 ・この蜀錦は雲南(昔は滇王国が存在)経由のインドやベトナム方面への陸路がシルクロードとして存在していたらしい。このルートで蜀錦は膨大な利益を得たという。時代は夏や殷の時代から、黄河流域とは異なる独自の文化・文明が開化していた。

 ・この養蚕を伝えた蚕叢(さんそう)という初代王は遊牧民であり、盆地の在地の女と結合し国を開基したと伝説は語るようだ。当時の黄河文明(殷王朝)から観ると四川盆地の人々は蜀という甲骨文字にイメージが表現されていると言う。中国の字書『説文解字(せつぶんかいじ)』によれば、文字を分解すると、上は目であり、下は虫でどうやら蚕を飼っている人々という意味らしい。説明では、『蜀、葵中虫也』(蜀とは葵の中に住む虫の事である)と説明し、葵とは中国最古の辞典『爾雅(じが)』によれば、桑の俗であるそうだ。目玉と蚕が蜀という漢字だそうだ。更に、『中象其身蜆蜆(字の中の部分は曲がった虫の姿である)』と述べる。

 ・三星堆遺跡から出土する奇怪な青銅の仮面、縦目仮面(目玉が飛び出て大きな耳を持つ巨大青銅仮面)は蜀という漢字の目の部分を特に強調しています。色んな仮説があるが、神殿の高い場所に飾られていたのではないか、『千里の目、順風の耳』を表現しているとの仮説が有力である。千里の先を見通す目と風に乗って遠方まで聞こえる耳を持つ神の姿である。

 ・この蚕叢の伝説と似た話が日本にもあります。古代最大の渡来系氏族である秦氏であります。京都の太秦には蚕の神社があり、元糺の杜と呼ばれ秦氏の京都における本拠地でした。秦氏は桓武天皇を自分の館を京都御所として明け渡し遷都に貢献、葵祭りは本来は御所とこの元糺の杜で行われていた。この葵祭りの葵は本来、桑の木を意味していたと解釈できないでしょうか。秦氏の本業は養蚕でしたね。

 ・蚕の神社は正式には木島坐天照御霊神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)
と呼ばれ、太陽信仰であります。太陽信仰と言えば、三星堆文明もそうでした、高さ4㍍もある青銅製の『神樹』が発掘されたからです。此れは扶桑の樹と呼ばれ、太陽が昇り下る神樹で、遥か東方海上に扶桑の樹が存在し、そこから太陽は鳥により天空に運ばれ運行すると考えられていました。中国の人は古代から東の海上に存在する倭国(日本)を扶桑の樹が存在し太陽が昇る神仙世界と観ていたようです。

 ・聖徳太子の右腕であり経済産業を支えていたのは秦河勝でしたね、太子が隋王朝の天子に宛てた親書『日出づるところの天子云々』の文言は当時の世界の常識である扶桑の信仰を踏まえて書かれ特に中国を侮辱した文言ではなかったでしょうね。秦氏や小野氏(和邇氏・春日氏)という渡来系氏族が中国人の世界をよく知りつくしていたと思います。

 参考 秦氏に関するメモ類(目次編)

 参考 元糺の杜 京都魔界巡礼

Continue reading "三星堆文明と古代の日本の共通点(その1)"

| | Comments (0)

ベトナム縦断1800㌔の旅(29) ベトナム南部 ホーチミン メコンクルーズ

 承前 ベトナム縦断1800㌔の旅(28) 中部編 ホイアンからダナンへ

 ベトナム中部のダナンから飛行機で1時間10分南下するとホーチミン昔のサイゴンに到着です。今回は、メコンクルーズと水上人形劇を楽しんで来ました。今回は、メコンクルーズ篇です。

20116vieatnum_1222

 メコン川はチベット高原に源を発し6カ国を経由、全長4000㌔の恵みの大河であります。川幅は河口の近いホーチミンでは3キロに達する巨大な河というか海なのです。中洲にはジャングルの様相であり、写真のようにミトーではジャングルクルーズを楽しむ事が出来ます。

