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継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(7) 安満宮山(あま みややま)古墳

 承前 継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(6) 今城塚古墳

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 三島という場所はどうやら邪馬台国の時代から栄えていた場所のようです。今城塚古墳の東北方角に弥生時代の環濠集落跡である安満遺跡があります。そして、丘の上には邪馬台国時代に卑弥呼が魏に使いを出し銅鏡百枚を貰ったという年が239年ですが、235年、魏の年号で青龍三年銘のある銅鏡(方格規矩四神鏡)が出土した古墳、安満宮山(あま みややま)古墳があります。

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 この古墳は平成9年夏に発掘され5面の青銅鏡が出土したが、その中に含まれていた。丁度その3年前に平成6年には丹後の国、今の弥栄町と峰山町の境にある太田南5号墳でも同じ青龍三年銘の方格規矩四神鏡が出土していた。邪馬台国を考える上で日本海ルートの丹後の国と淀川水系・河内湖・瀬戸内海ルートの摂津の三島は重要な地域であった事を物語っている。

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 写真のように眼下には弥生時代から環濠集落として栄えた安満遺跡を眼下にに見る場所で、一辺20㍍の長方形墳が発掘された。3世紀後半の遺跡であると考えられ邪馬台国時代に相当する。5面の銅鏡が出土したそうだが、古いタイプの三角縁神獣鏡も含まれているそうだ。その他、スカイブルーのガラス小玉1600個も出土したという。

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 この古墳に埋葬された人物は明らかに眼下の畿内では最初に九州から稲作を導入し栄えた安満遺跡を統率し、淀川水系を利用し琵琶湖、瀬戸内海航路から大陸との交易も支配した人物が眠っていると想定される。

実にこの場所に立てば判るが、遥か大坂湾まで見はるかす事が出来る。

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 左の奥の山は生駒山で、左の煙突から煙の奥は淀川で、その奥が継体天皇が即位された樟葉の宮。その右が私が生まれ育った招堤村です。

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継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(6) 今城塚古墳

 承前 継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(5) 今城塚古代歴史館

 継体天皇の陵墓と殆どの研究者が考える今城塚古墳を参拝してみましょう。天皇陵で足を踏み入れる事が出来る陵は多分、此処だけではないだろうか。宮内庁では近くの太田茶臼山古墳を継体天皇陵と指定しているが、研究者の間では5世紀中葉の建造と考えられ継体天皇の時代よりかなり古い時代の古墳と考えられています。

 和田萃(わだ あつむ)さんの説では継体天皇の曾祖父の大郎子(おほいらっこ)であり、オホホド王と呼ばれる人の墓ではないかと推論されています。継体さんは小さいと言う意味のヲホド王と呼ばれています。ちなみに、ホドとは火床の事であり製鉄する場所や人々を指す言葉だそうです。そういえば、筒城宮も多々羅(タタラ)=製鉄という地名に存在していました。

 蛇足ながら、この三島と呼ばれる淀川右岸の地域はヤマト王権が成立した頃から独立した経済豊かな地域でヤマト王権の支配地域では有りませんでした。勿論、木津川流域や山背・近江地域もそうです。何故なら、ヤマト王権の大王墓に匹敵する巨大古墳が同じ時期に存在するからです。

 蛇足のついでに、興味深いのは神武天皇が橿原の宮で即位されますが、皇后さまに撰んだのは確か三島のヒメ・タタラ・イスズ・ヒメではなかったでしょうか。三輪の大物主さんが三島の豪族の娘に産ませた子供です。要は奈良盆地や河内ではなく摂津(淀川右岸)の豪族と政略結婚しなければヤマト王権が成立出来なかった事を示している。

 今城塚古墳参拝はマイフォトで記録しましたので、そちらを参照して下さい。

 マイフォト 継体天皇の陵墓か 今城塚古墳参拝記 写真集

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 古墳北側の内堤上に展開する埴輪祭祀場の埴輪群と背景は古墳本体である。

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留守屋敷の柿の木 メジロも参戦そしてムクドリ同士の戦いの巻

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 雀とムクドリが食べ始めた御留守のお家の柿の木にメジロも参戦してきました。

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 とても可愛いいです。ウグイスと間違いそうですね。

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 もう一羽のメジロも参戦してきました。

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 二羽のメジロです。

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継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(5) 今城塚古代歴史館

