慈照寺(銀閣) 全ては月の為に
先日、NHKの番組で銀閣さんの話を特集していた。応仁の乱が終わった頃、政治に疲れた8代将軍足利義政が家督を譲り、東山山麓に隠棲の住処を建設したのが、慈照寺(銀閣)だという。彼は政治に疲れ果て、月とともに最後の年月を送りたいと考えた。
待月山と名付けた裏山の裾に錦鏡池(きんきょうち)を作り、観音堂である二階建の金閣を参考にした堂を建てた。1階は心空殿と呼ばれ、住宅様式であり、2階は仏間である、潮音閣と呼ばれ観音様の仏間である。花頭窓からは庭を見下ろせるような設計である。屋根は柿葺と呼ばれサワラの薄い板を三センチずらして葺いた屋根である。
古来、何故、銀閣と呼ばれるか謎であったという。建設時は銀箔であったとか、色んな説が存在したそうだが、2008年の修復工事にてその理由が遂に解明されたという。銀閣は創建時に壁は黒漆→白土→ミョウバンの順に塗られ、月の光にミョウバンがキラキラと光る事が判明したとNHKのワンダー番組では放送していました。
庭には向月台(こうげつだい)と呼ばれる湖に浮かぶ月をイメージした庭や銀沙灘(ぎんさだん)と呼ばれるさざ波に月光がキラキラ光る様子を表現した庭がある。実際、月の光があたると白川の砂に含まれる雲母に月光が当たり、キラキラと光るそうです。
番組を回想すると、先ずは銀閣の1階で月待山に昇る月を待つそうです。そして、月が昇ると二階に移り、錦鏡池に浮かぶ月を楽しむそうだ。そして、明け方には、一階に降り、廊下を伝い東求堂当たりの庭で明け方の月を惜しむそうだ。全ての装置が月を愛でる為に科学的に設計されたシステムであるそうです。
残念ながら足利義政はこの銀閣の完成を見ずに亡くなったそうだ。金の亡者の妻の日野富子は一切金銭の援助はしなかったそうだ。
詳細は、マイフォトに写真と説明は収録しました、御参考にして下さい。
マイフォト 慈照寺(銀閣) 写真集&解説
国宝銀閣以外に、もう一つ国宝があります。それは、東求堂(とうぐどう)です、義政の持仏堂です。
書院造や草庵茶室の源流として重要な建物だそうです。
足利義政は政治家として駄目男だったようですが、素晴らしい東山の文化遺産を残してくれました。
参考 NHK映像 慈照寺・銀閣
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