 詳しくは写真集に収録しましたので、そちらを参照して下さい。

 写真集 ホーチミン メコンクルーズ(ジャングルクルーズ)写真&解説

Continue reading "ベトナム縦断1800㌔の旅(29) ベトナム南部 ホーチミン メコンクルーズ"

| | Comments (0)

スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(27) セビリア 街歩き

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(26) セビリア ヒラルダ(風見鶏)の塔

 セビリア大聖堂、ヒラルダの塔を巡りましたが、セビリアの街を少し歩いて昼食を食べたり、1929の大恐慌が起こった年にセビリア万博が行われ、その時に会場として建造されたスペイン広場などを散策しました。セビリア街歩きの巻です。

2012spain1_1586

 1492年、誰でも学校で勉強しましたね、コロンブスがアメリカ大陸を発見した年です。これは、新大陸発見の記念碑だと思います。

2012spain1_1573

 スペイン広場です、万博会場として建造されましたが、イスラムの香りがするムデハル様式で建造されました。

2012spain1_1577

 詳しくは、写真集に収録しましたのでそちらを参照して下さい。

 写真集 セビリア街歩き 大聖堂、ユダヤ人街、スペイン広場等々

Continue reading "スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(27) セビリア 街歩き"

| | Comments (0)

メキシコ南部の地震

 午後にメキシコのオアハカ在住の娘から電話があり、大きな地震があったが、無事だという電話がありました。

 参考 メキシコでM7.4の地震

 参考 中国新聞

 参考 ウオールストリート

 娘の話では、オアハカの西南西162㌔が震源だそうで、M7.4という巨大地震だったそうです。

オアハカの街中の大学の施設にいたそうですが、突然にサイレンが鳴り30秒後に大きな揺れが来たそうです。そのサイレンが地震を知らせるサイレンである事を知らなかったそうです。しかし、揺れる前にサイレンが鳴るとはメキシコは進んだ国だと思いました。

 報道では、オバマ大統領の娘さんもオアハカに滞在されていたようですが、無事だったそうです。

娘は無事ですので、関係者の皆さまご安心下さい。

| | Comments (0)

2012年 『赤とんぼ』春合宿無事終了

 承前 2011年度 『赤とんぼ』秋合宿

20123iwatake_211

 2012年度 『赤とんぼ』春合宿は無事に白馬村、岩岳にて2012年3月18日~20日の期間、開催され終了しました。生憎の天気になりましたが、何とか無事に飛行機を飛ばす事が出来ました。

20123iwatake_213

 ご覧のような雪ですが、雪上から滑走離陸して行くラジコン飛行機は感動の連続です。

20123iwatake_039

 最終日は快晴に恵まれ日本一の白馬の峰々の景色が早朝には朝日を受けていました。

Continue reading "2012年 『赤とんぼ』春合宿無事終了"

| | Comments (0)

スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(26) セビリア ヒラルダ(風見鶏)の塔

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(25) セビリア大聖堂(カテドラル)

2012spain1_1416

 それでは、ヒラルダ(風見鶏)の塔に登りましょう。地上70㍍の位置に展望台があり歩いて登ります。階段ではなくスロープになっており馬に乗って登れるそうですが、我々は歩いて登ります。

2012spain1_1467

 眼下にはイスラム時代の残影であるオレンジのパテイオ(中庭)と噴水があります。此処がモスクであった事を示しています。そして、大聖堂を見下ろす事になります。

2012spain1_1463

 大聖堂の屋根が見えて来ました、50㍍以上登った事になります。

2012spain1_1448

 展望台に到着です、詳しくは写真集を掲載しましたので、そちらを参照して下さい。

 マイフォト セビリアのヒラルダ(風見鶏)の塔 写真集&解説

Continue reading "スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(26) セビリア ヒラルダ(風見鶏)の塔"

| | Comments (0)