 承前 継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(4) 筒城宮跡&同志社大学歴史資料館

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 さて、今回の最後の旅は今城塚古墳です。京都のMuBlogの旦那の運転と案内で訪問出来ました。私が生まれ育ったのは京阪牧野駅とJR片町線(現在は学研都市線)長尾駅の中間地点です。継体天皇が即位した樟葉宮は隣の村で、木津川を遡上すれば筒城宮、淀川を挟んで向かい岸は高槻となり、今城塚古墳や太田茶臼山古墳が存在します。

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 現在、宮内庁では太田茶臼山古墳を継体天皇陵と指定していますが、考古学会では明らかに5世紀築造と考えられる太田茶臼山古墳は継体天皇陵と認める事は出来ない。今城塚古墳の発掘により現在では殆どの考古学者や古代史歴史学者は今城塚古墳を継体天皇陵であると認めているのが現状である。

 いずれは、宮内庁も天武・持統合葬陵を野口王墓に変更した歴史がありますので、今城塚古墳が継体天皇の陵墓に指定されると思っています。今のうちです、天皇陵に入れるのは。

 この今城塚古墳の発掘については以前、記事を詳細に記録しました。最新の今城塚古墳に関する内容は記録した積りです。

 参考 『継体天皇の時代徹底討論 今城塚古墳』 高槻市教育委員会

 今回は先ず、『今城塚古代歴史館』のご紹介です。詳細はマイフォトの写真集で記録しましたので、そちらを参照下さい。

 マイフォト 『今城塚古代歴史館』 写真集

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継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(4) 筒城宮跡&同志社大学歴史資料館

 承前 継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(3) 飯岡古墳群

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 同志社大学の多々羅都谷にあるキャンパスです。立派な建物が高台に建っています。大学の門で管理の人に筒城宮跡&同志社大学歴史資料館を訪問したいと告げ、場所を訊けば教えて貰えます。誰でも構内に入り、見学出来ます。素晴らしいです。

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201112kyoto_091  地元教育委員会の解説と同志社大学の解説の二枚の解説板が立っていました。

此処が筒城宮跡であるという論拠はこの場所が多々羅都谷という地名が拠り所です。他にも意見がある事を同志社大学の説明板では書かれています。この経緯については森浩一さんが何処かの書物で背景を書かれていましたね。

 継体天皇は私が生まれた北河内郡大字招堤村の隣村の樟葉村で即位されました。そして、511年から518年まで仁徳天皇皇后である磐之媛命縁の地である多々羅都谷に筒城宮を構えておられました。名前から、製鉄工場も存在したと考えられます。

その後、宮は桂川の方面に移し現在の京都府長岡市今里付近、乙訓(おとくに)寺付近に移された。最後は、奈良盆地東南のヤマト王権大王家縁の磐余の地に宮を構えた訳です。

 同志社大学の歴史資料館も訪問しました。森浩一先生が多分集められたものが中心でしょうね。私は古墳時代を中心に見学しました。マイフォトで主な展示物は写真で収録しましたので、御参照下さい。

 マイフォト 南山城 木津川流域古代遺跡 写真集 

 参考 同志社大学歴史資料館ホームページ

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継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(3) 飯岡古墳群

承前 継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(2) 佐牙神社・寿宝寺・山本駅跡

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 飯岡古墳群の中の『ゴロゴロ山古墳(茶臼山・釈迦山)』と呼ばれる古墳です。古墳時代中期の古墳だそうで、直径60㍍の円墳だそうですが、前方後円墳の可能性もあるという。

伝承では、継体天皇の椀子(まりこ)王の墓だという伝承があるそうです。本紀行の第二回でご紹介した山崎神社の山崎2号古墳は継体天皇第八皇子の兎皇子でしたね。

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 椀子王とはお母さんが倭媛と呼ばれ、琵琶湖西岸の継体天皇の父の故郷である土地の豪族である三尾君堅楲(みおのきみ かたひ)の娘でした。安曇川河口右岸を拠点とする豪族です。琵琶湖の水運と高島の製鉄に関係した豪族であると考えられます。

 椀子王は三国公・三国眞人の祖と呼ばれているそうで、確かに存在した人物である可能性が高いと思います。

しかし、継体天皇も沢山の皇子が存在したのですね。

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201112kyoto_083_2  飯岡車塚古墳です。飯岡古墳群では古い古墳で4世紀後半古墳前期の築造の前方後円墳だという。

