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スペイン・ポルトガル3200キロの旅 無事帰国しました

 昨日、無事にスペイン・ポルトガル3200キロのバスの旅、13日間を終えて無事帰国しました。幸い、好天に恵まれてまるで冬の欧州とは思えない旅となりました。

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 空路スペイン東部の地中海に面した、豊かな明るい国で、スペインとフランスを足して二で割ったような国であるバルセロナ、最近は世界最強と評判のメッシの所属するFCバルセロナで有名ですが、其処から3200キロのバスの旅が始まりました。

バルセロナと言えば、ガウディの聖家族教会(サグラダファミリア)の訪問からでした。

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 日本人の彫刻家も参加するサグラダ・ファミリアの建設は今も継続しています。

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 やはり、まじかでガウディの建築物を幾つか見学できました、独特のものがありますね。

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 ドン・キホーテで有名なラ・マンチャ地方の白い風車地帯を通過しました。

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 ドン・キホーテは聖書の次に世界中で多く出版された文学作品だそうですが、主人公が活躍するのはこのラ・マンチャ地方の貧しい田舎であります。彼が突撃したのはこんな白い風車だったかも知れません。

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 スペインで一番人気のある場所がアルハンブラ宮殿だそうです。ギターの音色が聞こえてくるようですね。710年ですから平城京の時代から8世紀の長い期間、イベリア半島はイスラムが支配する国となりました。最後のイスラムの世界がこのアルハンブラ宮殿だそうです。

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 実に美しい評判通りの宮殿です、まるで水の宮殿と呼んでもよさそうな、何処か明日香の都に通じる世界でした。この800年間に渡るイスラムのキリスト教世界の支配が結果的に大航海時代でのポルトガル・スペインの活躍に繋がる事が今回の旅で判りました。

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 ポルトガルのリスボン港に佇む発見のモニュメントです。ポルトガル語で日本の生活に沁み込んだ言葉は200語を越えるそうです。千利休の茶道や武士道にポルトガルの騎士道が影響を与えた事が意外と知られていない事を知りました。

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 欧州最西端であるイベリア半島先端部、ロカ岬で大西洋に沈む夕日を眺めました。

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 サンティアゴ・デ・コンポステーラの歓喜の丘から教会を見下ろすところです。杖に水筒であるヒョウタンをぶら下げた巡礼者が、フランスとの国境のピレネー山脈から800キロ、35日間の巡礼の旅の終着が目の前に現れる喜びです。

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 キリスト教では三大聖地の一つとされています。イベリア半島の最西北端にある聖人ヤコブにちなむ聖地です。

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 彼女はサンフランシスコ在住の娘さんで、800キロ35日間の巡礼の旅を終えて今、カテドラルに入って来た所です。両親は韓国人だそうですが、韓国はクリスチャンが多い事で有名ですね。

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 此処に巨大な香炉が吊るされ巡礼者の頭上をブランコのように揺れる光景を映像で見られた人は多いと思います。

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 ポルトガルとスペインについて今回は今迄色んな疑問点がありましたが、今回の旅でかなり多くはその謎が解けました。ツアーに参加された人々とも交流が出来、3200キロという過酷な旅でしたが、大変楽しい印象深い旅の記憶となりました。詳細は、今後、半年ほどかけて記録する積りです。

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