2012年春合宿の飛行機

 今週末の日曜日から恒例の赤とんぼの春合宿が信州、白馬村の岩岳で開催されます。

一応、2機の雪上機(電動機)を用意しました。

20123tsurumigawa_002

20123tsurumigawa_001

 此れは、『スカイ老婆改造版』フロート仕様です。(笑)

 翼はわこちゃんのエアートラクターで使用されていた翼で、フロートはフラミンゴ用のキットを制作し流用しています。『スカイ老婆』には重いフロートとなりますが、ブラシレスのリポ電池3セルの強力なパワーで離陸を狙います。

20123tsurumigawa_004

20123tsurumigawa_003  此れは、『フラミンゴ改造版』フロート仕様です。

 胴体部分が大破し、胴体の中央部、頭部は新しくバルサで制作しました。フロートは水上機の『フラミンゴ』用に販売されているキットを使用しバルサ材で制作しフィルムで被覆しています。この飛行機には、わこちゃんから貰った強力なブラシレスモータと3セルのリポ電池が搭載されており、15エンジン依りは強力な推進力が有る筈です。

 参考 2011年冬合宿報告書 その3

Continue reading "2012年春合宿の飛行機"

| | Comments (0)

スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(25) セビリア セビリア大聖堂(カテドラル)

承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(24) コルドバからセビリアへ

Photo

 セビリア大聖堂(カテドラル)は世界第三位の規模を誇るカテドラルだそうです。第一位はローマのサンピエトロ大聖堂、第二位はロンドンのセントポール大聖堂だとか。このセビリアは大航海時代にアメリカ大陸との交易を独占した港として栄えました。しかし、紀元前から航海国であるフェニキアやカルタゴの支配を受け、航海民が育っていたのです。

 イスラム支配のあともイタリアのジェノバの貿易商やユダヤの商人が住み、中世では最大に交易で富み栄えた港町だったそうです。その文化は大航海時代に入り大きな花が咲いた訳です。突然にコロンブスが生まれた訳では無く、イタリアのジェノバの奴隷商人の息子だったコロンブスが必然的に生まれたのかも知れない。

 ガイドさんの説明では、最初に西回りでインドへの大航海を提案したのはポルトガルだったそうです。しかし、当時ポルトガルは東周りにて東南アジアで忙しく、コロンブスの提案なぞに聞く耳は無かったらしい。そして、彼はスペインのカスティーリャのイサベル1世と出合いプロジェクトは承認されたのです。歴史はもし、ポルトガルがコロンブスの提案を受けていれば、世界史は変わっていた可能性があります。

 そのコロンブスの墓がある世界第三位のカテドラル、世界遺産のセビリア大聖堂の御紹介です。詳細な説明と、写真集は以下の写真集を検索下さい。

 写真集 セビリアの大聖堂(カテドラル) 特集

 本編では簡単に数枚の写真を掲載します。

2012spain1_1344

 正面がセビリアの大聖堂で、塔はヒラルダ(風見鶏)の塔と呼ばれ、イスラム時代の尖塔(ミナレット)70㍍の上にレコンキスタのあと、キリスト教徒が鐘楼とブロンズの風見鶏を建設し90㍍の高さとなった。右の建物はインディアス古文書館でともに世界遺産の建物です。

2012spain1_1353

 真中の巨大な女神のブロンズはヒラルダの塔に立つ風見鶏と同じものです。右手は海の民の象徴である船の舵、左手には穀物でしょうか、セビリアの存続基盤を示しています。モスクの跡をゴシック様式のカテドラルにキリスト教徒はしました。

2012spain1_1355

2012spain1_1381

 コロンブスのお墓です。1894年にハバナから送られたコロンブスの遺灰を納めています。棺を担ぐのはスペインを建国した4つの国、カスティーリャ王(左前)、レオン王(右手前)、ナバーラ王(後)、アラゴン王(後)の国王が担いでいます。胸には国の紋章が描かれており、これ等の紋章を組み合わせたのが現在のスペインの紋章となったそうです。

Continue reading "スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(25) セビリア セビリア大聖堂(カテドラル)"

| | Comments (0)