全長90㍍あり後円部直径60㍍、竪穴式石室だそうです。木津川流域を拠点とする海運関連豪族の親玉の墓ではないでしょうか。

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私の散歩道 今日もカワセミ君元気です

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 昨日は寒くてカワセミ君は見かけませんでしたが、今日は元気に狩りをしています。

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 カワセミが獲物を狙っています。

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 突然に飛び込み、餌をくわえて水の中から飛び出てきました。

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 獲物をくわえて止りました。食欲旺盛です。

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継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(2) 佐牙神社・寿宝寺・山本駅跡

 承前 継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(1) プロローグ

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201112kyoto_029  佐牙神社は式内社で格式が高い。敏達天皇2年(573年)に創建されたとされる。祭神は佐牙弥豆男(みずお)と佐牙弥豆女(みずめ)とされる。造酒司の奉幣もあり酒造りの神さんの可能性があります。

敏達天皇とは欽明天皇の第二皇子で欽明さんのあとを継いだ天皇ですが、最初の皇后は息長氏の娘で広姫でした、彼女の産んだ娘が菟道皇女(うじのひめみこ)で伊勢斎宮となりましたね。又、二番目の皇后(後の推古天皇)が産んだ子供に菟道貝鮹皇女(うじのかいたこのひめみこ)即ち聖徳太子の皇后となる人がおられ、宇治(菟道)の地方と関係が深い事が判ります。

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 この本殿二つは国指定重要文化財だとされています。古い建築様式を今に伝えているそうだ。

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 拝殿です、簡素な作りで気持ちがいいです。

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 三山木駅方向に戻り木津川方向に歩き始めると、寿宝寺と山本駅跡の碑に出合います。

 笑い話ですが、MuBlogの旦那の話では大学生と一緒に歴史の旅をしていて奈良時代の駅跡の話をすると、JRですか?近鉄ですか?と質問がきたそうだ。奈良時代の駅鈴の制度を知らない学生が存在するという事に驚いたという話を聴きました。

 この場所は交通の要の地です。物流の大動脈である木津川の傍であり奈良方面、琵琶湖の瀬田方面、西に行けば宇治川・桂川・木津川合流地点があり巨椋池があり淀川経由で瀬戸内海です。大津皇子は壬申の乱で此の地で落命したという言い伝えがあるそうです。

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継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(1) プロローグ

 承前 『継体天皇の時代 徹底討論 今城塚古墳』

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此の衛星写真は私が大学を卒業するまで過ごした場所を示しています。と、同時に継体天皇が即位後活躍され、最後にヤマト盆地東南部の磐余(イワレ)に宮を構えるまで活躍された場所を示している。そして、最後に永遠の眠りにつかれたのも淀川右岸の高槻の今城塚古墳である。磐井の乱を鎮め、博多湾から大陸の交易権を獲得した。

 継体天皇は謎が多い天皇として知られているが、お母さんは九頭竜川流域の鉄と日本海航路を抑えていた氏族であり、お父さんは琵琶湖の水運と西岸の高島の鉄を抑えていた氏族の息子でした。そして、奥さんは尾張の豪族から貰い、大和川水系・河内勢力を抑える事に成功している。

 明らかに、継体天皇まで続いていたヤマト川流域と河内の勢力圏の氏族のみがヤマト王権の支配者でしたが、継体天皇が初めて圏外の氏族として、ヤマト王権のトップに立ちました。即ち、継体天皇の時代からヤマトは大和盆地と河内の地域から淀川から瀬戸内海航路・木津川・桂川・宇治川・琵琶湖・日本海沿岸航路を直接版図とする国家に成長した事になります。

 今回の紀行は、南山城の木津川流域の筒城宮跡を中心とする地域と淀川右岸の高槻の今城塚古墳を訪問する事にします。

 『学研都市線 三山木駅周辺の遺跡群』

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 今回は学研都市線の長尾駅周辺に両親と兄貴の墓があり墓参後、近くの三山木駅を目指した。午前11時過ぎの時間でした。

