昨夜は皆既月食
昨夜は皆既月食だとテレビのニュースで騒ぐので、寒いベランダにでて皆既月食をこの世を生きていた記念に撮影しておこうと考えた。
夜の9時頃はまだ左端のように新円である、夜の10時近くになると右の写真のように少し左下が欠けだした、月食の始まりである。地球の陰に隠れ始めたようだ。
夜の10時半頃になると左の写真のように1/3程度の月の左側が欠けてきた。そして、右の写真のように11時頃には半分になってしまった。
ベランダにでて段々月が真上に位置し始めるので、カメラを構えるのが辛くなってくるし、寒いしそろそろやめようと思った。
光量が少なくなり、その影響か急に夜空の星の輝きが増加したように感じるようになった。その後、12時頃まで撮影を続けたが、夜間での撮影の知識が無く、私の腕では光量が少なく皆既月食を撮影する事は出来ませんでした。
多分、三脚を構えてマニュアルで撮影しなければ不可ではないだろうか。次回、生きていれば月の軌道を考え三脚を構えマニュアルで連続的に撮影してゆくシステムをバルコニーに予め設置すればいいと思った。
日本の神話では太陽神であるアマテラスに対して月の神はツキヨミという神が信じられてきました。しかし、記紀では記述が異なりイザナギの右目から生まれたとか、スサノオのお兄さんとか、左目から生まれたとか一定しない。太陽信仰に比べて、存在感が薄いのが月の神である。
月に兎が住む話は元来は中国だ思う。かぐや姫の話は木津川の近くの隼人庄に現実にかぐや姫が存在していたので、大隅(住)隼人が南方の説話を伝えたのではないかと思う。月餅は中国の菓子だし、あまり日本固有の説話として月は影が薄いのと違うだろうか。どうも異国の話の雰囲気がする。
考えてみれば、人間は夜になれば寝て、太陽が登れば起きて働く生活でしたね。お月さんとの関係は太陽に比べれば比較にならない程、縁が薄い。階級社会が出来る前の世界、即ち、余剰生産物が出る前の原始共産社会では人間とお月さんの関係は薄い関係でしょうね。
大体、夜起きて生活するようになるのは階級社会というか、余裕がある人間が登場してからではないだろうか。しかし、ユーラシア大陸を放牧して生きていた遊牧民の世界では夜も動物達と一緒に寝るので夜空の星や月を眺めて暮らしていたのではないだろうか。星座や星・月の神話が生まれる背景にはそんな生活環境が影響していると思います。
一方、東南アジアの海や大河の水の上で生活していた人々も遊牧民と同じく、月や星の位置で自分の位置を理解する知識が進化したのではないだろうか。海岸で貝を採集したり、海岸・川で魚を採ったり、山で獣を追いかけたり、焼畑農業をしていた日本列島の原住民の生活にはあまり月や星は関係が薄い存在ではなかったでしょうか。
色んな事を考えて、寒いベランダで月を撮影していました。ちなみに、家内はとっくに暖かい布団で寝てました。
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