古代の南武蔵 等々力渓谷篇

 承前 古代の南武蔵(1) 多摩川・鶴見川下流域の古墳群 白山古墳編

 承前 荏原台・田園調布古墳群関連記事(1~4)

 承前 古代の南武蔵(2) 多摩川・鶴見川下流域の古墳群 観音松古墳

 承前 古代の南武蔵(3) 多摩川・鶴見川下流域の古墳群 神庭(かにわ)邑

 多摩川・鶴見川下流域の古代を調べているのですが、今回は多摩川下流域の支流である谷沢川流域、所謂、等々力渓谷付近の古墳群についてメモを残します。

Photo

 

Photo_2  先ず最初の写真は等々力渓谷付近の古墳群概要です。グーグルアースを使用しています。二枚目は本流である多摩川の荏原台古墳群との関係が判るように掲載しました。

Photo_3

 この写真は更に大局的に鶴見川・多摩川下流域の古代の遺跡を示しています。これ等の古墳群や遺跡については既に上記過去記事にて記録をしていますので、関心が深い方は参考にして下さい。

それでは、今回は多摩川支流の谷沢川(等々力渓谷)付近の古墳群について記録します。

 ① 等々力渓谷横穴群

 ・東急の等々力駅を下車し少し歩くと直ぐに等々力渓谷に下る道があります、谷底を歩く感じですが、暫く歩くと左側に横穴群が存在しています。

 ・1973年に公園造成中に三基の横穴が発見されされた。7世紀末から8世紀に築造されたと考えられている。

 ・そのうち、3号横穴が完全な形で保存されている。凝灰岩の切り石で出来た羨道を持つ。羨道と玄室の区別は難しいらしいが、奥に行くほど広い空間となる。玄室は長さ4.9㍍、奥壁の幅2.2㍍、天井はアーチ形で高さ1.9㍍である。成人二体と小児一体の人骨及び、耳環(じかん イヤリング)、須惠器 などが出土した。

 ・人肉を食す風習

  問題は、成人の手足の筋肉がついていた場所の骨に無数の切り傷が存在し、戦争や決闘で受けた傷とは考えられず、この成人の葬送儀礼に於いて彼のパワーを貰う為に人肉を食す風習が存在していたのではないかと考えられているそうだ。そういえば、昨年メキシコのテオティワカンを訪問した時に生贄の人肉を取引するマーケットが存在したという話を聴きましたね。

Continue reading "古代の南武蔵 等々力渓谷篇"

| | Comments (0)

スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(24) コルドバからセビリアへ

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(23) コルドバ メスキータ(聖マリア大聖堂)

Photo

 コリドバを去ります、142㌔グアダルキビール川を河口に向かいます。その場所は数々のオペラで有名なセビリア(セビージャ、セビーリア)です。一番有名なのは『カルメン』、『セビリアの理髪師』でしょうか。

最後に、もう一度コルドバを振り返ります。

2012spain1_1256

 グアダルキビール川の中州にある水車小屋ともお別れです。

2012spain1_1259

 ローマ橋を守った要塞ともお別れです。

2012spain1_1261

 ローマ橋とメスキータ、コルドバの美しい景色ともこれで最後となりました。1614年には支倉常長一行もこの景色を観たのでしょうね。もう、400年も前の話ですね。

2012spain1_1262

 コルドバを守るにはこの橋を守る事と同義だったのでしょうね。堅牢な要塞でした。

2012spain1_1267

 このコルドバの橋ともお別れです。

2012spain1_1268

 出て来ました、例の牛です、本当は酒の宣伝なのですが、スペインでは絵になっています。

Continue reading "スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(24) コルドバからセビリアへ"

| | Comments (0)

プロポを買ってもらった

20122tsurumigawa_945

 最近、ラジコン飛行機の無線帯域に異変があり、もう昔の72メガ40メガの送信機も受信機も販売されない事態となっている。そこで、新しい周波数2.4ギガのプロポを買うか、それとも古い中古のプロポを買うか迷っていた。私の送信機はボロボロなんです。