昔は片町線と呼び大変ローカルな国鉄でした。しかし、最近、同志社大学が引っ越して来て賑やかになりました。

 途中、『大住』という駅を通過します、廻りの山は竹ばかりが生茂っており、まさに『かぐや姫』の舞台に相応しいと思います。大筒木垂根王の娘は『かぐや姫』のモデルである迦具夜比売命でした。大住は多分、大隅隼人が多く移り住んだ場所であり隼人庄と呼ばれていました。何時頃の話なのか未だ解明されていないが、すくなくとも崇神天皇が孝元天皇皇子の武埴安と木津川で戦争をしましたが、奥さんは吾田媛で戦闘を指揮していますので、隼人が三輪王権の時代から木津川流域に海人として移住していたと思います。

 話は飛ぶが、鹿児島という土地の名前は古代の桜島が水主(カコ=水夫が住む)島と呼ばれていたそうで、隼人は海人(東シナ海を航海する海の民の末裔)であったのではないかと推測されています。南九州の人に多いATLウイルス・キャリアの調査により人種的には縄文人(古モンゴロイドであり 縄文以降、大陸から移住して来た弥生人はATLウイルス・キャリアを持たない人種と区別)として、列島に石器時代以前から住んでいた人種ではないかと『日本文化と民族移動』(日沼頼夫さん)が述べています。

 

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 三山木駅を下車すると南西方向に歩いてゆきましょう。直ぐに『山崎古墳群』石碑と山崎古墳群の説明の立て札がありました。

1号墳、2号墳、3号墳と存在していたようです。2号墳は現在の山崎神社境内であり、横穴式墳丘墓であり玄室の天井石が境内に存在するらしい。しかも、継体天皇の第八皇子である兎皇子(うさぎのみこ)の墓ではないかと伝承があるそうだ。兎皇子のお母さんはあの有名な大筒木垂根王の娘であり広媛と呼ばれ、迦具夜比売命と重なる。

 参考 マイフォト 『南山城 木津川古代遺跡を訪ねる』写真集

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G4の会 鎌倉古刹と天園コース散策

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 今年最後の『G4の会』が古都鎌倉で開催された。小島さんの案内で古刹巡りと天園コースのハイキングコースを5時間程度歩いた。

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 北鎌倉で集合し、円覚寺→浄智寺→建長寺→天園ハイキングコース→瑞泉寺→鎌倉宮→荏柄天神社→鶴岡八幡宮→鎌倉駅近くの美味しい蕎麦屋さん 約22000歩のコースでした。

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関西から帰還しました

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 先ずは両親と兄貴の墓参りでした。

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 恒例の大学時代の体育会ワンゲル部の同期会が、何時もの梅田の『八幸』(ふぐ料亭)で開催され、9名が集まった。九州から木村どんが駆けつけてくれた。

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 継体天皇ゆかりの地を巡る時にある神社の杜で木に昇る猫を発見。

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 佐牙神社の訪問です。

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 同志社大学構内にある継体天皇筒城宮址の訪問です。

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 京都のMuBlogの旦那に高槻の継体天皇陵である今城塚古墳に連れて行って貰いました。本当に楽しかったです。

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 最近、宇治の実家で義父が自宅で餌をあげているノラ猫の『ハルちゃん』です。

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ベトナム縦断1800キロの旅(28) 中部編 ホイアンからダナンへ

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(27) 中部編 ホイアン中華街

 さあベトナム中部編最後となりました。ホイアンからダナンに戻り空港からホーチミンに向かいます。ホイアンから北に30キロ程度でダナンでしょうか。

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 ベトナムもスリランカも共通して牛は痩せていて、放し飼いのように思います。のんびりしています。

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 ダナンへの途中で大理石が採掘出来る場所があり、工房が存在していました。

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 ダナンが近いようです、ベトナム軍の基地が見えますね、飛行機の格納庫です。昔、ベトナム戦争の時に米軍が拠点とした基地でした。今は、ベトナム軍が軍基地として利用しています。

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 ダナンの海です、17世紀~18世紀はホイアンが国際貿易港として栄えましたが、河口が砂州で埋まり、このダナンが国際貿易港として栄え始めたと言う、勿論、グエン王朝との関係でもあります。

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 ダナンの市場の風景です。活気があります。

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昨夜は皆既月食

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201112tsurumigawa_137  昨夜は皆既月食だとテレビのニュースで騒ぐので、寒いベランダにでて皆既月食をこの世を生きていた記念に撮影しておこうと考えた。

 夜の9時頃はまだ左端のように新円である、夜の10時近くになると右の写真のように少し左下が欠けだした、月食の始まりである。地球の陰に隠れ始めたようだ。

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201112tsurumigawa_147  夜の10時半頃になると左の写真のように1/3程度の月の左側が欠けてきた。そして、右の写真のように11時頃には半分になってしまった。

