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伊万里湾に沈む蒙古軍船 水中考古学

 今日、NHKの7時過ぎの番組で伊万里湾に沈む蒙古軍船を見つけ出したと言う特番が放送されていた。偶然、昨日から『水中考古学 海底からのメッセージ』(著者:井上たかひこ 成山堂書店 平成10年3月初版)を、読んでいたところでした。

 (世界最大の遭難 モンゴル艦隊の行方)

 番組の内容の前に、本で読んだ限りでは以下の情報が今までに収集され、学会でも周知の事実でありました。要約してみましょう。

 ・1281年の夏に元のフビライ汗は二度目の日本侵攻を行った。4400艘の船に14万の兵を載せ九州沿岸の伊万里湾の鷹島に攻めよせて来た。伊万里湾はモンゴルの軍船で埋め尽くされたという。しかし、夜に暴風雨が襲い19時間も吹きすさび、モンゴルの軍船は海底の藻屑となったという。これが弘安の役であり、神風の話です。

 ・昭和49年の春に鷹島に住む迎国市(むかえ くにち)さんが海岸で青銅で出来た6センチ大の四角い印章を拾い収蔵していた。昭和55年から3年間に渡り東大名誉教授の江上波夫さんや、東海大学の茂在寅男さんらが中心で鷹島海底の調査を試みた。その時に、迎さんから、昭和49年に取得した印章を調査団に公開される事になりました。

 ・印章は印の両肩に印の名称や年号が漢字で刻印されていた。「至元14年9月造」即ち、フビライの時の年号であり1277年にあたるそうです。印面には元の国字である「パスパ文字」で漢字に変換すると『管軍総把印』と刻印されていた。従い、元軍の船隊司令官クラスに与えられた官印である事が判明した。これは、『漢委奴国王』の金印以来の大発見となりました。

 ・その後、海底は何度も調査されたが海底に泥が堆積し視界も殆ど利かない状況であり、海底探索は殆ど失敗に終わっていた。全長7メータの木碇(いかり)が発掘される程度だった。注:木碇とは二本の木で石を挟み紐で固定し碇として利用したそうだ。重いので船には車輪のような装置を使い碇の上げ下げをしていたそうだ。蒙古襲来絵詞の元軍の船には大きな車輪が二個ついていますが、それが碇の上げおろしに使用されたと考えられる。

 (今回のNHKの報道)

 ・今回の報道では水中考古学が専門の琉球大学の池田栄史(よしふみ)さんが東海大学の音波探査の専門家である根元謙次さんの協力を得て元の軍船が沈没してると絞り込まれた11カ所の1つを発掘し全長20㍍の竜骨を含む軍船を見つけたそうだ。

 ・スタジオでは水中考古学の専門家である荒木伸介さんが話をしていました。琉球大学の池田さんのグループは2009年から発掘を開始し2010年及び今年の再挑戦で見事に木造船を発掘したそうだ。竜骨(キール)は12メータもあり漆喰も残存している。外板や煉瓦(專=セン)もみつかり、南宋の船であり乗組員(兵士)も南宋の人間ではなかったかと推論された。煉瓦は船の厨房で火の周りに遮蔽として使用されたと考えられる。

 ・又、寝棚(ねだな)と呼ばれる奴隷船で使用される人間が寝る棚の木材と考えられる木片も見つかっており、この元の軍船を調査する事で殆ど判っていない元軍の実態が解明されるのではないかと期待されている。今は、殆ど資料が無く蒙古襲来の実態は実は判っていないそうなんですね。

 (番組が主張してる事)

 私の解釈では欧米をはじめ韓国ですら、国家レベルの『水中考古学』の専門研究機関を持っているが、残念ながら日本では存在しない。海洋国家が聞いてあきれる実態である。早急に、日本でも国家レベルの『水中考古学』の専門組織を創設すべきであると私も思います。

 陸上では酸性土壌の為に殆どの遺物が残存しなのが、実情であるが、水中では千年前の遺物でも残存する可能性が高いと思います。難波に発掘された修羅も確か泥の中に堆積し朽ち果てずに残ったと聞いています。

 最新の保存技術を発明する為にも是非、前向きに、先ずは伊万里湾の鷹島の蒙古軍の軍船発掘に国家としてサポートすべきと思います。

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