 最近のプロポをJRさんで調べると

  JRプロポセットの製品情報

 最近は双方向であり、飛行機のセンサー情報を送信機でモニターできるんでしょうね。

ともあれ、沢山の72メガ、40メガの受信機やサーボモータを抱える私には、古い周波数のオールドテクノロジーの送受信で済ませる事にしました。そんな時に、千葉の『よっちゃん』から連絡が入り、安い中古のプロポがオークションにでてると連絡が入り、競売に参加して貰う事になりました。めでたく落札し、本日、自宅にプロポが到着です。

このプロポは赤とんぼではよっちゃんを始め、幾人かがお使いの機種だと思います。という訳で、送信機、受信機2台、サーボモータ5個、そんな梱包が届きました。

 早速、送受信のチェックを始めたが、機能が豊富過ぎて仕様書を読まないと使えないです。という訳で、今度の春合宿に持って行き皆さんに使い方を教えて貰う積りです。沢山の機能が存在しても私は簡単な事しか使用しないので、殆どの機能はいらない。難しいオペレーションは大の苦手なんです。

Continue reading "プロポを買ってもらった"

| | Comments (0)

スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(23) コルドバ メスキータ(聖マリア大聖堂)

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(22) コルドバ メスキータ・オレンジの中庭

 それでは、メスキータの中に入りましょう。モスクからキリスト教の教会に改造された世界遺産ですが、実に感動する場所です。トルコのイスタンブールで見学したアヤソフィアはキリスト教の教会がモスクに改造された場所ですが、同じように感動しました、必見です。

 多くの写真を収録する為に、遺跡関係のブログに写真を収録しました、そちらを参照して下さい。

 写真集 コルドバの聖マリア大聖堂(メスキータ)150枚写真と解説

写真数枚を掲載します。

2012spain1_1216

 850本のローマ時代、西ゴート時代、各時代の神殿、教会で使用された石柱を利用し建造されたメスキータ。高い天井を支える為にローマ水道橋の技術である二階建のアーチを石柱の上に構築し高い天井を支えた。石灰岩の白の石と赤い煉瓦を交互にかみ合わせ美しい縞模様のアーチを形成した。

2012spain1_1178

 ミフラーブと天井のドームです。イスラムの人々は此方のメッカの方角を向いて礼拝しました。

Continue reading "スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(23) コルドバ メスキータ(聖マリア大聖堂)"

| | Comments (0)

スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(22) コルドバ メスキータ・オレンジの 中庭

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(21) コルドバ 街歩き

Photo  メスキータ(Mezquita)とはスペイン語でモスクという意味ですが、コルドバの聖マリア大聖堂を一般的には指すのが常識だそうです。コルドバのこの場所にはローマ時代から神殿が建設されたり、その後は西ゴート時代には教会(聖ビセンテ教会)が建設されており大事な場所のようです。

 イスラムがイベリア半島を制圧した8世紀、785年頃にアプデラマン1世がイスラム寺院として改造、建設したのが原型になりました。その後、キリスト教徒が13世紀に奪還し、再度、モスクを改造しキリスト教の教会に改造・増築し現在に引き継がれました。

 メスキータ(Mezquita)グーグルアース

「Mezquita.kmz」をダウンロード

2012spain1_1112

 メスキータのオレンジの中庭と呼ばれる場所です。イスラム時代はモスクの前のこの庭にある噴水と水場で身体を清めたそうです。トルコのモスクでもスペインでも何処のモスクでも参拝する前に噴水とか水場が用意されています。其処で、身を清めるのです、日本の神道と同じですね。潔斎の習慣はイスラムも神道も同じですね。

2012spain1_1104

 オレンジの森の向こうにモスクが見えます、イスラム時代はアーチ型の門が幾つも開放されており、何処からでもモスクに入れたそうです。キリスト教時代からは一つだけの門(シュロの門)だけが開放され、他の門は全て閉ざされました。