ベランダにでて段々月が真上に位置し始めるので、カメラを構えるのが辛くなってくるし、寒いしそろそろやめようと思った。

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 光量が少なくなり、その影響か急に夜空の星の輝きが増加したように感じるようになった。その後、12時頃まで撮影を続けたが、夜間での撮影の知識が無く、私の腕では光量が少なく皆既月食を撮影する事は出来ませんでした。

 多分、三脚を構えてマニュアルで撮影しなければ不可ではないだろうか。次回、生きていれば月の軌道を考え三脚を構えマニュアルで連続的に撮影してゆくシステムをバルコニーに予め設置すればいいと思った。

 日本の神話では太陽神であるアマテラスに対して月の神はツキヨミという神が信じられてきました。しかし、記紀では記述が異なりイザナギの右目から生まれたとか、スサノオのお兄さんとか、左目から生まれたとか一定しない。太陽信仰に比べて、存在感が薄いのが月の神である。

 月に兎が住む話は元来は中国だ思う。かぐや姫の話は木津川の近くの隼人庄に現実にかぐや姫が存在していたので、大隅(住)隼人が南方の説話を伝えたのではないかと思う。月餅は中国の菓子だし、あまり日本固有の説話として月は影が薄いのと違うだろうか。どうも異国の話の雰囲気がする。

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ベトナム縦断1800キロの旅(27) 中部編 ホイアン中華街

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(26) 中部編 ホイアン シクロで市街見物

 ホイアンの中華街の風景もご紹介します。

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 福建會舘です、ホイアンには日本人と福建の海人達が集まり国際的な東アジアの貿易に従事していました。インドと中国を中継する重要な海の中継基地としてホイアンは活躍したのです。

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 海に関する扁額でしょうか。

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 17世紀にこんな船で航海していたんですね。確か、元寇の時にモンゴル軍が伊万里湾の鷹島を4300艘の船で14万人が押し寄せたそうですが、こんな南宋で作られた船が沈んでいる筈です。

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 中華街で猫が寝てました、平和な姿だと思います。

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スリランカ紀行(38) 世界遺産キャンディー 街歩き

 承前 スリランカ紀行(37) 世界遺産キャンディー キャンディアンダンス

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 最近、鶴見川で日本のカワセミと遭遇していますが、此れはスリランカ、キャンディーで宿泊した山の上のホテルの部屋の窓か眺めた光景です。山の上の森の中にカワセミが生息しているんでしょうか。少し図体は日本のよりでかいです。

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 朝のホテルの窓からの光景です、深遠なるスリランカの森が拡がっています。

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 蓮の花がこんなに美しいとは知りませんでした。スリランカの蓮の花は格別なんでしょうか。

 マイフォトに写真を掲載しましたので、参照して下さい。

 マイフォト スリランカ キャンディー街歩き 写真集

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伊万里湾に沈む蒙古軍船 水中考古学

 今日、NHKの7時過ぎの番組で伊万里湾に沈む蒙古軍船を見つけ出したと言う特番が放送されていた。偶然、昨日から『水中考古学 海底からのメッセージ』(著者:井上たかひこ 成山堂書店 平成10年3月初版)を、読んでいたところでした。

 (世界最大の遭難 モンゴル艦隊の行方)

 番組の内容の前に、本で読んだ限りでは以下の情報が今までに収集され、学会でも周知の事実でありました。要約してみましょう。

 ・1281年の夏に元のフビライ汗は二度目の日本侵攻を行った。4400艘の船に14万の兵を載せ九州沿岸の伊万里湾の鷹島に攻めよせて来た。伊万里湾はモンゴルの軍船で埋め尽くされたという。しかし、夜に暴風雨が襲い19時間も吹きすさび、モンゴルの軍船は海底の藻屑となったという。これが弘安の役であり、神風の話です。

 ・昭和49年の春に鷹島に住む迎国市(むかえ くにち)さんが海岸で青銅で出来た6センチ大の四角い印章を拾い収蔵していた。昭和55年から3年間に渡り東大名誉教授の江上波夫さんや、東海大学の茂在寅男さんらが中心で鷹島海底の調査を試みた。その時に、迎さんから、昭和49年に取得した印章を調査団に公開される事になりました。

