スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(20) コルドバ ローマ橋・カラオーラの塔
承前 スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(19) 白い街・太陽の海岸 ミハス(Mijas)
白い街・太陽の海岸と呼ばれるミハスから北に238㌔バスで移動するとコルドバに到着です。
コルドバは現在はアンダルシア地方の一つの県の首都ですが、紀元前のローマ時代から栄え、特に8世紀にイスラムにイベリア半島が支配された頃からイスラム圏としては、東の現在のシリアあたりのダマスカスを拠点とするアッバース朝に対して、西のウマイア朝の血を引く一族がコルドバを首都として8世紀中葉に国を建設し人口も10世紀には50万~100万を越し世界最大の都市として栄華を極めたという。
モスクは600を超し、公衆浴場も300を超え、大学が設置され当時の世界最高の学問のメッカとなり、世界中から学者が集まり文化・文明の最先端を創造する場所となっていたという。この話を始めて現地のガイドさんから聴き、何故、スペイン・ポルトガルが世界に先駆けて大航海時代をリードし世界の海を支配出来たのか、その理由が判った。
航海に関してはイスラム人は古代から世界の海に雄飛しており、巨大船の建造技術や航海術に優れており、そして、科学分野に於いても最先端を走っていた。中世のキリスト教文化圏では殆ど科学技術の進歩も航海技術も進歩していない、科学暗黒の時代だった。しかし、イベリア半島にはイスラムの中心が存在し、キリスト文化・文明圏と融合する事で世界最先端の科学技術も文化文明も進化したのだ。
日本人との関係で言えば、1582年の天正遣欧少年使節団がリスボン港から上陸し、ポルトガル・スペインを訪問し、1614年には伊達正宗が派遣した支倉常長一行はメキシコ経由でスペインの大西洋岸のグアダルキビール川の河口から遡上し、コリア・デル・リオの港に到着し、コルドバを訪問しマドリッドを訪れた。
日の出前のコルドバの海運の生命線グアダルキビール川です。
ローマ時代に建造され、その後何度も修復されたローマ橋と橋を守る要塞であるカラオーラ塔です。
橋の向こうはコルドバのモスクでキリスト教徒が奪還後に教会に改造した建物であるメスキータ(Mezquito)が見えます。幅は200メータ以上あります。
橋を守る要塞、カラオーラの塔です、現在は博物館となっております。
昇り始めた朝日を浴びるコルドバの旧市街の光景です。中世の時代には全て城壁で囲まれていたと思います。
昔の水車小屋跡だそうです。
振り返ると、カラオーラの塔に朝日が昇り始めました。
大天使ミカエルの像です、コルドバの守護神なんですね。
メスキータが目の前に見えます、これから、コルドバの旧市街を散策してみます。
参考 コルドバ ローマ橋(グーグルアース)
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