2012spain1_1117

2012spain1_1122

 此れがシュロの門です、此処からモスクに入る事になります。白と赤の縞模様のアーチは優しくて優雅な気持ちにさせてくれます。

 私はアルハンブラ宮殿を見学してからは、何処かイスラム建築が日本人に合っているような気がして来ました。何と言うか、権威主義ではなくて、何処か優しさが感じられる建築のような気がします。

この門からは有料になります、オレンジのパテイオまでは無料でした。全体が城壁で囲まれている建築はトルコの隊商宿(キャラバン サライ)の建築を見学して以来、砂塵が吹きすさぶ砂漠では人々が集まり、休まる場所には砂嵐を防ぐ壁が必要だったのですね。

2012spain1_1103

 オレンジの中庭からアルミナル塔(ミナレット)を仰ぎ見た風景です。イスラム時代はこの塔の上からコーランを読み上げ、お祈りの声を街に広めた訳ですね。キリスト教の時代からは鐘楼に変更され、今は鐘楼として利用されています。

Continue reading "スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(22) コルドバ メスキータ・オレンジの 中庭"

| | Comments (0)

スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(21) コルドバ 街歩き

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(20) コルドバ ローマ橋・カラオーラの塔

 約400年前に支倉常長が歩いたコルドバの街を歩いてみます。

2012spain1_1000

 ローマ橋を渡るとコルドバの街の城門があります、左前方には多分中世の頃のペスト流行時に何処の都市でも築かれた慰霊の塔ではないだろうか。

2012spain1_1004

2012spain1_1011

 塔の上には大聖人ミカエルの天使像でした。街の守護神です、橋にも銅像がありました。

2012spain1_1021

 朝日が昇って来ました、石畳に朝日が反射して美しいです。

2012spain1_1018

 メスキータ(モスク)の城壁のような壁が立ちはだかります。イスラムの時代は今は塞ぎ込まれた門は開いていたと思います。

2012spain1_1013

 メスキータ前の大道の風景です。

2012spain1_1029

 今はキリスト教の鐘楼になっていますが、イスラム時代はモスクのミナレット(尖塔)であり、お祈りの声が街に響いていたと思います。

Continue reading "スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(21) コルドバ 街歩き"

| | Comments (0)

古墳出現期前夜の東海人の相模川流域への集団移動

 承前 第八回 三輪山セミナーイン東京 (そのⅡ)

 昨日は、神奈川県埋蔵文化財センターと綾瀬市教育委員会の主催の第6回考古学講座に出席してきた。綾瀬市の市役所が会場であり、横浜から昔通い慣れた相模鉄道の急行に乗り海老名駅を目指した。私は新婚の頃に小田急厚木駅前のマンションに住んでおり、毎日、相模鉄道で海老名駅から横浜経由、蒲田まで通勤していました。

 綾瀬市は初めての訪問であり、海老名駅からバスに乗り30分程度乗ると終点が綾瀬市役所だった。まるで、日本のチベットみたいに交通の便が無い場所だ。人口は8万人と何と少ない市だろうか、確か10万人以上でないと市になれないという話を何処かで聞いたような気がするが・・・、それに厚木基地が綾瀬市にあるんですね、始めて知りました。

 関東に長く住んでいて、直ぐ近くの厚木にも住んでいた事があるのに、何と無知なんでしょうね。ところで、本題のセミナーでした。

 ・講演Ⅰ 『弥生時代の神奈川 やってきた人・物・文化』

  神奈川教育委員会 文化遺産課 丸吉繁一さん

 ・講演Ⅱ 『東海からの集団移動 国史跡神埼遺跡を事例として』

  綾瀬市教育委員会 生涯学習課 井上洋一さん

 今回の綾瀬市の神埼遺跡に関しては、承前で掲げましたように、昨年の夏の三輪山セミナーで考古学の大御所、大塚さんが関連講演しており頭の隅にはありました。再度、大塚さんの講演を復習してみましょう、古墳時代が始まる前夜の日本列島のダイナミックな状況が判ると思います。