 ・印章は印の両肩に印の名称や年号が漢字で刻印されていた。「至元14年9月造」即ち、フビライの時の年号であり1277年にあたるそうです。印面には元の国字である「パスパ文字」で漢字に変換すると『管軍総把印』と刻印されていた。従い、元軍の船隊司令官クラスに与えられた官印である事が判明した。これは、『漢委奴国王』の金印以来の大発見となりました。

 ・その後、海底は何度も調査されたが海底に泥が堆積し視界も殆ど利かない状況であり、海底探索は殆ど失敗に終わっていた。全長7メータの木碇(いかり)が発掘される程度だった。注:木碇とは二本の木で石を挟み紐で固定し碇として利用したそうだ。重いので船には車輪のような装置を使い碇の上げ下げをしていたそうだ。蒙古襲来絵詞の元軍の船には大きな車輪が二個ついていますが、それが碇の上げおろしに使用されたと考えられる。

 (今回のNHKの報道)

 ・今回の報道では水中考古学が専門の琉球大学の池田栄史(よしふみ)さんが東海大学の音波探査の専門家である根元謙次さんの協力を得て元の軍船が沈没してると絞り込まれた11カ所の1つを発掘し全長20㍍の竜骨を含む軍船を見つけたそうだ。

 ・スタジオでは水中考古学の専門家である荒木伸介さんが話をしていました。琉球大学の池田さんのグループは2009年から発掘を開始し2010年及び今年の再挑戦で見事に木造船を発掘したそうだ。竜骨(キール)は12メータもあり漆喰も残存している。外板や煉瓦(專=セン)もみつかり、南宋の船であり乗組員(兵士)も南宋の人間ではなかったかと推論された。煉瓦は船の厨房で火の周りに遮蔽として使用されたと考えられる。

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私の散歩道(2011年12月8日) カワセミに再会の巻

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 昨日見つけたカワセミを今日も同じ場所で見つけました。私が場所を間違えてカメラをぶら下げてボケーとしてると、誰かさんがカワセミがいる場所を教えて下さいました。

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 背中は瑠璃色でお腹は茶色い腹巻してるようです。蒲の穂に止まっているんですね。

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 川鵜が頭上を飛んで行きます。

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メキシコ紀行(2011年秋)(14) オアハカ篇(2) トラコルラ市場

 承前 メキシコ紀行(2011年秋)(13) オアハカ篇(1) ミトラ(Mitla)遺跡

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 グーグルで観て下さい、オアハカの盆地は北部にあります。東南方向の谷であるトラコローラを移動すると巨木で有名なトゥーレの木があります。2007年10月に一度訪問しています。

 参考 エルトゥーレ(巨木) 2007年10月記事

そして、もう少し東南方向の谷を走るとトラコルラ(もしくはトラコルーラ)市場があります。近くはヤグール遺跡があり、4年前に訪問しています。

 参考 オアハカ ヤグール遺跡探訪記(2007年10月)

 そして、もっと谷を奥まで行くと前回記事を書きましたミトラ遺跡となります。今回は、『死者の日』が近いトラコルラ市場の様子を写真集にしました、ハロウインとお盆が一緒になったようなオアハカ最大のお祭りです。先日オアハカ在住の娘からNHKのBS1で夜11時からオアハカの『死者に日』の特番があり竹田画伯が登場するとの話でした。我が家はBSが観れないので、残念でしたが、撮影クルーと現地で私も一緒に酒を飲みました。(笑)

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 トラコローラの谷を東南方向に走る、一路、トラコルラ市場を目指す。馬を載せた車が前を走っています。

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 途中にはメスカル(テキーラ)の製造工場が幾つかあります。付近には沢山の龍舌蘭の畑が広がっています。試飲できるかも知れませんね。

 

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 マイフォト トラコルラ(トラコルーラ)市場(2011年10月) 写真集

 参考 トラコルラ(トラコルーラ)市場(2007年10月記録)

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私の散歩道 カワセミを遂に見つけたの巻

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 遂にカワセミを見つける事が出来ました。新羽橋の近くの本流ではない葦の島のような細長い淀みを狩り場としている事が判りました。時折、湖面スレスレを高速度で飛んでいます。この鳥は綺麗な鳥で、メキシコのケツァコアトルを小さくしたような鳥だ。飛ぶ宝石のようです。

