継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(2) 佐牙神社・寿宝寺・山本駅跡
承前 継体天皇(ヲホド王)の縁の地を訪ねる(1) プロローグ
佐牙神社は式内社で格式が高い。敏達天皇2年(573年)に創建されたとされる。祭神は佐牙弥豆男(みずお)と佐牙弥豆女(みずめ)とされる。造酒司の奉幣もあり酒造りの神さんの可能性があります。
敏達天皇とは欽明天皇の第二皇子で欽明さんのあとを継いだ天皇ですが、最初の皇后は息長氏の娘で広姫でした、彼女の産んだ娘が菟道皇女(うじのひめみこ)で伊勢斎宮となりましたね。又、二番目の皇后(後の推古天皇)が産んだ子供に菟道貝鮹皇女(うじのかいたこのひめみこ)即ち聖徳太子の皇后となる人がおられ、宇治(菟道)の地方と関係が深い事が判ります。
この本殿二つは国指定重要文化財だとされています。古い建築様式を今に伝えているそうだ。
拝殿です、簡素な作りで気持ちがいいです。
三山木駅方向に戻り木津川方向に歩き始めると、寿宝寺と山本駅跡の碑に出合います。
笑い話ですが、MuBlogの旦那の話では大学生と一緒に歴史の旅をしていて奈良時代の駅跡の話をすると、JRですか?近鉄ですか?と質問がきたそうだ。奈良時代の駅鈴の制度を知らない学生が存在するという事に驚いたという話を聴きました。
この場所は交通の要の地です。物流の大動脈である木津川の傍であり奈良方面、琵琶湖の瀬田方面、西に行けば宇治川・桂川・木津川合流地点があり巨椋池があり淀川経由で瀬戸内海です。大津皇子は壬申の乱で此の地で落命したという言い伝えがあるそうです。
古代の大動脈である木津川です。平城京への荷物はこの辺で船から降ろされ奈良坂を経由して平城京に運ばれた。この写真の方角には三角縁神獣鏡32面も出土した椿井大塚山古墳が存在します。崇神天皇と古代日本列島最大の内戦と呼ばれる武埴安との戦いの舞台も此処でした。
奈良盆地の大和川動脈と匹敵する重要な海運の動脈が木津川だったと思います。宇治川・瀬田・琵琶湖・若狭湾・日本海ルートと淀川から瀬戸内海へのルートです。又、陸路でも交通の要にあたる場所でもありました。
飯岡の渡し跡の石碑です。古来、此処には木津川の渡しが存在していたそうです。
私と同じ趣味のラジコン飛行機の仲間は此処でも厳しい世間の風にさらされているようです。
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