 弥生時代中期には日本全国で弥生文化が定着し水田稲作が行われ、各地に大規模な拠点集落が生まれ、青銅器の祭りが行われていた。しかし、弥用時代後期に入ると日本列島では社会の変動期に入り鉄の普及、祭りのシンボル(銅鐸・銅矛・特殊器台・墳丘墓)が大型化が始まり、鉄や先進文化を求めて遠隔地との交流が始まり、特定個人や特定集団への権威の集中が始まった。

 弥生時代後期の関東の状況は4種のグループに分かれていた。

 ① 横浜・川崎

   北関東・中部地方の土器が中心

 ② 三浦半島周辺 

   東京湾岸の土器中心

 ③ 相模川流域

   東海西部的(天竜川西岸地方)

 ④ 金目川流域

   東海東部的(天竜川東岸地方)

 列島全土での弥生時代後期後半の各地の祭りのシンボルは

 ・北九州から四国西部→広形銅矛・銅戈が分布

 ・吉備地方→特殊器台・壺が分布

 ・四国東部・近畿・東海・伊豆地方→近畿式銅鐸分布

 ・若狭・近江・東海・中部地方→三遠式銅鐸分布

 ・出雲・福井地方→四隅突出形方丘墓の分布

Continue reading "古墳出現期前夜の東海人の相模川流域への集団移動"

| | Comments (0)

スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(20) コルドバ ローマ橋・カラオーラの塔

 承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(19) 白い街・太陽の海岸 ミハス(Mijas)

 白い街・太陽の海岸と呼ばれるミハスから北に238㌔バスで移動するとコルドバに到着です。

Photo

Photo_2  コルドバは現在はアンダルシア地方の一つの県の首都ですが、紀元前のローマ時代から栄え、特に8世紀にイスラムにイベリア半島が支配された頃からイスラム圏としては、東の現在のシリアあたりのダマスカスを拠点とするアッバース朝に対して、西のウマイア朝の血を引く一族がコルドバを首都として8世紀中葉に国を建設し人口も10世紀には50万~100万を越し世界最大の都市として栄華を極めたという。

 モスクは600を超し、公衆浴場も300を超え、大学が設置され当時の世界最高の学問のメッカとなり、世界中から学者が集まり文化・文明の最先端を創造する場所となっていたという。この話を始めて現地のガイドさんから聴き、何故、スペイン・ポルトガルが世界に先駆けて大航海時代をリードし世界の海を支配出来たのか、その理由が判った。

 航海に関してはイスラム人は古代から世界の海に雄飛しており、巨大船の建造技術や航海術に優れており、そして、科学分野に於いても最先端を走っていた。中世のキリスト教文化圏では殆ど科学技術の進歩も航海技術も進歩していない、科学暗黒の時代だった。しかし、イベリア半島にはイスラムの中心が存在し、キリスト文化・文明圏と融合する事で世界最先端の科学技術も文化文明も進化したのだ。

Photo_3

 日本人との関係で言えば、1582年の天正遣欧少年使節団がリスボン港から上陸し、ポルトガル・スペインを訪問し、1614年には伊達正宗が派遣した支倉常長一行はメキシコ経由でスペインの大西洋岸のグアダルキビール川の河口から遡上し、コリア・デル・リオの港に到着し、コルドバを訪問しマドリッドを訪れた。

2012spain1_951

 日の出前のコルドバの海運の生命線グアダルキビール川です。

2012spain1_957

 ローマ時代に建造され、その後何度も修復されたローマ橋と橋を守る要塞であるカラオーラ塔です。

2012spain1_964

 橋の向こうはコルドバのモスクでキリスト教徒が奪還後に教会に改造した建物であるメスキータ(Mezquito)が見えます。幅は200メータ以上あります。

2012spain1_968

2012spain1_976

 橋を守る要塞、カラオーラの塔です、現在は博物館となっております。

Continue reading "スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(20) コルドバ ローマ橋・カラオーラの塔"

| | Comments (0)

« February 2012 | Main | April 2012 »