スペイン・ポルトガル3200㌔の旅(25) セビリア セビリア大聖堂(カテドラル)
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セビリア大聖堂(カテドラル)は世界第三位の規模を誇るカテドラルだそうです。第一位はローマのサンピエトロ大聖堂、第二位はロンドンのセントポール大聖堂だとか。このセビリアは大航海時代にアメリカ大陸との交易を独占した港として栄えました。しかし、紀元前から航海国であるフェニキアやカルタゴの支配を受け、航海民が育っていたのです。
イスラム支配のあともイタリアのジェノバの貿易商やユダヤの商人が住み、中世では最大に交易で富み栄えた港町だったそうです。その文化は大航海時代に入り大きな花が咲いた訳です。突然にコロンブスが生まれた訳では無く、イタリアのジェノバの奴隷商人の息子だったコロンブスが必然的に生まれたのかも知れない。
ガイドさんの説明では、最初に西回りでインドへの大航海を提案したのはポルトガルだったそうです。しかし、当時ポルトガルは東周りにて東南アジアで忙しく、コロンブスの提案なぞに聞く耳は無かったらしい。そして、彼はスペインのカスティーリャのイサベル1世と出合いプロジェクトは承認されたのです。歴史はもし、ポルトガルがコロンブスの提案を受けていれば、世界史は変わっていた可能性があります。
そのコロンブスの墓がある世界第三位のカテドラル、世界遺産のセビリア大聖堂の御紹介です。詳細な説明と、写真集は以下の写真集を検索下さい。
本編では簡単に数枚の写真を掲載します。
正面がセビリアの大聖堂で、塔はヒラルダ(風見鶏)の塔と呼ばれ、イスラム時代の尖塔(ミナレット)70㍍の上にレコンキスタのあと、キリスト教徒が鐘楼とブロンズの風見鶏を建設し90㍍の高さとなった。右の建物はインディアス古文書館でともに世界遺産の建物です。
真中の巨大な女神のブロンズはヒラルダの塔に立つ風見鶏と同じものです。右手は海の民の象徴である船の舵、左手には穀物でしょうか、セビリアの存続基盤を示しています。モスクの跡をゴシック様式のカテドラルにキリスト教徒はしました。
コロンブスのお墓です。1894年にハバナから送られたコロンブスの遺灰を納めています。棺を担ぐのはスペインを建国した4つの国、カスティーリャ王(左前)、レオン王(右手前)、ナバーラ王(後)、アラゴン王(後)の国王が担いでいます。胸には国の紋章が描かれており、これ等の紋章を組み合わせたのが現在のスペインの紋章となったそうです。
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