京都魔界探訪 古代の鳥辺野篇(2) 六道珍皇寺篇
平安時代前期に秀才で反骨精神があり時の嵯峨天皇に反抗し且つ遣唐副使を自ら断った男がおり、且つ最後には参議になった逸材が存在したという。漢詩・和歌の世界にも秀でた男で名前は小野篁(たかむら)と言う。
聖徳太子の時に遣隋使として派遣された小野妹子の子孫にあたり、孫には書家で有名な小野道風や小野小町がいる。篁はその文才と反逆反骨精神は世間で有名だったようです。そして、なにより金銭に興味の無い男だったのも人気の秘密だったのでしょうね。
彼は東山の六道の辻と京都北の嵯峨に邸宅を持っていたそうだ。六道の辻は現在、六道珍皇寺であり嵯峨の邸宅は生の六道と呼ばれる福生寺と呼ばれる。深夜、篁は東山の六道の辻の邸宅の庭にある井戸に入り、閻魔さんを補佐する為に冥界に行き、仕事が終わる朝に北の嵯峨の自宅の井戸からこの世に帰還する生活をしていたらしい。
閻魔・篁堂と呼ばれる建物があり中には衣冠束帯姿の篁像や篁が制作したという閻魔さんの像、そして空海さんの像まであります。
十万億土の地の果て、冥界まで響き渡るという鐘楼です。窓の無い閉塞された鐘楼で綱引きのような綱を引っ張ると鐘をつく事が出来ます。
『迎鐘(迎えの鐘)』と呼ばれているそうで、故人を祈念し鐘をつく(引っ張るですね)と冥界まで鐘の音が通じるのだそうです。
しかし、小野篁という人物像を作り上げた平安前期の時代は彼のようなスーパースターを望んでいたんではないでしょうか。冥界への入口が六道の辻に存在した篁の邸宅というのが丁度、このような庶民の願いを作り上げたのではないでしょうか。
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