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継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(4) 筒城宮跡&同志社大学歴史資料館

 承前 継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(3) 飯岡古墳群

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 同志社大学の多々羅都谷にあるキャンパスです。立派な建物が高台に建っています。大学の門で管理の人に筒城宮跡&同志社大学歴史資料館を訪問したいと告げ、場所を訊けば教えて貰えます。誰でも構内に入り、見学出来ます。素晴らしいです。

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201112kyoto_091  地元教育委員会の解説と同志社大学の解説の二枚の解説板が立っていました。

此処が筒城宮跡であるという論拠はこの場所が多々羅都谷という地名が拠り所です。他にも意見がある事を同志社大学の説明板では書かれています。この経緯については森浩一さんが何処かの書物で背景を書かれていましたね。

 継体天皇は私が生まれた北河内郡大字招堤村の隣村の樟葉村で即位されました。そして、511年から518年まで仁徳天皇皇后である磐之媛命縁の地である多々羅都谷に筒城宮を構えておられました。名前から、製鉄工場も存在したと考えられます。

その後、宮は桂川の方面に移し現在の京都府長岡市今里付近、乙訓(おとくに)寺付近に移された。最後は、奈良盆地東南のヤマト王権大王家縁の磐余の地に宮を構えた訳です。

 同志社大学の歴史資料館も訪問しました。森浩一先生が多分集められたものが中心でしょうね。私は古墳時代を中心に見学しました。マイフォトで主な展示物は写真で収録しましたので、御参照下さい。

 マイフォト 南山城 木津川流域古代遺跡 写真集 

 参考 同志社大学歴史資料館ホームページ

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 纏向遺跡出土の有名な、『弧文円板』です。吉備地方がルーツではないかと考えられています。全体は円板の形をしている筈です、葬送儀礼で使用されたと考えられています。

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 奈良の新沢500号墳で出土した方格規矩(ほうかくきく)鏡です。同志社大学の考古学、やはり森浩一先生の遺業(注:間違いで偉業です。すみません)が残されている印象でした。

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Comments

Joさん
 遺業は亡くなった方が残されたお仕事ですから、遺業が残っているは、多分、偉業が残っているでしょうね。あはは。ワープロもまだまだアホです。

Posted by: mu | 2011.12.26 09:32 AM

Muの旦那さん 師走ですが、忙しいですか?

 偉業と遺業間違えました、修正します。指摘されるまで判りませんでしたね。有難う御座います。

確か、Muの旦那も以前に訪問された事がありますよね。

森さんは確か伏見にお住まいだったと思いますので、こんな辺鄙な場所に通勤されていた事を想像しながら、見学してました。

Posted by: jo | 2011.12.26 11:05 AM

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