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 今日もサギが狩りをしています。

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 胸の羽が派手ですね。

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ベトナム縦断1800キロの旅(26) 中部編 ホイアン シクロで市街見物

 承前 ベトナム縦断1800キロの旅(25) 中部編 ホイアン 日本人町の記憶

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 人力車を後ろから自転車で押す乗り物は『シクロ』と呼ばれています。のんびりと風に吹かれながら見物できます。

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 左に見えるのはライスペーパーの型だと思います。皆さん、自宅で米粉からライスペーパーを作るそうです。

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 ホイアンの世界遺産の旧市街地(日本人町&中華街)を『シクロ』から眺めた写真集を観て下さい。

 マイフォト ベトナム中部ホイアン 世界遺産 旧市街地をシクロで見学写真集

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スリランカ紀行(37) 世界遺産キャンディ キャンディアンダンス

 承前 スリランカ紀行(36) 世界遺産キャンディ 仏歯寺その4

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 スリランカ中部に位置するキャンディはシンハラ人のウダラタ王国の最後の都があった場所(1474年~1819年)であり、『聖地キャンディ』としてユネスコに世界遺産の街として登録されている。今回は、キャンディの名物2500年の伝統を持つ、『キャンディアンダンス』の御紹介です。

 毎年7月の満月の日に釈迦を記念し大きなお祭が行われる、『エサラ・ペラヘラ祭』と呼ばれ、仏歯が象に載せられダンスをしながら街中を練り歩く行事があります。キャンディアンダンスは此の時に踊られるダンスです。

 ①悪魔払いのダンス

 ②戦地に向かう勇士のダンス

 ③豊作を祝うダンス

 ④ファイアーダンス

 と色んなジャンルのダンスが男女で踊られます。

 参考 マイフォト キャンディアンダンス 写真集

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千葉フライト(2011年12月4日) 快晴・強風

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 本日朝日を受ける富士山です。朝のベランダからの眺めですが、時間の経過で刻々と色が変わる富士山に驚きました。

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 こちらの方は朝日が当たる前の富士山の様子です。朝7時前にわこちゃん、かっちんが迎えに来てくれました。千葉までの高速からも綺麗な富士山を眺める事が出来ました。こんなに昼頃までくっきりと富士山が千葉からも眺める事が出来ました。

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メキシコ紀行(2011年秋)(13) オアハカ篇(1) ミトラ(Mitla)遺跡

 承前 メキシコ紀行(2011年秋)(12) メキシコシテイ篇(12) 国立人類学博物館マヤ編

 さて、いよいよオアハカに移動です。メキシコシテイから南に500キロ離れています。4年前に訪問しています。今回もオアハカでの最大の祭り『死者の日』に合わせての訪問です。

先ずは、オアハカの東南40キロにあるタラコルラ河谷にあるミトラ遺跡の御紹介です。

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   4年前にも訪問しています。

  参考 2007年『死者の日』 ミトラ・ヤグール遺跡(1) 訪問記

  参考 2007年『死者の日』 ミトラ遺跡写真集

オアハカの西北の山の上に有名なモンテアルバン遺跡があります。この遺跡は巨大で有名ですが、紀元前500年頃から紀元後800年頃までサポテカ族が築いた文化文明遺産です。丁度、500キロ北のメキシコ中央高原にテオティワカンが栄えていた頃です。このモンテアルバン遺跡の文化が衰退する頃に南のタラコルラ河谷に突如巨大な宗教センターが築かれるようになりました。

 それが、ミトラ遺跡と呼ばれています、極めて宗教色の強い遺跡であると考えれています。オアハカで一番宗教色の強い土地と言えば、このミトラ遺跡だと言われています。この遺跡のそばにオアハカの伝統的な衣類が売られている市場があり観光客に人気です。

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 マイフォト 2011年秋のミトラ(Mitla)遺跡 写真集

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同期会イン 新横浜

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 てっちゃんが幹事で同期の宴会が新横浜でありました。私は歩いて数分の距離、有り難いです。

 不思議と左側に座るメンバーはミュンヘンの駐在員、ニューヨークの駐在員、サンノゼの駐在員となりました。浦川さんとは先日箱根西坂を歩きました、秋山ドンとは数年ぶりの再会、米川さん、哲ちゃん、そして駐在員は3名。

 今日は日本酒を2升飲んだそうです。

 本当に楽しい宴会でした、幹事の哲ちゃん有難う。

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